アルバムは見終わってしまった。片付けも落ち着いてしまった。であれば、この手紙を手に取る。今のわたしには、それしかやることがない。
覚悟を決めて、一つ大きく息を吐き出して、封筒から便箋を取り出した。そこには、彼の丁寧な字で、言葉が埋め尽くされていた。
――佐藤へ。
本当は直接伝えたかったけど、上手く話せるかわからなかったから、手紙にしました。
まずは、今日まで本当に楽しかった。いろいろとありがとう。佐藤といると、何でもないことが楽しく感じられて、学校に来るのが楽しかった。
佐藤は覚えていないと思うけれど、おれたちは転校前、五年生の時、三月に会っています。その時の佐藤は下ばかり向いて、おれの顔はほとんど見ていなかったから、たとえ覚えていたとしても、おれだと気づいていないと思う。だけど、おれにとってはその時の出会いが、忘れることのできない大切な思い出となっています。
もしあの日会わなければ、おれはこの一年間の生活を、最悪で、うんざりするような日々にしていた。そう思うから。
だから、おれにとって佐藤は、前を向かせてくれた恩人です――
「嘘……」
わたしはそこまで読んで、思わず呟いていた。わたしと吉田くんが、五年生の時に会っている? まったく覚えのない話に、若干の混乱がわたしを襲っていた。戸惑いつつも、続きを読み始める。
――実は去年、突然転校することが決まって、おれはすごく嫌な気持ちでいっぱいだった。家族と離れて暮らすことも、今までの友達と別れることも、全然誰も知らない場所に行くことも、全部が嫌だった。だから、父さんと一緒に先生へ挨拶しに行った時も、嫌々連れて行かれて、ものすごく不機嫌だった。父さんと先生の話が長くてうんざりしたおれは、こっそりとその場を逃げ出した。だけど、知らない場所であまり遠くにも行けなくて、学校内を彷徨った。擦れ違う誰もが、おれに不審の目を向けてきた。余所者――そう言われている気がした。遠巻きにひそひそと噂され、居心地は悪かった。誰もいない場所へ行きたくて辿り着いたのは、飼育小屋の前だった。放課後だったけど、近くには誰もいないその場所で、動物や花を見ていた。
佐藤に会ったのは、そんな時だった。
佐藤が、飼育小屋の前に来たんだ。佐藤はおれの姿を見て、びっくりしたように肩を跳ねさせていた。うさぎ小屋の前に行きたいのに、おれがいるから引き返そうとしていた。ここでも同じか……そう思ったらイライラして、佐藤は何も悪くないのに、おれは不機嫌な声を出していた。ここにいると邪魔? って。そしたら佐藤は、取れそうな勢いで横にブンブンと首を振った。怯えて声も出せないくせに、一生懸命否定したんだ。それが、妙に嬉しかった。
その後、戸惑いながらもそばに来てうさぎを眺めている佐藤に、大げさだけど、ここにいていいって言ってもらっているような気がして、ほっとした。
逃げないでいてくれたこと。邪魔じゃないって示してくれたこと。そんな意味でした行動じゃないって、わかってる。佐藤は、そんなつもりじゃなかったってことはわかってるんだけど、それでもその時のおれは、安心したんだ。
それ以上何も話さなかったけど、同じ空間にいさせてもらえたことが、何だか居場所をもらったようで、おれには十分だった。
だから転校してきた時、同じクラスに佐藤を見つけて、びっくりした。あまり話さなかったし、小さかったから、てっきり下級生だと思ってた。それが同じ六年で、同じクラスで、また会えた。おれがどれだけ嬉しかったか、佐藤は知らないでしょ。挨拶したり、話しかけたんだよ。覚えてる? 佐藤は人見知りだから、仕方ないのはわかってるんだけど、すごくビクビクして、怯えてた。おれのことを覚えてないんだなってことは、すぐにわかった。怖がらせたくはなかったから、それからは用事がある時以外は、あまり話しかけないようにした。ちょっとずつ仲良くなれたらいいなって、思ってたんだ――
読んでいるうちに、ずっと忘れていた光景が蘇った。そうだ。知らない男の子と、うさぎ小屋の前にいたことがある。何だか不機嫌そうな、怒った顔をした男の子。どこか怯えた、寂しそうな男の子。それが、吉田くんだったんだ。
記憶の中の彼は、一人ぼっちだった。怒ったような目をしているのに、どこか泣きそうだった。
本当は、知らない子と一緒にいるのは苦手だから、帰ってしまおうと思っていた。だけど、どうしてか一人にさせるのは憚られて、わたしは逃げずに、その場に留まったんだった。
雰囲気が全然違う……まさか、同一人物なんて……。
――全然仲良くなれないなと思っていた頃、飼育園芸委員に決まった。じゃんけんに勝ち残れたのは、運が良かったと思う。でも実は、飼育園芸委員にはなりたくなかったんだ。動物や植物の世話なんてしたことないし、特に興味もなかった。でも立候補したのは、佐藤が手を挙げていたから。同じ委員になったら仲良くなれるんじゃないかなと思って、それで手を挙げたんだ――
驚きの連続。まさかだった。信じられない思いでいっぱいだ。
――だけど、おれには佐藤に謝らなきゃいけないことがある。最初の頃、委員の仕事は忘れていたって言ったけど、実は嘘なんだ。
前に佐藤が、自分が嫌で、おれみたいになりたいって言った時、怒ってごめん。本当は、おれみたいにはなってほしくなかったんだ。嘘吐きで、周りにどう思われるかを気にして、尻込みする臆病なおれみたいには、なってほしくなかっただけなんだ。
佐藤が思うほど、おれは優しくもないし、良いやつでもない。いつだって、佐藤の勇気に縋ってる。便乗してる。こうやって手紙に書いているのだって、口では絶対に伝えられなかったから。見栄を張って、言えないままでいたに違いないから。だから、こうして手紙にしてる。それだって、ずるいよな。伝えたかったことをちゃんと伝えたいからっていう、おれの一方的なわがままだ。それでも、許してくれたら嬉しい。
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