飼育小屋に向かいながら、吉田くんは眉根を寄せた。
きっと、怒っているかおりちゃんを想像しているのだろう。
「かおりちゃんは優しいから、ちゃんと言えば、わかってくれるよ」
「じゃあ、佐藤が説明してくれ」
「ふふっ。わかった」
くすくすと笑いながら飼育小屋へ戻ると、かおりちゃんは怒ったりせずにわたしの心配をしてくれた。
やっぱり、かおりちゃんは優しい。
正義感が強くて男子はちょっと苦手みたいだけど、本当はこんなふうに、とっても優しいひと。
吉田くんも優しいし、わたし、あの時に勇気を出して飼育園芸委員になって、良かった。
「あれ? 木村くんは?」
「……あっち」
そういえば、姿が見えない。そう思って尋ねると、かおりちゃんは途端、不機嫌になった。
トーンの低い声に、半眼。唇をへの字に曲げて、見もせずに人差し指を後方へ向ける。後ろが見えるのかと、わたしは不思議な心地で示された方を倣い見た。
「逃げられた」
苦々しげに告げるかおりちゃん。
木村くんは、同学年の男子たちとドッジボールをやっていた。
「吉田は行かないの?」
「おれは、いいや」
「あっそ」
どうやらかおりちゃんは、うさぎ小屋の掃除も終わらせて待っていてくれたらしい。
やることは終わっていたので、わたしたちは教室へと戻ることにした。
「かおりちゃん、掃除ごめんね。ありがとう」
「良いの良いの。気にしないで」
言いながら、わたしのスカートについた土を払ってくれるかおりちゃん。
おしり側の見えないところだったから、気が付かなかった。
「わわっ、ありがとう」
「どういたしまして。それより、怪我は大丈夫?」
「うん。ちょっと転んだだけだし、それに、吉田くんが保健室に連れて行ってくれたから」
「へえ? 吉田。優しいじゃん」
「……別に」
「あ、照れてるー」
「うるさい、山本」
和やかな雰囲気で、階段を上がっていく。教室は最上階だ。
ふいに隣を歩くかおりちゃんが、思い出したと言わんばかりに両手を胸の前で叩いた。
「そうだ。苺樺、放課後も先に行っててくれる? あたし、日直だからさ。絶対に速攻で終わらせて、すぐ行くからね」
「うん、わかった。でも、ゆっくりでいいからね。無理しないでね」
「ありがとー。苺樺ってば優しいー。天使ー。女神様ー」
「ええっ……か、かおりちゃん……」
浴びせられる賞賛に、わたわたと照れてしまう。
そんな様子も、かおりちゃんを楽しませるだけのようだった。
「ちなみに、吉田は逃げないようにね!」
「うーん……逃げるつもりはないけど、忘れそうだから……佐藤。放課後、声掛けてよ」
「えっ……う、うん。わかった」
「あとは、木村……あいつ、絶対逃げそう」
かおりちゃんが木村くんに対してどうするかを考えていたけれど、わたしの耳には一切入ってこなかった。
だって、放課後にはまた吉田くんと一緒に当番ができる。
まるで、彼との約束が一つできたみたい。そう考えただけで、胸がきゅうっとした。
もっと話がしたい。もっと吉田くんのことを知りたい。もっと仲良くなりたい。
もっと、もっとが、どんどん溢れてくる。
こんなに欲張りになって、わたし、この気持ちを隠しておけるのかな――
◆◆◆
放課後、わたしは勇気を振り絞って、吉田くんに声を掛けた。
彼は「あ」と一言漏らした後、背負おうとしていたランドセルを置いた。
どうやら、本当に忘れていたらしい。
わたしがくすりと笑うと、また目を逸らして「笑うな」と言った。
それが照れであることは、すぐにわかった。だからわたしは、また小さく笑ってしまったのだった。
そうして、今は飼育小屋の前にいる。
期待と違ったのは、二人きりじゃなかったこと。
今ここには、木村くんも同席していた。
「うさぴー、いっぱい食えよー」
餌を片手に遊んでいる木村くん。どうやら、当番の仕事をしに来たのではなく、ニワトリやうさぎたちと遊ぶために来たようだ。
かおりちゃんがいないことも、要因の一つであるようだった。
来たら、どうするんだろう……。また、けんかになっちゃうのかな?
そうやって、数分後の心配をしているわたしはというと、花壇の雑草を抜いていた。
他の仕事が、あらかた終わったからである。
「こっちは、何も植えてないの?」
突然そばで優しい声がして、わたしはびくりと肩を跳ねさせた。
振り向くと、吉田くんが屈み込んでいる。
思っていたよりも近くに彼の顔があって、わたしは慌てて視線を前方に戻した。
「そっ、そこは、今度パンジーを植えるって、先生が、言ってたよ……」
「ふうん……こっちは?」
「そっちは、イチゴ……」
「へえ……できたら、食べたりするかな?」
返ってきたのは、少し弾んだ声。だけど、わたしは真逆の声を出した。
「えっと、それは、無理だと思う」
「何で?」
「できるのは、五月くらいだから」
告げた言葉に、肩が下がる気配がした。気分を害したわけではなさそうだが、何だか気になる。
「何だ。卒業した後か」
「うん……」
卒業……イチゴの実が赤くなった頃には、もうわたしたちは中学生。
まだまだ先のように思っていたけれど、何だか突然、身近に感じられた。
「佐藤、イチゴ好きなの?」
「え……っと、ふ、普通……」
「そっか。落ち込んでるように見えたから、食べられなくて残念がってるのかと思った」
食べられなくて、残念がる……わたしが?
ああ、そうか。さっきの様子は、落ち込んでいたんだ。
残念がっているから、わたしも同じなのかと思っての言葉だったんだ。
「よ、吉田くんは、好きなの? イチゴ」
「んー? 割と好き」
どうして、こんなにもときめくのだろう。
吉田くんの口から『好き』という言葉を聞くだけで、どきどきしてしまう。
「つか、詳しいな。イチゴ育てたことあんの?」
吉田くんが隣にしゃがみ込み、雑草抜きを始める。
時折ちょこんと当たる膝や腕に、心臓が壊れてしまいそうだと思った。
「えっと、うちのお母さん、ガーデニングが趣味で……」
「イチゴもあんの?」
「う、うん……」
「いいな。食えるじゃん」
「うん……」
楽しそうな声音に、わたしの胸まで弾んでしまいそうになる。
割と、とか言っていたけれど、実のところは、かなり好きなんじゃないだろうか。
……言ってしまおうか。「食べに来る?」って。
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