「わ、わかった。わたし、教室に戻ってるね」

 本当は、ちょっぴり心配だったけど、木村くんの顔が見たことないぐらい真剣なものだったから、わたしは彼に任せて、その場を後にした。

 一人で、とぼとぼと教室へ向かう。

 すると、教室の手前。廊下の壁に背中を預けて、吉田くんが立っていた。

 わたしに気づき、壁から離れる。

名津なつ、ちゃんと行った?」

「うん。今、二人で話してるよ」

「そっか。……大丈夫、心配ない。名津は、あれでも山本のこと、大事にしてるから」

「かおりちゃんのことを?」

「素直になれないだけなんだよ」

 吉田くんには、何がわかっているのだろう。時折、不思議な気持ちになる。

「きっと、ちゃんと仲直りして戻ってくるから。おれたちは、教室の中で待ってよう」

「うん」

 彼に頷き、素直に従う。

 吉田くんの言う通り、二人は昼休みが終わる少し前に戻ってきた。

 さっきまでのやりとりが嘘だったかのように、二人ともいつも通りのけんかをしながら、戻ってきたのだった。


◆◆◆


 ずっとそわそわしていた授業が終わって、放課後になった。

 わたしは、よしっと決意して席を立つ。

 手の中には、お守り。修学旅行の時に買った、縁結び守りだ。

「ねえ、佐藤さん」

「松井さん……」

 ふいにわたしの目の前に現れたのは、松井さん。

 こうして話すのは、久し振りだ。

「佐藤さんって、吉田くんと付き合ってるの?」

 問い掛ける瞳が鋭い。なんだか、睨まれているようだ。

「え、わたしが? そ、そんな、付き合ってないよ」

「じゃあ、好きなの?」

「それは……」

 わたしは、刹那戸惑った後、小さく頷いた。

「そう……それ、チョコでしょ。渡すの?」

「う、うん」

「告白は?」

 告白……クリスマスイブの日、松井さんがした告白を、吉田くんは断った。

 どうしてなのかは、聞いていなかった。

 今は、彼女がいらないのかもしれない。もしかしたら、別に好きな人がいるのかもしれない。だから、わたしも同じような結果になるかもしれない。

 それでも、一歩踏み出したいと思った。

 何もせずに後悔することだけは、したくなかったから。

 このままじゃあ、諦めることすらできないことを、わたしは知っているから。

「する。するよ」

 まっすぐ、松井さんの目を見つめて答える。すると、ふっと彼女の目元が和らいだ。

「……真剣なのね。そっか……何だか癪だけど、それなら仕方ないか」

 松井さんの呟きに小首を傾げていると、彼女が目の前を開けてくれる。

 腕を組んで斜に構える松井さんは、ポーズが様になっていた。

「上手くいくといいわね。頑張って」

「松井さん……ありがとう!」

 お礼を言って、辺りを見回す。吉田くんのランドセルがない。どうやら、帰ってしまったようだ。

 わたしは急いで、荷物を持って教室から出た。

「邪魔するなんて、ちょっと意地悪だったかな……でも、これくらいは許してよね」

 そんな松井さんの呟きは、わたしの耳に入ることはなかった。


「吉田くん……」

 靴箱まで辿り着き、吉田くんの靴がないことを確認する。そうしてわたしは、慌てて学校を出た。

 松井さんとは、そんなに長く話していたわけじゃない。このまま走っていけば、姿を捉えられるはずだ。

 そう思い、体育の授業でしかしない全力疾走をする。ランドセルの中身が、ごとごとと音を立てた。しかし、一向に吉田くんの姿は見えない。

 そんなに遠くまで行ってしまっているのかと、不安が募る。せっかくチョコを用意したのに、渡せないのか。告白を決心したのに、会うこともできないのか。

 途端に悲しくなって、胸が苦しくなった。

 どうして、こんなに一生懸命走っているんだろう。運良く会えたとして、前触れもなく突然告白なんかしたら、吉田くん驚くだろうな。勝手に、わたしが今日したいなんて決めて、会えないことに何でって焦ってる。そもそも、吉田くんには用事があったのかもしれない。約束もしていないんだから、こんなことになったって、吉田くんは何も悪くない。

 わたしの身勝手に、吉田くんを巻き込もうとしている。

 だけど、今日じゃないとだめなの。

 今日じゃないと、魔法は使えない。

 チョコの力を借りて勇気を出せるのは、今日しかないから。

 わがままでも、許してほしい。

 どうして約束しておかなかったのかっていう後悔は、後でする。

 だから、どうか。今、吉田くんに会わせて――


 肩で息をしながら辿り着いたのは、吉田くんの家の前。

 とうとうここまで、彼に会うことはできなかった。

 わたしは息を整えながら、インターホンの前で躊躇する。

 突然訪ねて、迷惑にならないだろうか。こんな身勝手をして、幻滅されないだろうか。

 様々なネガティブ発想が、次々に生まれてくる。けれどと、首を横に振った。

「そんなこと言ってたら、一生告白なんてできない」

 たった一度しかない、六年生のバレンタイン。後で、やっぱり行動しておけばよかったなんて、言いたくない。

 わたしは震える指で、インターホンを押した。

 来訪者を告げる音色が響く。どきどきしながら突っ立っていたが、一向に反応がない。

「いない、のかな……」

 音が鳴らなかったなんてことはない。であれば、留守なのだろう。

「吉田くん、家に帰ってないのかな……?」

 もしくは急いで帰ってきていて、何か急用があって出かけているのかもしれない。

 いずれにせよ、これ以上はどうしようもなかった。まさか、家の前に居座るわけにもいかない。

 チョコレートは置いて帰ろうか迷ったけれど、食べ物だ。もし長時間帰って来なければ、冬といえど衛生上どうだろうか。

 私は考えあぐねた末、チョコを持ってとぼとぼと家へ帰った。

 どうして、一緒に帰れるなんて思ったんだろう。

 どうして、当たり前のようにチョコを渡せると思ったんだろう。

 せっかく、かおりちゃんや片山さん、松井さんも応援してくれたのに。

 チョコを渡せなかった落胆と、みんなに申し訳がなくて、わたしは自室のベッドの上で猫のクッションを抱き締めた。

 そばに転がっているチョコとお守りが、ただただ虚しい。

「明日、土曜日だ……」

 明日も明後日も、吉田くんには会えない。

 だったら、このままチョコが残っていたって、仕方がない。

 わたしはむくりと起き上がり、自分で包んだラッピングを解いた。

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