頷くと、頷き返してくれるお母さん。穏やかな微笑みを崩さず、わたしのクッキーヘと手を伸ばす弟の手首を掴んだ。

「これはお姉ちゃんの分よ。まだ欲しいの? じゃあ、向こうでもうちょっとだけ食べようか。お姉ちゃんは宿題をするからね。そうだ。お母さんとジュース飲む?」

「のむ!」

「じゃあ、キッチンへジュースを取りに行きましょう」

 言いながら、弟とキッチンへ向かっていくお母さん。ちらりとこちらを振り返り、一言。

「たった一度しかない、六年生のクリスマス。楽しく過ごしてね」

「たった、一度……」

 呟きながら、クッキーをかじる。二、三枚食べて、目の前のプリントに向かった。

 ペンを握り締める。答えは、もう出ていた。


◆◆◆


 火曜日の朝。委員会当番の日。いつものように、少しだけ早く登校する。通学路でばったり会ったのは、木村くんだった。

 最近、ようやく参加してくれるようになった木村くん。理由を聞くと、かおりちゃんがものすごく怖かったからと言っていた。かおりちゃん、何したんだろう……?

「佐藤じゃん。おはよう。寒いな」

「おはよう、木村くん。今日も寒いね」

「あ、佐藤、鼻赤くなってる」

「寒いと、こうなるの。恥ずかしいから、見ないで」

「トナカイみたいだな、お前」

 笑われて、恥ずかしくなる。少しむっとして、巻いていたマフラーをぐいと上にあげた。鼻を隠す。

 ふいに隣から、声が上がった。

「おっ、弥生だ」

 その声に弾かれて、前方を向く。吉田くんがいた。とぼとぼと、黒いランドセルが揺れている。木村くんが、駆け出した。

「やーよいっ、おはよ!」

 前方から、元気な声が届く。二人で何やら話しているようだ。ペースをそのままに歩いていると、ふいに彼らが振り返った。どうやら、わたしのことを見ている。

「おーい、佐藤。早く行こうぜ」

 友達同士で楽しくしているところを邪魔するようで気が引けたが、二人は立ち止まって待っていてくれた。待たせるわけにはいかないと、小走りで駆け寄る。

「なあ、弥生。佐藤の鼻、トナカイみたいに赤くなってんだぜ」

「トナカイ?」

 吉田くんの視線がこちらを向く。慌てて、マフラーをぐいと上げた。

「佐藤、隠すなって」

「やだ。恥ずかしい」

「えー、いいじゃん。面白いし」

名津なつ、そんなことしてたら、女子に嫌われるぞ」

「別にいいし。何お前、女子の味方すんのか?」

「何言ってんだ。おれは、お前の味方。名津が嫌われないようにって思って言ってるんだ。それに、女子は怖いんだろ? 敵を増やすなよ。あと、佐藤をいじめると、山本が出てくるぞ。早速、今から会うことになるんだしな」

 かおりちゃんの名前が出た途端、木村くんの顔が引きつる。

「あー、んー、そうだな……。えっと、佐藤。もしかしなくとも、このこと山本に言う?」

 やや怯えたように、こちらの顔を窺う木村くん。先程とまるで違う態度に、淡い苦笑を浮かべた。

「もうしないって約束してくれたら、言わないよ」

 元々言うつもりはなかったが、正直に伝えると吉田くんの好意を無駄にするだろう。少し意地悪に聞こえやしなかったかと気にしつつも、木村くんの反応を待った。

 だが、彼はわたしの心配をよそに、早口で捲し立てる。

「しないしない。約束する。マジで悪かったって。許してくれよ、な?」

「わかった。じゃあ、言わない」

「マジで? サンキュー。いやあ、佐藤っていいやつだな。な、弥生」

「そうだけど……調子良いな、名津」

「良いんだよ。この話はもう終わり。さっさとやることやって、遊ぼうぜ」

 そう言って駆け出す木村くん。学校の正門を通り抜けた。そのまま靴箱へ向かう背中を見ながら、歩き進める。

 ふいに、隣の存在が大きくなった。

「あの、吉田くん」

「何?」

「さっきは、ありがとう」

 吉田くんの様子を窺うように見上げる。いつもの表情をしていた。

「別に、お礼なんていいよ。本当のことを言っただけだから。名津は、思ったことがそのまま口に出るだけなんだよ。悪いやつじゃないから、許してやって」

「うん。大丈夫だよ。木村くんは素直なだけなんだって、知ってるから」

「それなら、大丈夫だな」

 吉田くんと目が合い、どちらともなく微笑む。教室に辿り着くと、かおりちゃんがいた。

 みんなで揃って、飼育小屋へ向かう。掃除などを済ませ、宣言通り遊びに行った木村くんと吉田くんを横目に、かおりちゃんと二人で教室へ向かった。道中、かおりちゃんがそっと口を開く。

「そういえば、終業式の日はどう? 苺樺、参加できそう?」

「ああ、うん。わたしも行く」

「そっか。よかった。……あのさ、苺樺。何かあったの?」

「え?」

「クリスマスパーティーの企画、喜んでくれると思ってたから、気になって。もしかして、メンバーがまずかった?」

「ううん、大丈夫。本当に予定がわからなかっただけだから」

「それならいいんだけど……何かあったら教えてよね。できることなら協力するからさ」

「うん、わかった。ありがとう」

 お手洗いに行くと言うかおりちゃんに手を振って、わたしは一人で教室に戻る。こっそり溜息を吐いた。

 言ったって、仕方がない。わたしがただ一人で悩んでいるだけ。もしかしてって、不安に思っているだけ。直接聞いたわけでもないのに、悶々としているだけ。だから、こんなことをかおりちゃんに言っても、困らせるだけだ。

 聞けたら、簡単なのに。「松井さんのこと、好きなの?」って……。

 でも、だめだ。聞けない。だってそんなことをしたら、どうしてそんなことを聞くのかって言われてしまう。

 そんなの、答えられない。理由なんて、言えない。

 だって、それはもう告白と一緒だ。

 ……わたし、本当に行くって答えて、良かったのかな?

 早まったかもしれない。

 だけど、お母さんの言葉が蘇る。

 たった一度しかない、六年生のクリスマス。

 現実がどうだったとしても、一緒に過ごせるなら一緒がいい。会わなくても考えるなら、少しでも一緒にいたい。

 そうだ。難しいことを考えるのはやめよう。考えても答えが出ないなら、考えるのはやめよう。だって、不安になるだけだ。

 変わりたいと思った。勇気を出して良かったって思えたことがある。不安なことばっかり考えていたら、楽しめなかったことがある。

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