未熟オビディエント

「吉田、ケータイも連絡返ってこないよ。木村も、何も聞いてないって」

 休み時間。かおりちゃんと片山さんとで、吉田くんの話をする。

 バレンタインのことは、既に話していた。

 気になったのだろう。日曜日に、かおりちゃんが電話をくれたからだ。

 ちなみに、そのかおりちゃんはというと、木村くんにチョコを渡せたものの、告白はできなかったそうだ。いつもように、けんかしてしまったらしい。

「吉田に会ったら、シメてやろうと思ってたのに……こうなると、心配になってくるね」

「かおりちゃん、痛いのはだめだよ?」

「何言ってんの。苺樺いちかは、悲しい思いをしたんだから。吉田は、相応の罰を受けるべき」

「罰って……吉田くんは、何も悪くないよ。だって、何も知らないんだから」

 思っていることを素直に伝えると、眉根を寄せたかおりちゃんが盛大に溜息を吐く。

 まさか、怒らせた――? びくりと肩を揺らすと、苦笑に表情を変えた彼女に、ふわりと抱き締められた。

「優しいね、苺樺」

「佐藤さんは、いい子」

「二人とも……」

 向けられる瞳が、温かい。

 確かに悲しかったけれど、二人のおかげで幾分か気持ちが和らいでいた。

「もしかしたら、吉田くん。お父さんやお母さんのところに行ってるのかもね」

 さらりと話す片山さんに、わたしとかおりちゃんは、顔を見合わせる。

「待って、片山っち。今のそれ、どういうこと?」

「あれ? 知らない?」

 きょとんと首を傾げる片山さん。

 かおりちゃんは、驚きを隠せず詰め寄る。

「え、何。片山っち、何を知ってるの?」

「何って……お母さんが病気で入院中だから、吉田くんはおじいちゃんとおばあちゃんの家に住んでるんでしょ? お父さんとは、離れて暮らしてるって聞いたよ」

「そうなの?」

「転校してきた時に聞いたら、教えてくれたよ」

 言葉を失う、わたしとかおりちゃん。

 聞いたこともなかった。知らなかった。

 今の話を聞く限り、言いふらす内容でもないけれど、隠しているわけでもないようだった。

 吉田くんは、わたしが聞いても教えてくれていただろう。

 ただ、そう……聞かなかったから。だから知らない。

 吉田くんのことを見ていたつもりで、わたしは彼の表面しか見ていなかった。

 目に見える部分だけを見て、満足していたんだ。

 何も知らないくせに好きだなんて……そもそも、友達としてどうなんだろう。

 運動会の時のことが、脳裏に蘇る。

 一人ぼっちだった吉田くん。

 いったい、どんな気持ちでいたのだろうか……。

「木村、ちょっと」

「何?」

 かおりちゃんが、教室内にいた木村くんを呼ぶ。

 今の話を知っていたのか。そのことを尋ねていた。

「ああ、それは知ってる。弥生やよいのじいちゃんは仕事しててあんまり家にいないけど、ばあちゃんはいつも家にいるから。なんか、足が悪いらしくて、部屋からほとんど出ないって聞いたな。母ちゃんのことは、入院してるってくらいで、詳しくは聞いてねえけど」

「そう……」

「何かあったのかな?」

「たぶん、そうだろうね」

 沈黙が訪れる。木村くんが耐え切れないと言わんばかりに、明るい声を出した。

「そのうち、またいつもみたいに学校来るって。明日とか、ひょいっと現れるんじゃねえ?」

「木村、先生が一週間くらい休むって言ってたでしょ。話聞いてなかったの? 来たとしても、来週」

「そうだっけ?」

「あんたね……」

「まあ、今ここで悩んでも仕方ないよ。学校にはちゃんと連絡が入っているんだし、心配することないと思う」

「そうそう。片山の言う通り!」

「調子がいいんだから……でも、そうだよね。あたしたちが考え込んでも、答えなんて出ないし。吉田なら、何事もなかったみたいな顔して、学校来そうだしね」

 みんなの言葉に、わたしも頷く。

「そうだね。そんな気がする」

「そうだよ。吉田って、そういうとこあるから」

 わかっていた。みんなが、わたしを元気づけようとしてくれていることが。

 だから、わたしも笑顔を浮かべる。

 だけど、ちょっとぎこちないものになってしまった。

「佐藤さん」

 鋭い声が、教室内に響く。

 突然のことに驚いて振り返ると、松井さんが仁王立ちしていた。

「吉田くんのこと、何か知らないの? 金曜日、最後に会ったの、佐藤さんじゃないの?」

 声と同じくらい、鋭利な瞳。突き刺さる視線に、周りもざわつき始める。

 怪訝交じりの敵意――このクラスは、みんな吉田くんが大好きだ。

 友達や、想いを寄せているひと。彼らの注目が、わたしに集まっている。

 ごくりと、喉が鳴った。

「どうなの? 黙ってたらわからない」

「突然、何を――」

 萎縮したわたしを庇おうと、声を上げるかおりちゃん。そんな彼女の腕を引く。

「苺樺――」

「ありがとう。ちゃんと言えるから、大丈夫だよ」

 みんな、吉田くんのことが心配なんだ。わたしと一緒。

 だから、怖がることなんてない。

「金曜日は、会えなかったの。だから、知らない」

 まっすぐ、松井さんの目を見て答える。

 数秒ほど睨まれていたが、松井さんはやがて「あっそ」と言って、視線を逸らした。

 周りの視線も、霧散する。

 詰めていた息を、吐き出した。

 再び教室内が、がやがやと賑やかになる。踵を返そうとした松井さんが、先程よりも小さな声で「だったら」と口を開いた。

「あのチョコは、どうしたの?」

「……自分で、食べたよ」

「……そう……残念だったわね。……悪かったわ」

 そう言うと、今度こそくるりと背を向けて歩いて行く松井さん。

 その肩は、どこか意気消沈したような、それだった。

「苺樺、大丈夫?」

「うん。かおりちゃん、ありがとう」

「佐藤さん、あの静まりかえった中で、堂々としてた。格好良かったよ」

「ありがとう、片山さん」

「松井のやつ、何だったんだ?」

「さあね。放っておきなさいよ。妬みか何かでしょ」

「きっと、心配なんだよ。吉田くんのことが」

「苺樺――」

 再び空気が重くなるのを感じて、わたしはわざと声を上げた。

「あ、もうすぐ休み時間終わるね。次の算数、テストするんだよね?」

「え、嘘!」

「マジ?」

「そういえば、昨日先生が言ってたね」

 わたしと片山さんの言葉に、かおりちゃんと木村くんが顔を青くする。

 かおりちゃん、国語や社会は得意だけど、算数は苦手って言ってたからな……。

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