さりげなく。さらっと。勇気を出して。

 ――って、無理。無理無理無理無理。

 やっぱり無理。そんなこと言えない。無理だよ。心臓が破裂しそうなくらい、ばくばくいっている。

 この音、吉田くんにも聞こえてるんじゃないのかな? って心配になるくらい、すごく大きい。

 わたしは、こんなことも言えない。

 緊張して、声も出ない。

 もっと上手くしゃべりたいのに。チャンスかもしれないのに。

 わたしって、だめだな……。

「苺樺、ありがとー! お待たせー!」

「かおりちゃん」

 そうこうしているうちに、日直仕事を終えたかおりちゃんが来てくれた。

 ほっとしたような、残念なような。複雑な気持ちで、わたしはこっそりと溜息を吐いた。

 そうして案の定、小屋で遊んでいる木村くんを見つけたかおりちゃんは、いつものように彼を追いかけ回し、賑やかなそれに吉田くんが巻き込まれていた。

 そんな三人を、わたしはただ見ているだけ。

 変わらない光景。いつもと同じ様子に、ぎゅっとスカートを握り締めた。


「よし。じゃあ、そろそろ帰ろうか」

 しばらく暴れ回ったにも関わらず、かおりちゃんは元気だ。

 当番の仕事を終えたわたしたちは、荷物やランドセルを手に校門へと向かう。

 反対方向のかおりちゃんに手を振って歩き出すと、木村くんが突如走り出した。

「弥生、悪い。オレ先帰るわ! 早く帰ってこいって言われてたの、忘れてた! 佐藤も、またなー」

 少し進んだ先でそう叫んで、返事も聞かずに再び駆け出す木村くん。

 あっというまに、その背中は見えなくなった。

「山本とあれだけ走ってたくせに、元気だな」

「そうだね」

 期せずして、二人きりになってしまった。途端、目線があちこちと彷徨う。

 何か話をしたいのに、全然言葉が浮かばない。

 わたしが、緊張から手提げバッグの持ち手をぎゅっと握り締めていると、隣からいつもの声がした。

「そういや、佐藤も家こっちだったんだ?」

「う、うん。わたしの家、五丁目だよ。中学の近く」

「じゃあ、途中まで一緒だな。おれ、その先の坂上がったとこだから」

「そうなんだ」

 さらっと頷いたけれど、心の中は焦っていた。実は知っていたのに、知らないふりをしたのだ。以前、吉田くんの近くに住んでいる子が何気なく言っていて、それをしっかりと覚えていた。だけど、そんなことを言って気味悪がられたらどうしようと思うと、わたしは正直なことを言えなかった。

「中学なったら、学校近くていいな」

「うん」

「じゃあ、佐藤んとこのイチゴができたら、食いに行こうかな」

「え?」

「近いからさ、学校帰りに寄れるじゃん。ダメだった?」

「う、ううん。全然。だめじゃないよ」

 嘘みたい……吉田くんから言ってくれるなんて。

 気紛れでもいい。委員の当番みたいに、五月までに忘れてしまっているかもしれない。

 それに、同じ学校でもクラスが一緒になるとは限らない。

 クラスも三倍近くに増えるし、こうして話す機会も減るかもしれない。

 それでも、中学に上がっても気軽に会えるかもしれないっていう期待に、胸が膨らむ。

「佐藤、何が好き?」

「え?」

「イチゴの代わり。お返しに、何か用意する」

「え、えっと……」

 咄嗟に出てこない。頭の中で、食べ物の名前がぐるぐる回っている。

 何だったら、変に思われないかな? イチゴに釣り合う食べ物って、何だろう?

 うんうんとわたしが唸っていると、吉田くんから微笑が漏れた。

「にしても、名前にイチゴが入ってるくせに、イチゴは普通って……」

「そ、それはまた、違うと思う……」

「ふーん? で? 思いついた?」

「え、ええと、まだ。待って」

「待たない。早く」

「えっ……い、意地悪……」

 困って隣の彼を見上げると、どこか楽しそうな瞳とぶつかった。

 言葉だけじゃない。表情も意地悪なそれだった。

「だって、佐藤の反応が面白いから、つい」

「ええっ……」

 わたわたするわたしを見て、くすくすと笑う吉田くん。

 意外……知らなかった。吉田くんって、こんな一面もあるんだ……。

「そうだ。イチゴができたら、ちゃんと教えてよ」

「……吉田くんが覚えていたら、問題ない話だと思う。それで五月になったら、聞いてきてくれたら良いんじゃないかな?」

「それはそうだけど、自信ない……つか、何それ。今の、意地悪した仕返し?」

「む……」

 どうやら、自覚はあるらしい。やっぱり意地悪だったんだ、さっきの。

「何。佐藤、怒ってんの? 珍しい。つか、全然怖くないんだけど、それ。むしろ、可愛いから」

「………………えっ……」

「じゃあおれ、こっちだから。ちゃんと食べたい物決めとけよ。また明日な」

 普段通りの澄ました顔で、手を振り歩いて行く吉田くん。

 わたしはバイバイも言えずに、小さくなっていく黒いランドセルを見つめていた。

「か……」

 可愛いって、言われちゃった……。

 さらりと落とされた爆弾に、ただただわたしはその場に固まる。

 これ、夢じゃない? わたし、ちゃんと起きてる?

 今日って、星座占いのランキング、上位だったっけ? 覚えてないや。

 でも、とにかくすごく嬉しい。

 彼の言葉を、声を思い出しただけで、全身の体温が急上昇する。

 叫び出したいくらい、感情が体の中で暴れていた。

 わたしは、走り出す。

 イチゴが、ものすごく好きになれそうだった。

「お母さん、イチゴはいつ植えるの?」

 帰宅したわたしは、真っ先にキッチンに立つお母さんの元へと駆け寄った。

 いつもは、植えるところを横で見ているだけだけど、今年はわたしも育ててみたい。

 初めてだけど、上手くできるといいな。

 そうしたら、いっぱいのイチゴを吉田くんと食べられる。

 そんな未来が、来たらいい。

 想像するだけで、わくわくしてくる。

 大きく、甘く育てたい。

 きっと、なるよね。

 だって、愛情だけは、誰よりもいっぱい注げられる自信があるから。

 お母さんは、突然わたしがそんなことを言うものだからびっくりしていたけれど、次の休みに天気が良ければ植えると言った。

 一緒に植えることを約束して、わたしは部屋へと向かう。

 お気に入りの、猫型をした大きなクッションを抱きしめて、今日あったことを思い出していた。

 今日は、幸せな夢が見られそう。

 膝の怪我は、すっかり痛くなくなっていた。

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