第37話【第三者視点】
鞘から抜かれた剣先に己の焦った表情が反射していることを視認するレオン。
彼は恐怖と焦燥、不安からとんでもない空耳をしてしまっていた。
「もう生かしてはおけない……!」
(いやあああああああああああ! 殺される! 殺されりゅぅぅぅぅぅぅ! 鬼の本性を抑えきれないほどの失態を? 身に覚えがあり過ぎて釈明の余地もねえわ!)
響の堪忍袋が切れたと誤解しているレオン。ガタガタと震える歯を必死に隠し、生き延びるために頭を回転させる。
(おっ、おおお落ち着けレオン……! まだだ! まだ逆転の芽は残されているはず。殺されかけたぐらいで響さんとの生エッチを諦めるほど俺は童貞を拗らせてない! たとえレオン死すとも黄泉の國は死なず。脱衣婆ならぬエッッッッな脱衣鬼とよろしくできると思えば楽しみにもなるってもんだ。諦めるのは逝ってからでも遅くない。ピンチはチャンス。人生は追い詰められてからが勝負だろ!)
「落ち着いてください響さん」
「落ち着いて……? あれだけのことをしておいて落ち着いて……? ふざけないでください!」
(あかん。めっちゃキレとる。いつも穏やかな歳上系お姉さんの見る影もない! やっぱり俺のこと殺すつもりなんですね……嫌だァァァァー! 俺はまだ死ねない! なぜなら生響さんの膝枕の感触を知ってしまったから! まだうつ伏せになってないから! せめてうつ伏せでスーハーさせてください! せめて殺るならその状態でギロチンのように剣を振り落としてください! 痛いだけは嫌だ! せめて温かくて、柔らかくて、いい匂いがするところで死にたい!)
案の定、脳と下半身が直結した思考をするレオンだが、一方の響は内心で悲鳴をあげていた。
(よりにもよってレオンさんを……! みんなの大切なレオンさんを美味しそうなんて! 寝ている間ならバレないと誘惑に負けるなんて言語道断です――もう少しで喉の渇きを満たしてしまうところでした。まさか鬼の吸血衝動に負けていたなんて)
響は血を好む鬼である。見る、浴びる、飲む――いずれも鬼の本性である。
彼女は衝動に襲われた際、輸血パックからチューチューと吸い上げることで抑えていたのだが、突然レオンが意識を失ったタイミングでそれが訪れてしまった。
例えるなら喉の渇きが近い。
真夏の炎天下の中、大量の汗を消費し、喉がカラカラになったときに一杯の水を差し出されれば、誰しもが飛びつくであろう。
むろん響もレオンの血を全て飲み干すつもりなどなかっただろうが、誘惑に駆られたことは事実。だからこそ己が許せなかったのだろう。守るべき、支えるべき相手に鬼としての本性を抑えられないなど、論外。
隣にいる資格はない。
そう思い込んでいるに違いない。
後悔、悔しさ、羞恥。きっと色んな感情が彼女の中で渦巻いていることだろう。
冷静になどなれるはずがない。漫画的な表現だと目に渦を巻いたような状況である。
もちろんそんなことなど知る由もないレオンは、
(うろたえるな! 思考を止めるな! 生きることを諦めるな! 考えろ、考えるだ! 生き延びるために交渉するんだ……! この場で切れる
「「……」」
二人の間に沈黙が流れる。
(クソが! よもや俺を構築する要素は変態ドスケベだけだと⁉︎ 辛過ぎるだろ俺の異世界生活! いや、待て。あるじゃないか……こんな俺にも響さんに提供できるものが! 上手く口車に乗せれば生き残れるかもしれない術が! それもその場しのぎでなく、これからもずっと生き続けられる傑作だ。よし。覚悟を決めろ。まずは言質を取ることが先決だ)
「えっと……もしかしてですけど……響さんって私たちに隠れて輸血パックを吸ってますよね?」
「まさかご存知だったんですか⁉︎」
恐る恐るといった感じに確認するレオンに目を見開く響。
ビンゴ! と内心でガッツポーズを作ったのが前者、そんな……と元気を失ったのが後者である。
(フッ、舐められちゃ困りますよ響さん。こちとら衣擦れの音を聞きたいだけで盗聴――げふんげふん。風魔術を習得した非才。
「もしかして――生身の人間の方が美味しいのではありませんか? いや、もしくは私の体質――体臭が誘惑していたり、なんてことは?」
レオンの思い切った発言に響は観念する。
(さすがレオンさん。何もかもお見通しなんですね。なるほど……変に誤魔化そうとせず懺悔する場を与えてくださったわけですか。本当にこの人には敵いませんね)
「…………はい。その通りです」
(うおおおおおおお! 的中! 的中だ! キタキタ来たぁぁぁぁぁぁ! イケる! ここから上手く口車に乗せれば響さんとの生エッチを諦めずに生きていられるぞ! うおおおおおおおおおおおおおおおおおー!)
