神かくし(3)

「先輩も知っているでしょうけど、山井君は酷いです」

「ああ、そうだな」

「仕掛けられて笑えるような悪戯だってありますが、山井君のはそうじゃない。ただ周囲に害を振りまいているだけ。これまで運よくその線を超えていなかっただけ」

「……で、今回ついにその線を超えてしまったと」

「人間相手なら、まあ線を超えてしまっても、謝るという手段があります。そう、人間相手なら」


 人間相手なら、多少線を踏み越えたところで、色々な不都合は生じるだろうが、こんな山の中に監禁されない。ましてや、じっくり時間をかけて命を狙われるようなこともない。


 決して踏み越えてはいけない一線。

 踏み越えたが最後、そこに寛容はなく、ただその代償を引かれるだけ。

 そういう存在を、僕も知っている。


「ま、神様ですね」


 あっけらかんと、ほこらは言い放つ。

 そこに対して疑問がないわけではないが、今は黙ってほこらの話を聞く。

 ありがたいことに、僕の顔を見て疑問を察したのか、そのまま答えてくれた。


「この山に神様がいるのか? とでも言いたげですけど、まあ、いてもおかしくはないでしょう。ここまでの道のりでわかると思いますけど、まともな神経の持ち主ならまずこんな所を訪れたりしません。人知れず、忘れ去られた神様がいても不思議ではないですよ」

「まあ、反論は出来ないな」


 納得のしきれない僕に対して、むうっとほこらは少し頬を膨らませる。


「神様っていうからには、なにかこう、住処がいるんじゃないのか? 神殿とか、祠とか、なんかそういう」

「……私もそう思ったんで、前に来た時に辺りを探ってみたんですよ。こっちです」


 そう言って、ほこらはまた奥へ進む。小屋の奥にある獣道へ。

 どの道、服も靴も泥だらけだから、諦めて僕も早足でほこらを追いかける。


 その道は、暗かったからよく見えていなかっただけで、道というほどには続いていなかった。

 振り返れば、山井健吾がいる小屋が見えるぐらい近く、陽の光が届かないほどに育った木々が辺りに生えていた。


「ほら、先輩。多分これが、ここにいる神様の住処。そして、山井君があの小屋に閉じ込められるに至った原因でしょう」


 ほこらの指さす先には、ちぎれた縄が床に落ちていた。

 端から目で追うと、その細い縄は、互いにしっかりと木にくくり付けられている。


「……なるほど、御神木ってやつか」


 そういうことなら、辻褄は合う。

 詳しいことは知らないし、興味もないが、とりあえず山井健吾はこの御神木たちを結んでいたロープを切ってしまったんだろう。そして、ここに宿っていた神様の怒りをかってしまった。


「……不幸なことだな」



 仕方がないといえば仕方がないが、さすがに罪と罰のバランスが歪すぎる。


「私が山井君を見つけた時には、そりゃもう酷い有様でしたよ。あの小屋の中で出してくれってずっと叫び続けてましたから。それが怖くて帰っちゃうところでしたよ、あはは」


 笑えん。


「多分ですけど、これをなんとかしたら山井君もちゃんとお家に帰れると思いますよ」

「なんとかってなあ……」


 ちぎれた縄へと近づく。

 よく見ると、ちぎれた縄はそれだけじゃなかった。

 視界の右にも左にも、同じような縄が地面に落ちている。

 そしてそれを辿れば木にくくりついていて、そこからまた縄が伸びて、木と木と真ん中辺りで切れている。

 御神木――空を覆うように枝を広げるおおきな木は、ぐるりと円を描くように生えており、その全てから縄が伸びている。


「しめ縄っていうのはですね、一種の結界としても作用するんですよ」


 縄の一本を持ち上げて、ほこらは辺りを見回している。


「ぐるっと囲むように張られた縄。まるで、祀っているというよりは、封じていたようですよね」

「あー、つまりは? 山井君はどうして閉じ込められてる? あと五日で死ぬ? 単に神様の寝床を荒らして怒りを買ったとかそういうのじゃないのか?」

「さあ? そんなものわたしにはわかりませんよ」


 散々思わせぶりなことを言っておいて、結局はそれか。

 けれど、仕方がない。僕だったそれくらいは知っている。神様というのはそういうものだと。理解しようとするだけ無駄なのだと。


「寝床を荒らされた怒りなのか、封じられていた悪い神様が解き放たれて山井君を襲っているのか、それとも封印を解いたお礼として山井君を連れていこうとしているのか、考えたって答えなんて出ませんよ。大切なのは、理由ではなく現状です」

