神かくし(7)
次の日、僕とほこらはまたあの西の山に登っていた。体調もすっかりよくなった。面倒だったからまだ熱が続いてることにして学校は休んだ。
戸橋から放課後見舞いに行くとメールがきていたので、『お前僕の家知らないだろ』と返信しておいた。
そこから返ってきたのは、舌を出した絵文字一つだけだった。
さて、くだらない話終了。
からくりが判明したからと言って、それではい終わり、というわけにはいかない。
今もなお、あの山小屋に山井健吾は閉じ込められているわけで、そこから出して、家に返して、この現象はようやく終わりを迎える。
と言っても、僕にやることはないが。ただほこらがあの山小屋の扉を開けるだけだ。
ここまでほこらの茶番に付き合った義務として、僕もそれに付き合う。
まあ、昼までには終わるだろう。一応僕は病み上がりの身ではあるし、そのまま帰ってゆっくり寝たい。
「着いたな。早く終わらせよう」
「ですね。山井君もこれで少しは大人しくなってくれるといいんですけど……」
「大人しくっていうか、物音一つしないじゃないか。中で死んでいるとかないよな??」
「大丈夫ですよー。少なくともあの中なら餓死とか衰弱死の心配はありません。あ、便意もきませんよ?」
「あ、そう」
何を一体どうすればそんなことが出来るのかは聞かない。
ただ、肉体的には死ななくても精神的に大丈夫かどうかは別だと思う。家に返すより先に病院に連れていった方がいいんじゃないか。
始めて僕とほこらで来た時でさええらく弱っていたが、あれから五日も経っている。
生きてはいるが、廃人でした。なんてことには――
「静かすぎないか?」
小屋まであと10歩程度ときて、その違和感に思わず立ち止まる。
小屋からなにも聞こえないのはいい。けれど他がおかしい。風が吹く音も、木が揺れる音も……そうだ、草を踏みながら歩く僕の足音も――
「先輩危ないっ!!」
「ぐぁっ?!」
僕がほこらの声を聞いた時には、僕の足はもう地面に着いていなかった。浮いていた。飛んでいた。はね飛ばされていた。
視界が回って、なにもわからないままに身体中を衝撃が走る。
どうやら地面を転がっているらしいということがわかったのは、動きが止まった後だった。
「先輩!!」
必死の形相で、ほこらが駆け寄ってくるのが見える。目はしっかり見えているらしい。
痛む。だが手は動く。首も動く。足も動く。よし……立てる。
「大丈夫ですか?!」
そう言いながら、ほこらはまるで僕をなにかから守るように立つ。
「大丈夫だ。動ける」
地面が柔らかいからだろう。車にひかれたような衝撃だったか、思ったよりダメージはない。それこそ、眠れば痛みも引くぐらいに。
「いや……すまん、無理かも」
「先輩、しっかり!」
ほこらが僕を支えようと手を回してくる。しっかり見えていると思っていた視界がまた歪んでいる。
真横にほこらの顔が見える。それはとても明瞭で――
「……僕の目がおかしいんじゃない?」
正面を見る。歪んでいる。
後ろを見る。はっきりとしている。
また正面を見る。明らかに歪んでいる。
「どういうことだ……。あそこが歪んでるっていうのか……? あそこの、なにもない空間が歪んでいるっていうのか……? あれは一体」
「神様ですよ」
「は?」
何を馬鹿なことを言っているんだと思った。西の山に神様はいない。
今回のことは全て、ほこらが神様がいるという体で作り上げた状況だ。それとも、ほこらも知らない神様がこの地に本当にいたって言うのか?
「神様なんですよあれは……新しい、神様……」
「新しい?」
あの空間の歪みが、神様だとほこらは言う。新しい神様だと。
新しいということは、今までいなかったということ。つまりは……そんなことが有り得るのか……いまこの瞬間、産まれようとしているということなのか……。
「神様という存在に一番重要なのは信仰だと、以前教えましたよね」
「ああ……まさか……まさか僕達のせいなのか? 神様がいるってことにして、ここ数日ずっと行動していたから? だから信仰が生まれて、神様が産まれようとしている?」
「それも……あると思います。でも信仰の要になったのは多分、山井君本人。山井君のための架空の神様でしたからね……。どうして一体なにがどうなって、そんな信仰に至ったのかはわかりませんが。先輩なら、理解できるんですか?」
「まあな……」
考える必要すらない。そんなもの、一個しかありえない。神様という存在に一番重要なのは感情。
とりわけ、"恐怖"なんかは特に強い。
あまりにも強い恐怖は確固たる形を作る。揺るぎのない偶像を生み出す。
一週間だ。
一週間、山井健吾はこんな場所に閉じ込められ続けて、ほこらの作った神様を信じきってしまった、畏怖しすぎた。
山井健吾の中で、自分の命を奪う神様は揺るぎのない存在として完成してしまった。
そして、知らず知らずのうちに、僕はその偶像を固めるように行動してしまっていた。
そして、もう一つ。
神様にとって重要な、住処。これは――
「最初から私が作っていた、ってことですね」
茶番のためにほこら用意した縄と鈴。それが、偶像が完成したことによって、住処として成立してしまった。
「――なんの音だ?!」
ビタンッ! ビタンッ! と、何かを打ちつけるような音がする。
「うっげえ、まずいですよ先輩! 神様がだんだん出来てきてます!」
「どうすりゃいいんだよ!」
さっきの神様だという歪みは、もう歪みではなくなっていた。
ぼんやりと、輪郭をもった何かへと変化している。
「御神木の方! あっちへ行きましょう!」
