死に別れ道(1)

 五月。ゴールデンウィークというそこそこ長い休みが明けて、再び学校が始まる。

 もちろん僕も、眠たい目を擦りながら家で支度をして、眠たい目が開ききらないままに通学路を歩く。

 五分ほど歩いて、ようやく意識がまともに覚醒してきた頃、同じ通学路を歩く誰かの声が聞こえてくる。


「いやあ学校かったりぃ……。授業なんていいから部活だけやりてえ〜」

「それな〜。座りっぱなしまじでキツいわ〜」


 心の中で、それには同意出来ないなと文句を垂れる。

 学校という時間において、もはや僕の安らぎは授業中だけになってしまった。

 放課後なんて来ないで欲しい。そう祈っているだけであっという間にチャイムが鳴る。

 所属した覚えのないの部活に顔をだして、顔も見るのも面倒な相手の話し相手をずっとし続けなければならない。

 いや、むしろそれだけで済むのなら幸いといったところで――。


 春休み。僕は神様に出会った。そして、神様に憑かれた。

 "波長"があってしまったのだと言う。

 なににも関わらずにいたいという僕の願いをねじ伏せて、その神様は僕の――いや、この世界そのものを変えてしまった。


 この土地からに住むその古くて強い神様は、僕の全てを自分のものにするために、月垨ほこらという存在しないはずの少女になった。

 この世界は、月垨ほこらが存在しない世界から、月垨ほこらが存在する世界になった。


 僕が彼女と出会うまで、この世に月垨ほこらという人間はいなかったのに、いることになった。

 人々の記憶にも、記録にも、月垨ほこらという人間が十五年間この世界でずっと生きてきたという証明が確かにある。

 意味がわからない? それはそうだ。僕だって同じ気持ちだ。

 けれどもう、納得するしかない。それが神様という存在の力なのだと。


 受け入れるわけにはいかないが、ひとまず納得はするしかない。そうでもしないと多分僕は発狂してまともな言葉を喋れなくなるだろう。


 ──あの神様は、月垨ほこらという僕の後輩で、きっと僕が死ぬまでその付き合いは続く。

 そして僕がこの世界から消えてなくなる時に、あいつは人の皮を捨てて、神様として僕の全てを奪い去って、永遠に弄ぶのだろう。

 その事を考えると、吐きそうになる。だからせめてその時までは考えずにいよう。そんな浅はかな思惑さえ無駄だというように、あいつは僕の人生に自分を食い込ませてくる。


 この世界にいないはずの月垨ほこらという少女がいることになって、僕が今年から通っている学校には存在していなかったはずのオカルト研究部が存在しており、僕は知らない間にそこに所属していることになっていた。

 気味が悪い。

 僕はもう、月垨ほこらから逃げることはできない。

 たとえば、今目の前を青い乗用車が通り過ぎていった。この時間帯なら、もっとたくさんの車が通るだろう。

 そこに僕が飛び込んだとしよう。僕はそのまま死ねるだろうか。

 恐らく、死ねない。飛び込むことさえ出来ないだろう。それをやろうとした時点で、さっきまでは影も形もなかった月垨ほこらに腕を掴まれて、にこやかに挨拶をされるだろう。

 途中退場は絶対に認められない。


「憂鬱だな……」


 憂鬱でなかったことなんて、一度もないような気がするが、特に今日は憂鬱だ。

 ゴールデンウィークは、月垨ほこらが僕にほとんど関わらなかったという点においては、まあ平和だった。

 いっそ、このまま学校に行かないという選択肢をとれば、僕は今日一日ぐらいはあいつから逃げおおせられるだろうか。


 安易だとはわかっている逃避を実行しようとした直前、僕の背中にポンと小さな感触があった。

 反応せず、振り向かず、前に歩みを進めると、そいつは軽やかな動きで僕の前に躍り出た。


「おはようございます、先輩」


 周りから見れば無邪気、僕には邪気しか感じられない笑顔を浮かべながら、月垨ほこらはそこにいた。

 その腰のあたりまで伸びた黒髪に、人形のようにら整った容姿から相応しくないぐらい口数が多い、歪なキャラクター。それが月垨ほこらという女子高生らしい。


「おはよう、月垨ほこら」

「はい、おはようございます先輩」


 さっさと挨拶を返したのは、その方が話が早く終わるから。僕が彼女を頑なにフルネームで呼ぶのは、他人行儀という名のせめてもの抵抗だ。


「いやあ、久しぶりですねえ。ゴールデンウィークの間、先輩にほとんど会えませんでしたからね。もうこうやんごとないものが貯まってるわけですよ。今日からいっぱい相手してくださいね」

「…………」


 うろちょろと僕の周りを動き回るそいつを見据える。

 なにも僕だけじゃない、同じ道を歩く、例えばさっきまで部活がどうこう話をしていた二人組も月垨ほこらを凝視している。

 ああ、さぞお前らには僕のことが羨ましく見えるのだろう。

 学校で一二を争う美人に懐かれている、あまりパッとしない僕。その少し現実離れした光景に、心が踊るのかもしれない。

 なにも知らないというのは、幸せだ。


「……もう一ヶ月以上経つのに、まだ受け入れられませんか? わたしのこと」

「受け入れられると思うのか? お前みたいな異物を」

「異物って……。なんならわたしずっとこの土地にはいたんですよ〜。なにも月垨ほこらという存在は無から生えたわけじゃないんです。ちょっと機械のパーツが変わったようなもんですよ」

「その機械のパーツが変わっただけで、どれだけのものが壊れたんだ」

「失礼な! ただちょっと、辻褄が合うように動いただけですよ。まあ、先輩がお望みなら、壊してあげても、いいんですけど」


 ぬったりと、僕の首筋に這う指。それが堪らなく不愉快で、思わず掴んで投げ捨てる。


「わわっ」


 後ろで柔らかい音がした。

 僕に突き飛ばされる形になった月垨ほこらが、腰を擦りながら立ち上がっている。

 それにも、周りの怪訝な視線にも僕は目もくれず、再び歩き出す。


「先輩って、わたしに嫌われようとしてません?」


 無視して歩く。けれど、月垨ほこらは同じ速度で僕の隣につく。


「なにしてもいいですよ? 殴っても蹴っても犯しても殺しても。わたしが先輩を嫌うことなんてあませんから。人間の愛と違って、神様の愛は求めたりなんかしませんよ。ただ愛するだけです。永遠に……ね?」


 学校までは、まだ遠い。

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