料理下手な担任の先生

 花宮先生の所持金は三五一円。

 現状であれば、物理的にギャンブルができない金銭状況だ。


 一応借金という手段はあるが、花宮先生はその手段に気が付いていないようだし、下手に教えない方が良いだろう。借金までしたら、いよいよ後に引けなくなりそうだからな。


 俺は財布から万札を三枚取り出すと、花宮先生に手渡す。


「受け取ってください」


「え? いいの?」


「はい。日用品がなきゃ生活できないですから。これで必要なものを買ってきてください」


「ありがと……パチンコで倍にして返すね」


「…………」


「じょ、冗談だよ? さっき約束したばっかだし……ね? だから、そんなゴミを見るような目で見ないで?」


「ゴミを見てるんです」


「ひどい!」


「一応言っときますけど、先生の給料が出たら、ちゃんと倍にして返してもらいますから。極力無駄遣いはしないようにしてください。パチンコとかで散財しようものなら、あとで辛いのは先生ですから」


「うわぁ高利子だ……」


 俺が温度を帯びない冷たい声色で告げる。


 まぁ、本気で倍にして返してもらう気はないが、ちゃんと時が来たら渡した額は返してもらう。


 俺は腰を上げて立ち上がると、


「じゃあ俺はこれからバイトに行ってきます。家を出るときは、そこにある合鍵を使ってください」


「あ、うんわかった」


「俺の私物勝手にあさらないでくださいね」


「し、しないよそんなこと!」


 見られて困るものは特にないが、念のため忠告しておく。


 荷物を肩にかけ、玄関に向かう俺。

 スニーカーに足を滑り込ませていると、不意に人影が差し込んだ。


 見れば、花宮先生が俺の背後に立っている。


「なにしてるんですか?」


「お見送りだよ」


「いや、そんなの大丈夫ですけど」


「え、そうなの? 私の家だと誰かしらがやってたからつい」


 家庭内ルールってやつか。

 花宮先生の家では、誰かが家を出るときに見送りをする暗黙の了解があったのだろう。


「そうですか。じゃあえっと行ってきます」


「うん。いってらっしゃい。アルバイト頑張ってね」


 花宮先生に見送られ家を出る。


 一年以上一人暮らしだった分、少し変な感じだ。思えば、家の中で声を出すこと自体珍しい。


 上手く語彙に表せない感じがむず痒いが、家に誰かいるってもの悪くないと少しだけ思う俺だった。




 ※




 バイトが終わり家に戻ると、焦げ臭い匂いがした。


 一瞬、キッチンの火を消し忘れたのかと焦燥に駆られたが、すぐに花宮先生が家にいることを思い出す。


 ほどなくして、花宮先生が俺のもとに駆け寄ってきた。


「お、おかえり黒木くん」


「どうしたんですかその格好」


「黒木くんからもらったお金で、エプロン買ったの。ほら、料理するなら必要だと思って。変かな?」


「いえ、変じゃないです。似合ってると思います」


「そっか、よかった」


 エプロンか。自炊はよくする方だが、まともに使ったことがない。家庭科の調理実習の時くらいか。


 エプロンを買うってことは、花宮先生は料理に対して真摯なのか、それとも──。


「なんか焦げ臭い匂いしませんか」


「あ、えっと、うん、それなんだけどね。火加減がうまくいかなくて、気づいたら肉が真っ黒で、その……」


 察しはついていたが、原因はそれか。


 俺はキッチンに足を運び、一通り目を通す。火が止まっているのを確認してから、換気扇を回した。


「火を使う時は換気扇を回してください。じゃないと匂いが蔓延します。あと危険です」


「換気扇……。そ、そうだよね。ごめんうっかりしてた」


「先生、料理とかあんまりしない感じですか」


「……す、するよ。うん、自炊大好き」


「自炊好きな人は、声が上擦らないし目が泳ぎませんよ」


 この様子じゃ、料理は得意じゃないのだろう。あと、嘘も苦手みたいだ。


 俺に詰め寄られ観念したのか、花宮先生は正直に吐露する。


「……ごめんなさい。ホントは全然料理したことないの。でも泊めてもらうわけだし、ご飯くらい作らないとって思ってやってみたんだけど」


 花宮先生は、申し訳なさげな表情で電子レンジから皿を取り出す。そこには、黒く焦げた肉が木っ端微塵に置かれていた。


「……これは?」


「一応、ハンバーグ……」


「料理経験ないのに、そこそこ面倒なやつチョイスしましたね」


「黒木くんの好みわからないから、男の子だったらハンバーグ好きかなって──え、あぁ! だ、ダメだよ食べちゃ! お腹壊しちゃうよ⁉︎」


 俺が一欠片皿から取って食べると、花宮先生は分かりやすく狼狽する。「ペッして、ペッ!」と吐き出す事を促してきたが、特に気に止めず食道へと流し込む。


 なるほど。

 これは、何も教えられずに食べたら、なんの料理か当てられないな。


「いえ、俺結構貧乏舌なので全然食べれますよ。腹も丈夫なんで」


「で、でも」


「捨てちゃ勿体ないです」


「……じゃ、じゃあ私が食べるから! 黒木くんはもう食べないで!」


 花宮先生は、皿を後ろ手に回し、俺から遠ざける。

 だが、俺は隙をついて花宮先生から皿を奪い取った。


「いや、常人が食べたら間違いなく腹壊しますよそれ。俺じゃなきゃ消化できません」


「そんな代物だったら余計食べさせられないよ⁉︎」


「とにかく、それは俺が食べます。先生はお風呂にでも入っててください。全体的に汚れちゃってますし」


 花宮先生の顔や腕には料理の最中でついたと思われる汚れが散見される。

 俺に言われて気づいたのか、花宮先生はハッとしていた。


「あ、ほんとだ……」


「そういうことなので」


「でも、それはほんとに食べなくて大丈夫だからね? もう食べ物というかダークマターって感じだし」


「わかってますよ。先生が風呂場に行ったらこっそり捨てるつもりなので」


「そうなんだそれなら安心……って、今言っちゃダメだよそういうことは! 台無しじゃん!」


 花宮先生は安堵したのか不満なのかちょっとよくわからない表情のまま、着替えを持って風呂場に向かう。


 俺は花宮先生の姿が見えなくなったのを確認してから、残りのハンバーグを食し始めた。


「……まぁ、初めてならこんなもんだよな」

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