第20話 図書室の怪 ④

 図書室にむかう廊下は薄暗くて、夏だというのになんとなくひんやりする。教室の窓から何かがわたしたちをのぞいているような不気味な闇が広がる。誰かが消し忘れたプロジェクターの主電源ランプが魔物の目のようにぎらりと光る。わたしとリサちゃんはお互いに手をとりあって、身をよせあいながら歩いていた。


「安倍くんの恰好ってさぁ……」


 リサちゃんが3mほど先を歩いている安倍くんを見ながら、わたしにだけ聞こえるような小さな声で囁いた。


 白い狩衣が真っ暗な学校の廊下でぼわっと浮かんでいる。狩衣の袖の部分についている袖くくりの紐は黄緑色。指貫だったっけ? ズボンみたいな袴みたいなものは地が深緑で模様が入っている。それから、手には扇。首からは水晶かな? 丸い玉が数珠のように並んでいる首飾りをしている。でも、さすがに、浅沓と呼ばれる木の靴は履いていなくて、黒い運動靴だった。


「あれって、『陰陽師の晴明くんはのんびりスローライフを送りたいのに、みんなが許してくれません!』の晴明くんを意識してるよね? ね?」

「?」

「この前、安倍くんが持っていた本。安倍くんおススメだから、リサ、すぐに読んだんだ」

「へ? ……」


 驚きすぎてカエルをつぶしたような声をあげそうになった。図書室に行ったときに安倍くんが手にしていた本なんて、今の今まで忘れていたわ。恐るべしリサちゃん! 


「やっぱ、物の怪を調伏するには、あの格好よね! でも、狩衣なんて実際に着ている人を見るの初めてよ。……できるなら、期末試験前に拝みたかったわ。そしたら、もう少し古典の点数もよかったかもしれないじゃない?」


 いや。それはないと思うよ。リサちゃん。


 リサちゃんが安倍くんの服装に盛り上がれば盛り上がるほど、わたしの気持ちは戸惑っていく……。


 




 結局、わたしとリサちゃんは、安倍くんの誘いに応じて、木曜日の夜、東雲中学の図書室へ物の怪退治に行くことにした。安倍くんが調伏するところをこの目で見たいというリサちゃんの好奇心と、図書室で感じたぴりぴりした感覚の原因を知りたいと思ったから……。


 安倍くんに誘われた次の日の放課後、『図書室に物の怪が出るようだから、一緒に行ってほしい』とリサちゃんと一緒に柳井センパイに相談しに行った。でも、柳井センパイは「くだらない。やめとけ」の一言。リサちゃんはそんな柳井センパイを『クールで素敵! 目の保養!!』と目をキラキラさせていたけど、わたしはいつもならうんざりするほどの御託をならべるなのになぁと違和感を覚えた。それに、「琉青りゅうせいのやつ……」と、安倍くんの名前を小さくつぶやいたのが気になった。





 ふと、廊下の窓から外を見ると、少し離れたところの校舎にある職員室とそれから4階の理科室の電気がついているのが見えた。待ち合わせが7時半だったから、今の時間は8時少し前くらい。


「ねえ、なずな。理科室の明かりがついてるよ。柳井センパイがリサたちのことを気にして残ってくれてるのかな?」

「わたしもそんな気がしていた」

「でも、それなら、どうして一緒にきてくれなかったんだろう?」

「そこがわからないの。安倍くんも、さっき、待ち合わせ場所にわたしとリサちゃんだけがいたのを見つけた時、『いないのかよ』って言ったでしょ。あれも気になってる」

「そんなこと言ってたの? リサ、全然気がつかなかった」


  そりゃ、リサちゃんは安倍くんの衣装に気を取られていたからだよ。


 心の中で説明をすると、リサちゃんが大きく頷いた。


  今のわたしの心の声が聞こえたの?


 わたしの心の中を読まれたのかと思って、ドキッと心臓がはねる。

 でも、リサちゃんは全く別のことを口にした。


「……、それでわかったわ。今回、リサたちが選ばれた理由」

「へ?何?」

「それはね……」


 リサちゃんが意味深に笑う。


「安倍くんの狙いは、ずばり! 柳井センパイ!」

「どういうこと?」

「実は、安倍くんは柳井センパイに告ったけどフラれた」

「はあ?」


 思わず声が裏返る。


 いくらなんでもその設定はないんじゃない?


 リサちゃんがふふふと笑う。

 

「まあ、それはリサの妄想だけどね。ただ、何らかの理由があって柳井センパイに近づけないのは事実じゃないかな? だけど、安倍くんとしては柳井センパイに相手をしてほしい。そこで、柳井センパイのお気に入りと言われている『芹沢なずな』に目をつけた」

「はあ……」


 もう、つっこむ気力もない。


「この前、図書室で話しているとき、給食室の一件も知っている風な感じだったじゃない?」

 

 確かに。あの時の安倍くんの顔はすごく意地悪かった。物の怪のせいだと思うんだけどねって言うし、焦ったことを思い出す。


「……あの時はリサちゃんに助けられたわ。……ありがと」

「どういたしまして」


 お互いに顔を見合わせてふふふと笑う。

 

「柳井センパイって基本的には理科室から出ないことで有名じゃない? 安倍くんは、柳井センパイがなずなと一緒に給食室へ行ったということを誰かから聞いたんだよ。それで、なずなに物の怪の話をすれば、柳井センパイが出てくると考えた」

「そっかぁ。そうだよね。ほとんど初対面だっていうのに、『芹沢なずな』に反応したし、妙に物の怪や理科部に詳しそうな口ぶりだった……」


 柳井センパイも安倍くんのことを知っていた。相手にしないつもりなんだということも、今ならわかる。それって、やっぱり、リサちゃんのいうように、告白したから?


 いやいや、それはない……よね?

 

「じゃあさぁ。柳井センパイがいないけど、これから行く図書室での物の怪退治、大丈夫なの?」

「それは、大丈夫じゃない? なずなとすずしろもいるし……あれ? そういえば、すずしろは?」


 リサちゃんがきょろきょろとすずしろを探す。


「すずしろは三好堂のアイス最中を食べすぎたとか言って、おばあちゃんの工房のお気に入りの場所でうずくまっていたわ。今日なんか、おばあちゃんのお客さんが持ってきたアイス最中を4つも食べたのよ? いくら好きだって言ったって、食べすぎよね……」

「え? すずしろって、そんなにアイス最中が好きなの? じゃあ、今度はリサもお土産にはアイス最中にしよっと!」


 図書室に先に着いた安倍くんが振り返った。口に指をあてて静かにと合図を送ってきた。目が怒っている。


「しー。いくらなんでも、君たちはおしゃべりしすぎ。相手に気づかれたらどうする?」

「あ、ごめん」


 わたしとリサちゃんは声をそろえて謝る。


「ほら、感じないかい? 少し生臭いにおいが図書室からするよ」


 安倍くんが、図書室のドアを指す。


「え? そうなの? リサ、全然わかんない……」


 リサちゃんが鼻を動かしてにおいをかぐ。わたしも同じように鼻を動かす。二人で顔を見合わせて首をかしげる。


「動物の物の怪だな。覚悟はいいかい? 二人とも」

「……、安倍くん、図書室に入る前に、一つ確認してもいい?」

「なに? 芹沢さん」

「安倍くんって、柳井センパイに告白したの?」




 




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