木村くんは、テストそのものが嫌いみたい。

「あ、先生来た」

「えー!」

 片山さんの呟きに、頭を抱え出すかおりちゃん。先生に着席を促されていた。

 わたしも、自分の席に着く。視線を向けたのは、埋まらない場所。

 吉田くんの席だった。


 学校が終わって、とぼとぼと家へ帰る。

 かおりちゃんたちに遊ぼうと誘われたけれど、何だか気が乗らなくて断ってしまった。

 何度目かわからない溜息を吐く。

 今日は確か、お母さんは仕事で帰ってくるのは夜。お父さんが、弟を保育園へ迎えに行く日だ。

 帰っても、誰もいない。一人ぼっちの家。

 いつまで経っても慣れない。もう六年生だというのに。

「やっぱり、かおりちゃんたちと遊べば良かったかな……」

 溜息とともに肩を落とす。そうこうしているうちに、家へ辿り着いた。

「あ、葉っぱ……」

 ふと目を向けたイチゴのプランター。その一部の葉が、赤くなっていた。更に端が茶色くなり、枯れている。

 わたしはその葉を取り除くべく、ランドセルを玄関に置いて、プランターの前でしゃがんだ。

 以前、枯れ葉はカビが生えて病気の原因になるのだと、お母さんから聞いていたからだ。

 この下葉取りと呼ばれる作業は、初めてではない。

 わたしは、寒さで枯れてしまった葉を切っていく。

「ここにも……ここにもある」

 枯れ葉を次々に取り除く。そうして葉がすっきりすると、わたしは手を洗って再び家の中へ戻っていった。

「宿題しよっと」

 漢字のプリントや算数のドリルを取り出し、黙々と空欄を埋めていく。

 やがて、お父さんが弟とともに帰ってきて、それからお母さんも帰宅した。

 そうして過ぎていく、いつもの日常。

 無条件で会えていた生活の中で、突然訪れた会えない日々。会えないことがこれほど寂しいとは、思っていなかった。

 こんな日が来るとは、想像もしていなかった。

 そんな、カレンダーとにらめっこする一週間がようやく過去になった、待望の月曜日。

 吉田くんに会えると、誰もが期待した日。

 けれど彼は、姿を現さなかった。

 今日を含めての一週間だったのかもしれない。明日には学校に来るかもというわたしの淡い期待を裏切るように、先生からは家の事情で更に一週間ほど休むと、簡単な説明があった。

 プライバシー保護のため、詳細は明かされない。

 ただ、本人は元気だから心配の必要はないと言われただけだった。

 その時のわたしは、どんな顔をしていたんだろう。

 かおりちゃんや片山さんが、いつも以上に話しかけに来てくれていた。

 何と答えたかは、覚えていない。

 ただ、頬の筋肉に違和感を覚えたことだけが、頭の片隅に残っていた。


◆◆◆


「ただいま……」

「苺樺、おかえり」

 家に帰ると、お母さんと弟が庭にいた。ニ人は、プランターの前にいる。

 それは、わたしの育てているイチゴの前だった。

「苺樺、ちょっといい? 気になることがあって……」

「何? もしかして、イチゴに何かあったの?」

 まさか、病気か何かだろうか。今日まで毎日、異変がないかちゃんと確認していたのに。もしもそうだったら、どうしよう……。

 わたしが顔を青くしていると、お母さんが慌てて否定した。

「違うの、大丈夫よ。ただ、葉の数が少ないなと思って……」

「葉っぱの数?」

 病気でないことに胸を撫で下ろしつつ、想定外の言葉に首を傾げる。

「うーん……あ! それ、下葉取りしてるからじゃない? 見つけた枯れ葉は、そのたびに全部取ってるから」

「全部って……もしかして、緑の部分が多い葉もすべて? 枯れている葉を、見つけるたびに取っていたの?」

「うん……何か、違った? 枯れ葉は、病気の原因になるんだよね?」

 お母さんが困ったように手を頬に添えているので、何だか不安が煽られた。

 察したお母さんが、取り繕うように明るい声を出す。

「そうね、下葉取りは大事だもの。苺樺の言う通りよ。ただ、一度に取り過ぎてしまうと、光合成ができなくなってしまうの」

「え……あ――」

 瞬間、思い出した。初めて下葉取りをした時、確かにお母さんは今の話をしてくれていた。わたしが、うっかり忘れてしまっていたのだ。

 後悔先に立たず。ただでさえ、ぼんやりしていた頭。上手く思考が働かない。

 光合成ができないって、どういうことだ。理科で習ったことを、思い出そうとする。確か植物にとってのそれは、致命的であるはずだ。

 つまり――

「このイチゴ、もうこれ以上は育たないの?」

 絶望感に支配される。ここまできて、イチゴがだめになってしまうのか。

 ただでさえ、バレンタインのことから今日まで、いろいろと重なっているというのに。

 これ以上は、立ち直れそうにない。

「きっと大丈夫よ。しっかり栄養をあげて、大切に育ててあげれば、この子は大きくなる。諦めないことが大事よ。まだこの段階で気づくことができて、良かったわ」

 お母さんのいつもの笑顔に、息を漏らす。大丈夫だ。お母さんは、嘘を吐かない。

 かといって、安心できるわけじゃない。けれど、手遅れでもないようだ。

 吉田くんのことが、不安で気になって仕方がないけれど、もう会えないわけじゃない。

 彼に再び会える日を信じて、それまでしっかりとイチゴを育てていこう。

 だって約束したんだ。わたしが決めたんだ。

 告白ができなくて、会えなくて、寂しい気持ちでいっぱいだけれど、きっと吉田くんも大変なんだ。

 来週会えるかどうかわからないけれど、今度はいろいろ話をしてみたい。教えてもらえるのならば、吉田くんのことをもっと知りたい。

 だから戻ってきてくれた時に、またいつもみたいに笑ってもらえるように、わたしが笑顔で迎えたい。

 笑った方が、可愛いと言ってくれた。こそばゆいけれど、嬉しかった。だから、その笑顔でまた吉田くんに会いたい。

 そのために今わたしができることは、イチゴをしっかりと育てていくこと。だから、諦めない。絶対に、花を咲かせてみせる。

「お母さん、気付いてくれてありがとう。わたし、絶対に諦めないよ。これからも、どうしたらいいか教えてね」

 そう伝えると、お母さんは何も言わず、じっとわたしを見つめた。

 その視線が気になって、わたしは小首を傾げる。

「お母さん?」

「苺樺、強くなったわね」

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