それはまるで泣きそうな、初めて見る顔だった。
「ごめん、佐藤。実は、卒業したら、また引っ越すことになったんだ」
「嘘……」
引っ越し……? じゃあ、吉田くんは遠くに行っちゃうの?
「卒業式が終わったら、元々住んでた家に戻るんだ。だから、同じ中学には行けない」
「そんな……」
「ねえ、おれの家こと、
「え、あ、うん……おばあちゃんたちと、暮らしてるんだよね」
「うん。おれの母さん入院してたんだけど、この前退院したんだ。試してみた治療法が上手くいって、すっかり元気になった。だから、父さんと母さんと、また前みたいに家で暮らせるようになったから、卒業を機に戻ることになったんだ」
「そ、そうだったんだ……お母さん、退院できて良かったね。寂しいけど……そういうことなら、仕方ないよね……」
語尾が弱々しくなる。そのまま俯いた。
仕方ない。そうだ、仕方ないんだ。だって、良いことじゃないか。お母さんが元気になって、退院できて、またお父さんとお母さんと一緒に暮らせるなんて。
今日まで、寂しい思いをしてきたに違いない吉田くん。彼の願いが叶ったといっても、大げさではないだろう。
だから、泣いちゃだめだ。だってそれは、わたしのわがままだから。そんなことで、吉田くんを困らせちゃいけない。
そう思うのに、視界が滲んだ。堪えるように、下唇を噛み締める。溢れさせまいと、少し上を向いた。
「最近様子がおかしかったのは、そのせいだったの?」
「おれ、変だった?」
「うん。なんだか様子が違って、気になってた」
「そっか……やっぱり佐藤は、よく見てるね……ありがとう。おれ、この一年、すごく楽しかった。佐藤のおかげだよ、本当にありがとう」
まるで、別れのセリフ。追い打ちをかけるようなその言葉に、遂に堪えきれなくなってしまった。
「泣かないで」
「ごめん、ごめんね……でも、やっぱり寂しいなって思ったら、わたし……」
イチゴの約束より何より、もう会えない。そう思ったら悲しくて、寂しくて、苦しくて、どうしようもなかった。
両手で顔を覆う。もう止められそうにはない。
隣で吉田くんが、ティッシュを差し出してくれた。
「卒業式までは、こっちにいるからさ。あとちょっとの間、よろしくな。それと、もう一つお願いがあるんだけど、そのまま聞いてくれる?」
こくりと頷く。それを見て吉田くんが、淡い苦笑を浮かべていた。
「卒業式が終わったら、飼育小屋の前に来てくれない?」
「飼育小屋?」
「うん。思い出の場所なんだ。お願い」
「わかった……」
「ありがとう」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を見られたくなくて、指の隙間から吉田くんを見た。優しい眼差しに、胸が締めつけられる。
卒業式までなんて、あとほんの数日しかない。
そんなわずかな時間しか、一緒にいられないんだ。
そう思うとまた涙が溢れてきて、そのまましばらく、わたしは泣き続けた。
吉田くんはただ黙って、わたしが落ち着くまで隣にいてくれていた。
辺りが暗くなってきた頃、吉田くんはわたしを家まで送ってくれた。わたしは、まともに話せないほど泣き疲れてしまっていた。
あまりにもひどい顔をしているものだから、わたしを見たお母さんがびっくりしていたけれど、友達が引っ越すことになって悲しくなったという話をして、一応は安心してくれたみたいだった。
今は自室のベッドの上で、猫のクッションを抱き締めて転がっている。
視界の隅には、今日吉田くんから貰ったプレゼントが映っていた。そういえば、缶の中には何が入っているんだろう?
気になって、袋を手繰り寄せる。可愛いうさぎのぬいぐるみはどこに置こうかと考えながら、缶を取り出して蓋を開けた。
「キャンディーだ」
イチゴやレモン、りんご味などカラフルなキャンディーが姿を見せた。宝石のような綺麗な色に、ちょっと元気が出てくる。
「わざわざ、選んできてくれたんだよね」
わたしがイチゴを育てていることへの、お礼だと言っていた。約束を守れない、お詫びも兼ねて。
「わざわざ、いいのに……」
そうは言いつつも、自分のことを考えて選んでくれたのかと思うと、嬉しくなる。
泣いたおかげか、少し気持ちがすっきりしているのを感じていた。
引っ越しは決まったこと。抗えない未来。
だったら、残された数日。わたしにできることは、悔いなく楽しく過ごすことだ。
「笑顔で、さよならできるように……」
わたしはそう決めて、そっとキャンディーの蓋を閉めた。
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