小説「R2」
有原野分
R2
「お父さんが倒れた」それを聞いた時、私は静かな合唱と単調な機械音とが全ての物事を暗示している病院の一室をふと頭にチラつかせた。それと同時に、これから訪れるであろう生活の変化に対しても考えざるを得なかった。ただ、実際に病院に駆けつけてみると、親父は医師の懸命なメンテナンスのおかげで難を逃れていた。メンテナンス、――私の親父はロボットであった。正式名称は〈CF2600型R―1〉である。とは言っても、外見は人間そっくりなので、特にこうして病院のベッドなんかに寝ている光景なんて誰がロボットだと思うだろうか。
私の親父、いや、父親代理ロボットなどの開発は今や一般的ではあるが、これも昔の人が見たらまるで夢物語のような気分に浸れるのかも知れない。ある日、母親が蒸発した。明日食べる金も無くなった私たち兄妹のような人間、つまりは貧困者でありまだ自ら生活できない、または家族、教育、社会生活などを受けられる環境ではない者の所に国が無償で家族代理を支給してくれるのである。いわば、生活保護みたいなものであろうか。ただ、なんて事はない、ただの代理なのだ。
しかしいくらロボットだとは言っても、れっきとした父親にかわりは無かった。勿論、私たち兄妹は本当の父親の、本当の人間のように愛していた。私たちと同じような血は流れてはいないが、愛があって当たり前である本当の家族であった。
「……一命はとりとめましたが、もって後一、二週間でしょうか。意識が回復してくれれば幸いですが、なにせこの型番はもう生産中止になっていますから……」
ようするに寿命であった。そればっかりはいくらロボットだと言っても手の施しようがない。私は、ベッドに眠っている親父をそっと眺めてみた。まるで嘘のようだった。親父と過ごした十年間の思い出が雪解け水のように頭から胸へ、胸からまた頭へ流れ、涙が溢れてきそうになった。しかし私は泣く事を諦めた。隣では泣き崩れている妹がいたからだ。「大丈夫だから、な?兄ちゃんがいるだろ?それにまだ、――」とは言えず、かわりに頭をそっと撫でた。まだ十三才である妹には、やはり辛い現実である。いや、妹のほうが私よりももっとしっかりとした現実を認めているのかも知れない。私は、親父がふいに目を覚まし、またいつもの笑顔を見せてくれるのではないのか?と思っていたのだ。親父の安らかな寝顔を眺めると、仕方のないことだった。――
私の淡い期待とは裏腹に、最後はあっけないものであった。妹はあれ以来あまり泣かなかったが、私は墓標を前に泣き崩れてしまった。最後の堤防が決壊したというよりは、決壊した堤防にようやく水が溢れてきた感じだった。墓標とはいっても、親父の亡骸はそこにはなかった。そっくりそのまま国に返却されたのである。ふいに、まだ妹が幼かった時の事を思い出していた。あの時も、不安そうに泣いていた妹の頭をそっと撫でたっけ。
私は、とりあえず、これからの事を考えた。はたして私の給料だけで生活を、妹を守れるだろうか。どうしても心苦しかった。頭の中で、何かが切り替わる様な音が、パチッと聞こえた気がした。
「ねえ、お兄ちゃん。これからは私も家事手伝うからね。だから、あまり無理しないでね」夕食中、妹に言われ私は時間の不可思議さをふと考えた。あれから一週間、いつの間にか私たちはごく自然に、二人になった生活を迎え入れていたのだ。この夕食だって、本来ならば三人分テーブルに用意されているはずなのに――。
「大丈夫だよ。無理なんてしないから、な?」とは言ったものの妹にだってそれが嘘だって事は分っているはずだった。しかし、私には一つ思い当る事があったのだ。それが事実だとすれば、私たちはもう大丈夫である。その時、玄関のチャイム音がなった。私は直感的に確信した。心が震える程に完璧なタイミングだった。それと同時に、私はやはり、時間の不可思議さを肌で感じ取ったのであった。
玄関を開けると、そこには郵便配達が来ていた。私は封筒を受け取ると、急いで戻り中身を確認した。中には二通書類が入っており、内容は次のようなものだった。
〈遺産相続に関する決定項目〉私はこれを見て、喜びの声を上げてしまった。これで私たちは助かったのだ!なんとかなる、ありがとうお父さん!――しかし、直接的な相続人の名前は妹になっていたのが気には掛ったが、きっと親父も妹の事を心配しての事だろうと思った。そして、兄妹で助け合って使えと親父の遺言らしき言葉も記載されていた。もう一通に目を通す。
