「待てー!」
木村くんに連れられて、逃げる吉田くん。そんな二人を追いかけていく、かおりちゃん。
わたしはというと、あわあわと戸惑いながら、走り去っていく三人の背中を見ているしかなかった。
「あーあ……行っちゃった……」
ぼそりと呟くも、もう誰の影も見えない。
いつものことだが、こういう時にどうすればいいか、わからないでいる。
「とりあえず、教室に行こう……」
とぼとぼと歩きながら、一組を目指す。
わたしは、溜息を吐いていた。
「また、おはようって、言えなかったな……」
少しの残念と、だけどという喜びと。
「目が、合っちゃった」
こんなことで浮かれるわたしって、遅れているのかな?
他の子は、彼氏ができたとか、デートしたとか、よく楽しそうに話している。
でもわたしには、想像もできない。
毎日顔が見られて、声が聞けて。それだけで、こんなにも楽しい。
そりゃあ、特別な存在になれたら……とかって、考えたりはするけど。そういうのは、よくわからない。
女子同士で集まっていると、時々好きなひとの話になるけど、いつもわたしは『いない』って嘘を吐いてしまう。
かおりちゃんにも、誰にも言ったことはない。だって言ったら、溢れてしまいそうだ。口にしたら、止まらないと思う。
言葉にできないくらい、わたしは吉田くんのことが好きなんだ。
◆◆◆
昼休み。遅れて飼育小屋にやって来たかおりちゃんは、「ごめん」と言いつつも表情が得意げだった。
「お待たせ、苺樺。捕まえてきたよ」
「捕まえてって……あ……」
彼女の後ろには、男子が二人いた。不満顔の木村くんと、いつも通りの吉田くん。
引っ張ってこられたのが木村くんで、その後を吉田くんがついてきたという様子だ。
「今までサボってた分、しっかり掃除してよね! 木村は逃げるから、あたしとこっち来て」
「ちぇーっ。ドッジやりたかったのによー」
「終わってから行けばいいでしょ!」
木村くんをつれて、ニワトリ小屋へと入っていくかおりちゃん。
呆然と二人を眺めていたわたしは、吉田くんと二人きりになっていることに気が付いた。
意識した途端、心臓が耳元でばくばくと存在を主張する。体温が上がるのを感じた。
「佐藤。おれ、何したらいい?」
ふいに吉田くんから声を掛けられ、わたしは挙動不審になる。びくりと肩が跳ねた。
「へっ、え、えっと、じゃ、じゃあ……うさぎ小屋の、掃除……」
「わかった」
口数の少ない吉田くん。彼はいつも通りなのに、わたしだけが意識してしまっている。
今は、当番の仕事をしなきゃ。平常心、平常心……。
深呼吸を一つして、自身を落ち着かせる。
てきぱきと、ほうきで餌くずやフンを集めている吉田くんを横目に、わたしはうさぎたちの飲み水を用意した。
あらかた集め終えたのだろう。吉田くんが、きょろきょろしていることに気が付いた。
水入れを持って戻ると、吉田くんがわたしの名を呼ぶ。
「佐藤。ちりとり、どこ?」
「あ、ちりとりだね。待ってて、すぐ取ってくる」
慌てて駆けていくわたしだったが、小屋の入り口にある段差に躓き、前のめりに転んでしまった。
派手な音がしたし、転んでしまったしで、すごく恥ずかしい。
絶対、吉田くんに見られた。ドジな子だって、笑われるかも……。
のっそり起き上がるも、顔を上げられない。
好きなひとに、格好悪いところを見られてしまった。
服についた土を払いながら、痛いし恥ずかしいしで、泣きそうになってくる。
そのまま無言で、ちりとりを取りに行くため足を踏み出すと、背中に柔らかい声が掛かった。
吉田くんだ。
「待って、佐藤。血、出てない?」
「え……嘘……」
立ち止まったわたしの前方に回り込み、しゃがむ吉田くん。
今日はスカートだったから、膝が直接地面に接触して、擦り傷ができてしまっていたようだ。
彼の言うとおり、じわりと血が出ている。
「痛いでしょ。保健室行くよ」
そう言って、歩き出す吉田くん。
わたしが戸惑って動けないでいると、彼は引き返してきてくれた。
「佐藤、どうした? もしかして、歩けないくらい痛い?」
尋ねる声は優しくて、傾げる首が少し可愛い。わたしのことを心配してくれているのに、申し訳ないくらい違うことを考えていた。
「佐藤?」
「へっ……あ、う、ううん。大丈夫……」
「じゃあ、行くよ」
そう言うと、なんと吉田くんは、今度はわたしの手を引いて歩き出した。
手は引かれるし、心配してくれたし、保健室へ連れて行ってくれるし、笑わないでいてくれたしで、わたしの頭の中はもうパニックだ。
「先生、佐藤が怪我した」
「あら、どうしたの? 転んだ? 土がついているわね。傷口を洗いましょうか」
保健室の先生に促されて、椅子に座る。
道具を取りに棚へ向かう先生を待っていると、吉田くんがそばにいてくれていることに気が付いた。
ちらと見上げた吉田くんは、いつものクールな表情で窓を見ている。
視線を辿ると、校舎の前でドッジボールをやっている集団が見えた。
「吉田くん。その、連れてきてくれてありがとう。わたしなら、もう大丈夫だよ。掃除もやっておくし、遊んできて」
「……何で?」
やや訝しむような表情で返される。わたしは、思ったことをそのまま伝えた。
「え? 何でって……ドッジボールを見ていたみたいだから、したいのかなって思って……違った?」
わたしの言葉に、わずかに吉田くんの目が
「やりたいけど、いい。まだ、当番終わってないし。それに、朝は忘れてたから」
「……忘れてたの?」
「忘れてた。火曜も、その前も。……ごめん」
「そうだったんだ……」
「たまに思い出すんだ。明日、当番だなって。でも、忘れる」
いつもクールで、成績優秀な吉田くん。そんな彼のお茶目な一面が見られた気がして、わたしは胸の辺りがくすぐったくなった。
ふふっと思わず笑みを零すと、吉田くんは罰が悪そうに目を逸らした。
「笑うなよ。忘れるのは、わざとじゃない」
「うん。ごめん」
嬉しい。優しくしてもらって、会話ができて。この時間すべてが、愛しく感じた。
「何も言わずに来たから、山本、怒ってるかな?」
先生に手当てをしてもらい、保健室を後にする。
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