動揺ハピネス
爽やかな色の絵の具をさっと塗ったような空。
白く浮かぶ、小さなわたあめのような雲。
思い出した言葉は、天高く馬肥ゆる秋。そんな土曜日。
外に出ると少し肌寒くて、ふるりと肌が粟立った。玄関を引き返し、薄手のカーディガンを部屋へ取りに戻る。
そうして数分遅れてから、花壇の前にいるお母さんの元へ向かった。
「来たわね、
「わたしにも、じょうろ貸して」
お母さんからじょうろを受け取り、自分用に与えてもらったプランターへ向かう。
毎日のことだから、随分と慣れた。今では、一人で水やりができる。
「あげすぎないように……と」
今日も良い感じだ。葉の色は緑が濃くて綺麗だし、活き活きしている。
「早く大きくなあれ。甘くて大きなイチゴになあれ」
何かの呪文のように唱えて、笑いかける。
そうやって、いくつか言葉を掛けた後、わたしは立ち上がった。
「楽しそうね」
「お母さんがいつも楽しそうにしている理由が、わかった気がする」
「あら、それは嬉しいわ。でもね、楽しいだけじゃないのよ」
「わかってる。毎日毎日、大変だよね」
お母さんは野菜とか花とか、とにかくいろんな種類の植物を育てている。
わたしはイチゴだけでも大変だと感じているのに、本当にすごいと思った。
「そうそう。あれから、かおりちゃんの足は良くなったの?」
「うん。もう一人で歩いてるよ」
「そう、良かったわね。運動会は残念だったけど、暗い顔一つせずに一生懸命応援していて、お母さん感動したわ」
「ふふ。明日、伝えとくね」
「あら、明日といえば、苺樺。ハロウィンパーティーの準備は、できたの?」
今年のハロウィンは平日。しかも、委員当番の日だ。
当日は早く帰ることができないから、少し早いけど明日にお菓子パーティーをしようということになった。
メンバーは、かおりちゃんと、木村くん。吉田くんは家の用事があるらしくて来られないと、木村くんが言っていた。
吉田くんがいないのは残念だけど、仕方がない。かおりちゃんは、わたしと二人でお菓子作りをして遊ぶ予定だったのにって、木村くんの飛び入り参加宣言に怒っていたけど、その表情は嬉しそうだった。
明日は、かおりちゃんの家に行く。一緒にクッキーやマドレーヌを作って、食べながらおしゃべりする予定だ。
木村くんはお菓子ができた頃に行くって言っていたし、お菓子をいっぱい持っていくとも言っていた。
だから持ち物は、かおりちゃんと分担して決めた材料の一部。その用意は、もうできている。
だけど、同じくらい重要な物の用意が、まだだった。
「どうしよう、お母さん……」
「苺樺、まだ衣装を何にするか決めてなかったの?」
そう……明日はハロウィンにちなんで、コスプレをしようということになったのだ。
だけどお母さんの言うとおり、わたしはまだ何の格好をするか決められないでいた。
「かおりちゃんは、何を着るの?」
「魔女って言ってた。帽子やマントは作ったんだって」
「すごいわね。じゃあ、魔女以外の方が良いわね。となると……妖精とか可愛いんじゃない?」
「妖精? それ、ハロウィンに着るものなの?」
ハロウィンって、怖いお化けや怪物に扮するんじゃなかったっけ?
クラスでもゾンビメイクを練習している子がいたし。
「あら、何でも良いんじゃない? 着たいものを着て、楽しめば」
「着たいもの、か……」
「どんな物があるか、見た方が早そうね。今から作るのも大変だろうし。じゃあ、手を洗って買い物に行きましょうか」
何故かわたしよりも楽しそうなお母さんに連れられて、わたしは衣装を見に行くために出掛けることになった。
予定外である弟の衣装まで準備していたところをみると、当日も我が家ではパーティーかもしれない。
そんなこんなで、わたしはなんとか準備を済ませることができたのだった。
◆◆◆
「苺樺、可愛い!」
翌日、わたしは約束の時間にかおりちゃんの家へお邪魔して、一緒にお菓子作りをした。
クッキーやマドレーヌが出来上がり、良い匂いが漂う。
食べ始める前にと、かおりちゃんと二人、用意した衣装に着替えた。
「黒猫、似合ってる!」
全身黒のワンピースに、猫耳カチューシャ。腰の辺りには尻尾がついているという衣装だ。
猫は好きだし、かおりちゃんの魔女とも合うのではと思い、選んだのだ。
「かおりちゃんの魔女も可愛いよ。作ったって言っていた帽子がそれ? もしかして、ベルトも作った? マントはビニール袋? すごいね!」
「ありがとう、苺樺。そうそう。帽子とベルトは、黒の画用紙巻いて、模様を作って貼っただけなんだけどね」
かおりちゃんの衣装は、白のトップスに、黒い大きなベルト。肩には黒いマントを羽織り、紫のスカートをはいている。頭には、帽子を被っていた。
「手作り衣装なんて、すごいよ。わたしのは全部、セットで売っていたものだから」
「そんなことないって。服は持ってる物をそのまま着ただけだし。やっぱり、売り物の方が可愛いね」
持っている物を組み合わせて衣装に変えちゃうなんて、かおりちゃんはすごいなと感心する。
「そういえば、かおりちゃんがスカートを着ているのって、ちょっと新鮮かも」
「いつもは、パンツばっかりだもんね。……やっぱり、変かな?」
「そんなことないよ。似合ってて、可愛いよ。学校の日も、着たらいいのに」
「スカートじゃ、思いっきり走れないでしょ。木村を追いかけられなくなっちゃう」
冗談か本気か。かおりちゃんは、悪戯っぽく笑った。
「さ、食べよう。できたてが一番美味しいんだから。苺樺、オレンジジュースでいい?」
「うん。ありがとう、かおりちゃん」
かおりちゃんが、オレンジジュースの入ったコップを二つ運んできてくれる。
そのタイミングで、ピンポーンという音が屋内に響いた。
「木村くんかな?」
「タイミングのいいやつ」
言いながら、部屋を出て玄関へ向かうかおりちゃん。言葉とは裏腹に、表情が嬉しそうだった。そんな様子を見たこちらも、笑顔になる。
吉田くんも来られたら良かったのにと、少し羨ましくもあった。
「はあ?」
ふいに玄関口から聞こえてきたのは、かおりちゃんの声。呆れたような、戸惑うような色が含まれている。
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