〈CF2600型R―1について〉これには、親父のロボットの構造、停止に対する直接的な原因などが記されていた。どうやら親父の死亡には、機械の故障ではなく始めからプログラムされていたものによる事であった。それは、親子の役割を果たし、受給者に対しもう必要がないと判断した場合に停止する事、またはその期間が最長で十年を超えた場合、その親子にとって、……と最後まで読む前に、もう一度チャイムの音が鳴り響いた。私はさっきの人が何か届け忘れたのであろうと思い、妹に頼んで玄関に行ってもらった。
すぐに戻って来るだろうと思いきや突然「お兄ちゃん!」と叫ぶ声が聞こえてきた。私は急いで玄関に走ると、驚愕している妹の顔を見てまず驚いたが、何より、玄関前に立っていた青年の顔を見て驚いてしまった。私と同い年ぐらいの青年だったが、顔が私と瓜二つだったのである。「お兄ちゃんそっくり……」と呟く妹を前に、青年が不安げに「あの、突然で驚いたと思いますが、」と言い、少しためらってからグッと目に力を入れて「……やっと会えた。お兄さん!それと――」と言い掛けて、今にも泣きそうな顔で妹に目を移した。不安げな顔つきの妹を前に、何故だか私も泣きそうになっていた。話の先が全く見えないので、とりあえず中に入って話を聞く事にした。
「つまり、君は小さい時に生き別れた実の弟だと?」
「……はい、そうです。実は僕も兄妹がいるなんて最近まで知らなかったんです。でも、母が倒れた時にそのことを聞いたんです。実はお前には兄妹がいるって……。それで必死で探して、今日やっと見つけたんです」
「……ちょっと聞きたいんだけど、その母って私たちの実の母でもあるってことかい?」
「いえ、……僕の母はロボットだったんです。でも、本当の家族のように愛していました。それが、なぜか急に倒れちゃって……」
――どうしたらいいのか、分らなかった。私は、弟がいたこともそうだが、こんなタイミングで来るなんて、なにか運命染みた、または胡散臭さを覚えたが、青年の顔からは嫌な気配はなく、これも直観だが嘘はついていないと思った。妹もきっとそう思っているだろう。小さな声で「お兄ちゃん」と呟いた妹の顔は、さっきとはうって変わって喜びが溢れていたからだ。――
しかしながら、私は目に見える証拠が欲しかった。あまりにもタイミングが良すぎたからだ。もしかしたら遺産目当ての誰かが私そっくりに作ったロボットなのかも知れない。最近の技術なら、私そっくりに作ることは簡単であるし、それになぜ彼がここを見つけられたのかも不思議であった。だが、そんな事は妹を前にしては言えなかった。むしろ私も、今すぐ彼を抱きしめたい程に喜んでいたのだ。とりあえず夜も遅くなっていたので今日のところはもう寝ることにし、彼を親父が使っていた部屋に案内した。「……兄さん、ありがとう」と電気を消した暗闇からボソッと聞こえてきた。――さて、どうしたものか、と思いつつ私は一つだけ、間違いなく確認できる方法を思い付いてしまったのだ。
次の日、私はとある民間企業を訪れていた。不本意ではあったが、どうしても確信が欲しかったのである。「すみません、あの、DNA鑑定をお願いしたいんですが――」
しばらくして家に帰ると、妹が泣いていた。
「どうした?なんで泣いてるんだ?」
「さっきね、電話があったの……。お兄ちゃんへ伝言だって。お兄ちゃん、DNA鑑定って何のこと?電話の人がね、ロボットでは鑑定できません、って……」私はそれを聞いて確信した。妹には悪い事をしたが、仕方のない事だった。
「……ごめん。どうしても証拠が欲しくて……。でも大丈夫だから、な?お兄ちゃんがいるだろ?」妹の顔が、くしゃくしゃになっていくのがよく見えた。私は横にたっていた私そっくりな奴を睨みつけた。
「お兄さん、違うんです!僕は、その……」殴ってやろうかと思った。
「……お兄ちゃん!違うの、……その……」その時、またパチッという単調な機械音が、今度ははっきりと頭の中から聞こえてきた。
「一体何が違うんだ?それに何なんだこの音は?」ふいに嫌な直感がした。
「……もしかして……いや、違うだろ?」
妹はもはや声すら出せない程に涙を流していた。
「いや、まさか……そんな、そんな馬鹿な!」
その瞬間、私は意識が遠のくのを感じてその場に崩れた。その刹那に、私は親父のことを思い出していた。〈CF2600型R―1について〉――なんだ、そうだったのか。そういえば書類の最後に何か書いてあったな。本当の兄が現れたら、もう必要ないからな。さしずめ私は、《R―2》ってことか――。
かすかに聞こえて来る妹の泣き声に対し、もはや頭を撫でることもできなかった。
小説「R2」 有原野分 @yujiarihara
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