まるで暗闇に一筋の光明が差したがごとく、胸中で喜びを露にするレオンだったが、
「これまでずっと(吸血を)我慢してきたからこそ許せないんです!」
(許してえええええええ! お願いだから許してええええええ! まさか俺の思惑に勘づいて⁉︎ これから交渉を持ちかけようとしていることを見越して牽制ですか⁉︎ さすが腐っても鬼ですね! 俺を切り捨てることに躊躇や迷いが一切ない! ダメだ。出し惜しみしている場合じゃないぞ! ここは勢いに任せて乗り切るしかねえ!)
「その……もし響さんさえ良ければ私の血を吸ってみませんか?」
「なっ⁉︎ ななな何を言っているんですか!」
響にとっては全く想像していなかった提案である。だからこそ青天の霹靂と言わんばかりに動揺を見せてしまう。
それを視認したレオンは畳みかけるように言葉を並べ立てる。
「血を飲みたい――それは鬼である響さんの本能です。その欲望自体に良いも悪いもありません。人間で言ってしまえばただの生理現象でしょう」
「ですが」
食い下がる響。
それに奮起するレオン。
(こっちも命がかかってるんだ! 負けてたまるか!)
「定期的かつ適度に。そして適量の血を私から補充してみませんか? 別に吸血衝動を無理に抑える必要なんてどこにもないと思いませんが」
「――レオンさん」
どこか落ち着きを取り戻す響を視認したレオンの胸中に笑い声がこだまする。
(ダー、ハッハッハ!
名付けて『切り捨てご免はマジごめん。家畜になりますから御慈悲を』作戦だ!
俺の血が美味そうであることはさっき言質を取ったばかり。きっと響さんは失態続きの俺を仕留める際、鬼の本性も相まって切り捨てることよりも血を飲み干すことを選択したんだろう。
しかしそれが勿体無いと思わせることができれば俺の勝利だ。満足行くまで堪能できるとはいえ、定期的に血を口にできる方が魅力的だろう。
いくら高級食材でも一日で食べ切れる量には限界があるってもんだ。毎日だと飽きるしな。たまに口にできる方が幸福度は高い。それは鬼とて同じ。
つまり俺が変態ドスケベ院長から変態家畜のドスケベ院長に
生きる価値がないからこそ、血の提供は絶対条件。
美味しいそれを提供するためには俺自身が不健康になるわけにはいかない。
すなわち! 安全な暮らし、栄養価の高い食事、安定した睡眠といった生活が保証されるというわけだ。
いやぁ、天才過ぎて怖いぜ。自ら家畜に成り下がることによって生活の質を向上させるという奇策)
ゲスな思考と笑いが止まらないレオン。
あろうことかそんな彼に響は温かい感情に包まれていた。
(ああ……もう本当にこの人は。どうしてこんなにも私のことを大切に扱ってくださるのでしょうか。私が吸血しようしていたことは当然理解しているはず。にも拘らず、咎めることはおろか、それを受け入れてくださろうとして。私はやはりこの人が好き、異性として愛してしまっているのでしょう。いくら孤児院を一緒に回していく相方とはいえ、いつ襲われるかわからない鬼のために自らの血を定差し出そうとまでしてくれて――好き。大好き。この人が隣にいない世界が想像できません。人間にとって血液とは生命そのものです。それを何の躊躇もなく差し出そうとしてくださる男性だからこそ、私は魅力的な提案に対してこう回答することにしました)
「非常にありがたいご提案です。ですが――そんなことは神が許しても私が許しません!」
(なんでやねん! 神が許してんなら認めてよ!)
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