鈍感ピュア

 

苺樺いちか、おめでとう」

「ありがとう、お母さん」

「とうとう、この日が来たのか……何故、よりにもよって今日なんだ……」

「どうしてお父さんは、泣いてるの?」

「おとーさん、よしよし」

「気にしなくていいのよ。やっぱり、仕事を休んで自分も行くって言い出したんだけど、大事な会議があるらしくてね。晴れ姿を見られなくて、悲しんでいるのよ」

「そ、そう……」

「さ、そろそろ時間よ。苺樺、後で行くからね」

「うん。じゃあ、行ってきます」

 玄関のドアを開けると、抜けるような青空が広がっていた。

 庭を通り、通学路を目指す。

 その途中で、プランターに立ち寄った。わたしのイチゴが、花を咲かせている。

 あれから毎日きちんと観察して、気を配った。

 その甲斐あってか、イチゴはしっかりと育ってくれている。

 約束はなくなってしまったけれど、育てることをやめる理由にはならない。

 これもいつかは、今日の日のように思い出に変わるのだろうか。

 去来する寂しさに、視線を落とす。新品の靴が、元気づけてくれているようだった。

 そうだ。今日は特別な日だ。

 いつもとちょっと違う服装は、スカートスーツ。まるで中学校の制服みたいで、どきどきする。

 制服のない学校だから、今日はみんないつもよりおしゃれをして晴れの日を迎える。

 わたしも、今日のためにこの服を買ってもらった。

 深呼吸をする。ピシッとした服装に、背筋が伸びるようだ。

 今日は、卒業式。六年間通った学校を、卒業する日だ。

 そして、吉田くんに会える最後の日。

 絶対に、悔いなく過ごそう。

「よし」

 気合いを入れて、気持ちを新たに、わたしは学校へと一歩踏み出した。


 体育館の脇で、入場待ちをする。既に中は、保護者や在校生で半分以上が埋まっているだろう。

 それでもまだ、なんだか実感が持てない。本当に、今日で卒業してしまうのか。これもまだ、練習ではないのか。そんな思いさえ、過っていた。

「苺樺、緊張してきた……」

 わたしとは対照的に、そわそわしているかおりちゃん。相変わらずクールな片山さんに、宥められていた。

「やっべえ……何言うか飛びそう……証書受け取る時、どこで礼するんだっけ?」

 どうやら、木村くんも緊張しているらしい。互いにけんかする余裕もないようだった。

 ちらりと視線を滑らせる。吉田くんは、口を閉ざしていた。周りのみんなも当たり障りのない会話をしている。

 吉田くんが引っ越すことは、わたしが話を聞いた翌週に広まっていた。どうやら、一番に話してくれたらしい。約束のことで、ショックを受けると思ったのだろうか。実際はわからないけれど、気にかけてもらえているだけで嬉しくなった。

「ねえ、苺樺」

 こそっと、かおりちゃんが話しかけてくる。わたしが耳を寄せると、ひそひそと小さな声で話し出した。

「吉田に告白するの?」

「ええっ!」

「佐藤さん、声大きい」

「ごめん……」

 片山さんにしーっと注意され、慌てて口を覆う。かおりちゃんが、ごめんとジェスチャーした。

「でもさ、ほら、今日しかないわけじゃん。いいのかなって思って……」

 わたしは、口を閉ざす。確かに、考えなかったわけじゃない。むしろ、二月にできなかったことをリベンジする、いい機会だ。もう会えないなら、緊張よりも勇気の方が勝る。

 だって、今日しかないのだから。

「そうだよね。今日言わなきゃ、二度と言えないんだよね」

 言おう。伝えよう。そうして、お礼を言おう。

 吉田くんがいたから、この一年間、素敵な思い出がいっぱいできた。

 恋をしたから、世界が違って見えた。いろんな話をして、一緒にたくさんのことをして、本当に楽しかった。その想いを、伝えたい。

「わたし、言うよ。告白する」

 自然と、唇が弧を描いていた。かおりちゃんと片山さんが、少し驚いたような顔をする。

 しかし、それも刹那。二人は、優しく微笑んでくれた。

「苺樺、今すごくいい顔してる」

「凛々しい顔。佐藤さん素敵」

「ええっ……! あ、ありがとう……」

 照れ臭くて、少し下を向く。すると「いつもの苺樺だ」と、楽しそうな声が降ってきた。

「佐藤さんの想い、伝わるといいね」

「伝わるよ。苺樺なら、大丈夫」

「何だ、まだだったの?」

 ふいに声をかけられ振り向くと、松井さんが立っていた。驚いていると、少し吊り上がっていた彼女の瞳が、ふっと和らぐ。

「今度こそ、上手くいくといいわね」

 そう言って、松井さんは他の女子のところへと行ってしまった。

「何だったの?」

「応援してくれたんだよ」

「あの子がね……」

「あ、入場するみたい」

 先頭が動いた。いよいよ、卒業式が始まる。

 体育館に入ると、拍手で迎えられた。練習とは違う風景に、途端に緊張感が押し寄せる。

 だけど、大丈夫。いっぱい練習した。お母さんたちが、見てくれている。

 わたし、こんなに大きくなったよ。そう伝えるつもりで、堂々と胸を張って、笑顔で自分の席へと歩いていった。


◆◆◆


 卒業式が終わって、今はみんなで教室にいた。こうして過ごすのも、これが最後。そう思うと、六年間もあっというまに感じられて、すごく感慨深くなった。

 お母さんたちは、帰らず待ってくれている。みんな写真を撮ったり、アルバムに寄せ書きをしたりして、各々過ごしていた。

 かおりちゃんたちとは、また遊ぼうと約束している。みんなに挨拶をして、わたしは教室を出た。

 以前、吉田くんと約束した飼育小屋前へ向かう。いつのまにか姿が見えなかったから、先に向かったのだろう。わたしは、急いで向かった。

 すると、うさぎ小屋の前。格好いい、スーツ姿の吉田くんがいた。

「ごめんね、遅くなって」

「いいよ。もう平気だったの?」

「うん、大丈夫だよ。それで、何か話?」

「伝えたいことがあって。だから、来てくれてありがとう」

 何だろう……。わたしは、少し身構える。

 すると吉田くんは、すっと封筒をわたしに差し出した。手紙だ。

「本当は、全部自分の口で伝えたかったんだけど、すぐ行かなくちゃいけなくて」

 その言葉に弾かれて、顔が上がる。

 もう行ってしまうの――? わたしは、震える唇を開いた。だけど、音が出ない。動揺してしまい、餌を求める金魚のように、ぱくぱくと口を動かすことしかできなかった。

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