「しめ縄を完成させて封印でもするのか?! 鈴はどうするんだ?!」
「違いますその逆ですよ!」
走り始めたほこらの後を急いで追う。
背を向けた時、後ろから獣のような咆哮が聞こえた。
「時間がない……でも、まだあの神様はなりかけです! 不完全です! だから完全になる前に、あれを成り立たせてる要素を消すんです!」
「つまりあの縄全部解けばいいんだな!」
「話が早い! 愛してます!」
道を抜けて、僕たちが縄を結んだ木の場所にたどり着く。そのまますぐに二手に別れて、急いで鈴を取り外す。
「ッ――耳が痛い!」
「我慢です! よし、あと二つ!」
咆哮は常に聞こえている。獣のようだったそれは、だんだんと得体のしれない――身体の芯から揺らされるような、神様の声と変わっていく。
「……おいこれやばいんじゃないか?!」
「どう考えてもやばいですよ!」
何かを抉るような音がする。木がなぎ倒されるような音がする。
明らかに、こちらへ向かってきている。
「出来た! そっちは?!」
「いやまってこれ……かった?! これ結んだの先輩でしょ!」
「早くしろ時間がないぞ!」
狭かった道が、広くなっている。木がはじき飛ばされて、地面が抉れている。
しっかりと形をもったそれは、六本の足で地面に立っていることがわかる。
直視してはいけないと、直感で判断して目を背ける。
「出来た――! 後は先輩」
「ああ、わかってる!」
今にも神様になろうとしているそれは、おそらく僕を見ている。僕に飛びかかろうとしている。もう時間がない。
縄は全て解いた。神様を構成する要素は崩れた。けれど、ここまで形を成した神様にはまだ足りない。
信仰がまだ根強く残っている。実際、直接目にして僕のこれに対する恐れは増すばかりだ。
今この神様を成り立たせているのは、山井健吾の恐怖心と僕の恐怖心。
だが、まだ間に合う。二つある信仰を、一つにしてしまえば、この神様はこのまま産まれきることなく消える。
目の前の地面がえぐれていく。
僕はこのまま為す術もなく、この地面と一緒にえぐれて死ぬだろう。
どこかの馬鹿の悪戯に巻き込まれたがために、それに怒った後輩の茶番に巻き込まれたがために、ここで死ぬ。
ああ、でも――それがどうしたというのだろう。
月垨ほこらのことだって、山井健吾のことだって、どうでもいい。神様が生まれる? 知らない。そんなもの、僕には――なんの関係もない
静かな山だ。
けれど、草の揺れる音がする。風が木を撫でる音がする。ここはもう、ただの山だ。
倒されていた木も、えぐり取られていた地面も、なにごともなかったかのように元にもどっている。
産まれかけていた神様は、完全に消えてしまった。
「いやあ、やっぱり凄いですね。先輩のザ・無関心」
「必殺技みたいにいうな。あと凄くダサいぞそれ」
まあ、これは僕の歪みみたいなものだ。
ありとあらゆることに、意識的に無関心になれる。心を閉じて、物事を意識しない。
思えば、これが役に立つことも初めてじゃないな。
「でも実際凄いですよ。命の危機を前にして、それに対する自分自身の感情すら無になるんですから。もしかすると、わたしの方がよっぽど人間的なんじゃないですか?」
「ほざけ」
「まあまあ、そんなことより――」
やれやれという顔で、ほこらが近づいてくる。ずいぶんと楽しそうだが、始まりから終わりまでこいつが原因だ。
けれど、さすがに責める気にはなれない。初めからこいつの企みだと理解していて、それに付き合うことにしたのは僕の方だ。
一週間も閉じ込められた人間がどういう風になるかと、こいつが理解出来ないことを理解していながら、放置していた僕の責任でもある。
まあ、さすがにそれで神様が産まれるなんて自体になるとは思っていなかったけど。
「事件解決! ですね」
「ああ……やっとだ……早く帰ろう」
疲労で全身が押しつぶされそうになりながらも、足を前に進める。
もう怪奇現象は終わった。こんなところに長々いたら、それこそ熊にでも襲われるかもしれない。
「熊には関心は関係ないからな……」
「まあ、その時はわたしが守りますよ」
キュッと手が握られる。それを勢いよく振り払って、道を抜ける。
朽ち果てた小屋の扉は開け放たれており、その前にはうちの学校の男子生徒が一人倒れていた。
「ありゃあ、大変ですね。どうしましょう、あれ」
「あれってお前なあ……。さすがにほったらかしにしておくわけにもいかないだろう」
「おんぶですか?」
「なんか探す」
山小屋に入って、思わずなるほどと呟いた。
外観よりずっとボロボロで、暗くて、あと人形の頭が床に落ちていた。そしてなんか臭い。
これでおかしくならない方がおかしい。
「ほこら……」
「なんですかあいたっ」
「やりすぎだ馬鹿」
「だってえ……山井君最終的に先輩になにしようとしてたか知ってます?」
「いい。興味ない」
なにか文句らしきものを言っているほこらを無視して、部屋の中を物色する。
ボロボロだが、毛布のようなものを見つけた。外には太い枝も落ちている。山井健吾はこれで担架っぽいものを作って運ぶとしよう。
「はーぁ……」
「先輩、疲れてますね」
「心底思っただけだ。神様になんて関わるもんじゃないって」
「うわあ、眉間のシワ凄……」
見るだけでとんでもない目にあってしまう。ましてや、怒りを買うだなんてもってのほかで――でもまあ、見初められるよりはずっとマシだが。
「さ、帰りましょうか、先輩!」
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