そして何事もなく数日が過ぎ去り、ホワイトデーがやってきた。

 わたしは、先日かおりちゃんと片山さんと一緒に作ったクッキーを、二人とともにクラスの女子に配る。

 みんなが喜んでくれて嬉しくなっていると、そこに木村くんがちらちらとこちらを見ながら近付いてきた。

「何、挙動不審になって、気持ち悪い。あ、わかった。クッキーが欲しいんでしょ」

 相変わらずのかおりちゃんに、ムッとする木村くん。

 一月前の再来かとはらはらしたが、木村くんがわたしと片山さんへ「ん」と腕を突き出した。

 その手には、何かの包み。そっと受け取ると、中にはクッキーが入っていることがわかった。

「一応、お返し」

「ありがとう、木村くん」

「木村がお返し? 何、熱でもあるわけ? 今から大嵐でも来るんじゃ……」

「かおりちゃん……」

 目を丸くして、本気で驚いているかおりちゃん。確かに去年は、お返しをもらった覚えがない。

 この驚きよう……今までもそうだったのかもしれない。

「わかった。槍が降るのね」

 冗談でなく、本気の目をしたかおりちゃんに、木村くんが小さな包みを渡す。

 それは、明らかにわたしたちが受け取った物とは違っていた。

「何よ」

「やる」

「やるって……」

 胡乱顔で、手の中の包みに視線を落とすかおりちゃん。

 その瞳が、徐々に見開かれていく。

「あんた、お返しにこれって……意味、わかってんの?」

「は? 何だよ。いらねえなら、返せ」

「嫌。これは、もうあたしの物」

「だったら、何も言わずに受け取っとけよな、山本のゴリラ」

「はあ? 木村、今あんた何言って……!」

「山本のゴリラー!」

「ちょっ……待てー!」

 逃げ出した木村くんの後を追うかおりちゃん。机の上には、木村くんから渡された包みが残されている。

「これ……マカロン?」

「そうみたい。木村くんが意味を知っていたら、面白いのに」

 そういえば、かおりちゃんも意味がどうとか言っていた。いったい、何のことだろう?

 そのまま片山さんに尋ねると、目の前の友達は微笑みながら教えてくれた。

「ホワイトデーのお返しには、意味があるんだよ。クッキーだったら『友達』。マカロンは『特別な人』。マシュマロだったら『あなたが嫌い』といったように」

「ええっ、知らなかった。マシュマロは、意外だな……」

「木村くんのことだから、きっと知らないで選んだんだろうね。吉田くんならともかく、木村くんは調べるってことをしないだろうから」

「そう、だね……」

 マカロンは『特別な人』か……きっと、かおりちゃんは木村くんが意味を知っていても知らなくても、どちらでも構わないと思うだろう。

 お返しを貰えただけでなく、わたしたちとは違うものを選んでもらった。それだけで、きっと嬉しいに違いない。

「いいな……」

 思わず呟いていた。だってわたしは、渡せていない。だから、お返しなんて貰えない。それが少し、胸にちくりと痛みを生んだ。

 でも、仕方がない。誰も悪くない。過ぎたことを言うのは、よそう。

「もうすぐ、休み時間が終わるね。あの二人、戻ってくるかな?」

「大丈夫じゃない? じゃあ、席に戻るね」

「うん」

 わたしも席に戻っていようと、くるりと振り返る。すると、吉田くんが目の前に立っていた。

「わっ、吉田くん!」

「ごめん、驚かせた」

「ううん。わたしの方こそ、ごめん。何か、用だった?」

「今日、一緒に帰れる?」

「え……うん、大丈夫だけど……」

「じゃあ、放課後」

 それだけを言って、吉田くんも席へと戻っていく。

 今まで、そんな約束などしたことがなかった。いったい、どうしたんだろう?

 わたしは戸惑いながら、その場に呆然と突っ立っていた。


◆◆◆


 放課後、わたしは約束通り、吉田くんと一緒に帰り道を歩いていた。

 どこか、いつもより口数の少ない吉田くん。話しかけても、上の空のようだった。

 らしくない。いったい、どうしたのだろうか。やっぱり、何かあったのかな?

 そう心配になってきて、自然と歩幅が小さくなる。吉田くんが合わなくなったスピードに気が付いた頃には、わたしの足は止まっていた。

「佐藤、どうした?」

「吉田くんの方こそ、様子が変だよ。どうしたの? 何かあったの?」

 ランドセルの肩ひもをぎゅっと握り締めて、窺うように吉田くんの顔を見た。

 わずかに見開かれた瞳は刹那、伏せられる。彼との距離は数歩先なのに、なんだか遠い。壁がある気がした。

「佐藤」

 呼び掛けられ、未だ逸らされたままの瞳を見つめる。彷徨った視線が、やっとこちらを向いた。

「これ、受け取ってくれない?」

 何だろうと思い、彼に近づく。そうして差し出された物を、両手を出して受け取った。

 どこか、お店で買ったのだろう。小さな、可愛らしいラッピングバッグ。中を覗くと、これまた可愛い缶と、小さなうさぎのぬいぐるみが入っていた。

「出してもいい?」

「良いよ」

 あまりの可愛さに目を輝かせて、その場で袋から中身を取り出す。

 わたしの好み、ストライク。一瞬にして、胸を撃ち抜かれた。

「可愛い! お菓子? 動物がいっぱい描かれてる! このうさぎ、もふもふ! ……でもこれ、どうして?」

 とっても嬉しいが、これらを貰う理由が思いつかない。不思議に思い首を傾げると、わたしの喜びに反して、吉田くんは困った顔をしていた。

 わたし、聞いちゃいけないことを聞いたのかな? でも、理由もなく貰うわけにはいかないよね。

 そっと袋にぬいぐるみたちを戻して、再び吉田くんに向き合う。しかし、吉田くんは踵を返して、とぼとぼと歩き出した。わたしは、その背を追う。隣に並ぶと、前を見ている彼から、提案があった。

「ねえ、ちょっと向こうの公園に行かない?」

「公園?」

「話したいことがあるんだ」

 いつにも増して、静かな声。わたしは、頷いた。

「ありがとう」

 そう言ったきり、吉田くんは黙ってしまった。そのまま無言で、公園へ向かう。

 賑やかな広場から少し離れた、静かなベンチ。そこへ二人並んで腰掛けると、彼は訥々と語り出した。

「さっき渡したのは、お詫びとお礼。おれ、約束守れなくなった」

「え?」

「イチゴ、一緒に食えなくなった」

 約束を守れないって、それ、どういうことなの?

 わたしが呆然としていると、吉田くんはこちらを向いた。

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