「ああ、そうだったな」


 怪奇。

 それは人が生きる世界からあまりにも外れた現象。巻き込まれた理由なんて、考えるだけ無意味。

 巻き込まれたという結果が全て。巻き込まれたが最後、どうにかして逃げ切るしかない。


「もういい。僕は早く家に帰りたいんだ。さっさと終わらせよう。この縄のを全部元に戻せばそれで終わるんだろう?」

「ヒュー話がはっやい。伊達にこの数ヶ月で色々巻き込まれてませんね」

「お前のせいだけどな」

「でもわたしがいたから無事なんですよ?」

「今度マッチポンプって言葉を教えてやる」


 さて、後輩と無駄話をしていても仕方がない。

 早くこの縄をなんとかしないと。

 さっきほこらも持ち上げていたし、触っても問題はないだろう。

 縄の先を見る。なにかで切断した形じゃない。ということはちぎった?

 いや、それもないな。人の手でどうにかなる強度じゃない。


「……お手上げだ」

「はや?! もうちょっとこう周りをよく調べて下さいよ。ほら、足元とか」


 そう言われたので、足元を見下ろす。なにも見つからない。

 ほこらを見る。仁王立ちでこちらに圧をかけてきている。

 仕方がないので、しゃがみこんでみる。

 すると、土の中に小さな輝きを見つけた。


「なんだこれ……鈴?」


 鈴だった。

 赤くて、ちょっと太めの紐が付いた小さな鈴。


「熊よけか?」

「馬鹿なんじゃないですか?」


 気がつけば、すぐ後ろにほこらがいた。いつ拾ったのか、手には今僕が持っているのと同じ鈴を握っている。


「馬鹿ってなんだ馬鹿って。この山熊出るんだぞ? 知らないのか? 熊が出る山に鈴は常識だろうが。しかしなんでこんなところに鈴だけが……まさか喰われ」

「…………」


 のすっと、頭の上に何かが乗った。

 どうやら、チョップされたらしい。そのまま二度、三度、温かな手刀が僕の頭を小突いた。


「先輩、飽きてきたでしょ」

「時間が経つごとに、なんで僕がこんなことって気持ちが強くなってな。すまんすまん」


 多分、僕に謝るべきところはひとつもないが、まあ大人の対応というやつだ。

 確かに、この山には熊がいるという話だが、今この時に限っては、僕らの前にそんな現実的な怪物が目の前に現れることはないだろう。

 僕達はもう、怪奇現象に巻き込まれている。それは、現実で起こる非現実。そこに身をおけば、ルールが書き換わる。上書きされる。

 怪奇現象に巻き込まれば、現実の常識は非現実の常識に変わる。

 僕達を襲う現実の獣は現象の内側には入ってこれない。

 逆にこの現象をどうにかするまで外側に出ることも出来ない。

 山井健吾の死か、あるいは解放か。それが達成されるまでは、僕達は現実の危険からは開放されるが、非現実の危険と隣り合わせになる。どちらがより危ないかは、考えるまでもなさすぎる。


「まあ、熊だろうが神様だろうが、先輩だけは守りますけどね〜、お、もう一個」


 迷惑かつ頼もしいセリフを吐きながら、ほこらはもう一つ鈴を見つけたようだ。

 とりあえず、僕は見つけた一つの鈴を使って、切れていた縄同士を結んだ。


「面白みのない話の早さですね〜……。もうちょっと考え込んだりしません? 普通」

「早く帰りたいんだ。残りの縄も同じように結んで、結界か? ともあれそんな感じのを完成させればいいんだろ。さて、鈴鈴」

「むぅ〜〜〜……」


 鳴いている後輩は無視して、腰を曲げて鈴を探す。

 これが中々曲者で、全然見つからないと思っていたら、落ち葉の塊の中にあったり、腐った木の割れ目の中にあったり、五つ見つけた時点で木々の隙間からわずかに見える空の色は徐々に赤みを失っていた。


「ほこら……あと一つ、見つからないな」

「ですねー」

「どこにあるか、わかるか?」

「うーんここにはないかもですねえ」

「ぶん殴る」

「女子ですよ?!」


 ニャーッ!という気合いの入った声が山に響いた。これだけでかいと、小屋の中の山井君にも届いていることだろう。だからなんだという話だが。


「よし、帰る」

「えー、諦めるんですかー?」


 名残惜しそうなほこらに、僕は舌打ちをすることで答える。

 なにが、ないかもだ。ないのがわかりきっている癖に。そういえば途中から全然探してなかったな。

 大方、僕とこうして一緒にいる時間を稼ぎたかったのだろう。


 縄を全て結ぶのに必要な鈴の数は残り一つ。それがある場所を僕は知らない。

 けれど、明日昼の十一時に駅前で待ち合わせようという約束を、強引に取り付けられた。

 そういえば、明日は土曜日だった。

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