第15話 そこに或る夕陽


 いい点数って何?……。


 今日のテストは最悪だった。

 教室の黒板を眺めて過ごした休み時間。いつもなら次の予習をする時間なのに、落ち着かない。机に教科書を置いて広げてる筈の手が、今は引き出しの中にある。冷たい木と鉄で作られた狭い空間の中で、紙がガサガサと音を立てていた。

 自分にしか分からない。紙が潰れていく……音。

 私の手にある小さな隙間には、先ほど授業で受け取った答案用紙がある。


 ガサシュック、ガサガササ。


 手の中で捏ねられていく紙が、悲鳴を上げている。いや、正確には上げさせているのだ。


 なくなれ、なくなれ─。

 クシュック、ガサシク。


 歪な丸い形が、手の中で小さく。

 小さく──。

 

(こんな点数、親が見たらどう思うだろう)


 次の授業に身が入りそうになく、手も引き出しから出そうとしなかった。

 そしてチャイムが響く。


 耳にイヤラシくつく先生の声、黒板に押し付けられキュキュッ啼く白い棒。指名されたクラスメイトの声は、何故かお経に聞こえた。


 空廻る授業。


 ……ああ、もう。早く帰りたい。

 でもまだ昼だし、授業もある。それに放課後、図書館の整理に呼ばれているし……、こういう時に限って素直に帰れない。

 ……もう最悪っ、こんな点数初めて。

 これといって頭が言い訳ではないが自分が落ち込むほどの点を取った私はどうしようと項垂れていた。


 いつもは楽しい休み時間も全然楽しくなく、上の空で会話し合う友達の談合。「いつもと違うね」と心配する友達にかぶりを振る自分がいた。

 顔色を見透かされるほどに、点数がひどかったのだ。

 でもそんなことを打ち明けると「次は大丈夫」と保障のない言葉を掛けられるに決まってる。そんな言葉は要らないし、「あなたは出来る」とか「今回はヤマが外れた」とかそう言う言葉は欲しくない。


 この先も大事だけどどうするかは今!


 テストの話題もスルーし、違う話に花咲かせた。

 そうこうする内に時間は経ち、私は丸めた答案用紙をゴミ箱に捨てた。


 放課後。


 結局、テストの点は友達にバレ、慰められた。

 ああ、ヤダ、嫌だ。

 今までで一番最悪な紙に、何故ここまで悄気るのか。

 点数はお小遣いに響く。普通に月のお小遣いが決まってる子が羨ましい。嫉ましい。


「ああ」と心で小さな悲鳴を奏でた。


 放課後の図書館。

 図書カード、返却された本、棚に並べる予定の新刊。いつもは苦に思わない紙の重みがドサドサと、私に突きつけられた。

 溜息つきながら手から離れていく本を、じと~と半眼で見据えた。


「オイッ、出席番号13番、零点」


 突然、投げ掛けられた言葉に、声に、私は驚いた。


「……!」

 頭にコンと何かが当たる感触と、スカートの布にポフンと跳ね返る音。私は顔をしかめ、床を見た。足下に転がる白い固まり。それは落ちこんでいた原因、私が忘れたい今日の最悪事項。


「えっ、どうしてここに。確か捨てた」


 床にある白い固まりを掴み広げた。

 しわくちゃのそれを再度黙視、そして撃沈。


(チーン。終わった、私の小遣い)


「すっげー、答案用紙でそこまで落ちこめるとは倖せなヤツゥ~」


 夕陽が窺える窓の前に佇むそいつは私の同級にして、幼なじみのイヤミなクソガキ。人んちの家事情を知った上で喋るコイツは、小憎たらしく私を嘲け笑う。


「あのね、ここにはひと月のおこづかいが詰まってるの! あんたに分かる?」

「わかんねー、ゼロか……可哀想に」

「零ではなく三十点……、っ」


 シワッシワの紙を広げ、彼に見せた。鼻息荒い私を前にして彼は、耳穴をほじっていた。


「なんか言いたげだな。零じゃないからいいじゃん、おこづかいも貰えるよ?」

「だって貰えても三千円だよ? すぐ無くなるよ」


 私は鼻を尖らせ、顔を逸らした。


「まだ貰えるだけいいんじゃね? 俺、バイトが小遣い、親に金貰ってない」


 彼のひと言に私は驚いた。よくよく考えると彼の家は、片親シングルだ。でもゲームも持ってるし、良い物を肌身に付けてるからてっきり貰っているのかと思い込んでいた。


「まあ、お前に話したことないし、ある程度身に付けておかんと同級や先輩に嘗められるからさ」


 彼は手首に巻いてある秒を刻む、腕時計を見た。カッコいいモデルの銀盤がついているベルトをカチャリと緩め、私に放り投げた。


「それもバイトの報酬、よかったら遣るよ。というか貰って」

「えっ、でも」

「じゃあ、次いい点数、取ったら返して」


 夕陽を背にし、私に視線を注ぐ幼なじみの顔はしっかりしていて、大人びて。それなのに私は……、自身の考えが少し恥ずかしくなった。


「そういうあんたは何点よ」

「見たい?」


 彼はそう言い、私に紙飛行機を飛ばした。


「親にテスト、見せたことねぇんだわぁ俺。いっつも飛ばして遊ぶの」


 飛んで来た紙を私は受け取り、広げた。


(こんなふうに扱うとは余程悪い点だな……フフフ)


 手にした紙に鼻穴広げた私は意気揚々にバシッと、元の形に伸ばしてやった。

 四角い紙に記された数字は私より良い。もちろん赤丸も多く、しかも質問までしていて……、それがきちんと返答されている。

 なのにこれを紙飛行機に?


  見て、読むだけで頭に叩き込まめる天才の考えは、ひょんなことでも落ち込む凡人には理解し難い。

 私は紙を持つ手に、力を込めた。


「だって見せても褒められるでもなし、自己満に過ぎんと思っているからさ」


 彼はそう言い、私の手にある紙を奪うとまたせっせっせと、折りたたんでいく。そして窓を開け、ピュゥイィと飛ばした。

 綺麗に弧を描きつつ羽ばたく白さが、夕日に映えていた。


 風に乗り、何にも束縛されず自由気ままに……。私は紙飛行機そいつが、うらやましく思えた。


「なぁ、まだ終わんねぇのか?」

「えっ?」

「俺、お好み焼きが良い」


 いきなり満面の笑みを携え、彼は食べたいものを私に注文リクエストしていた。約束も何もしていない。にも拘わらず、これからの先の行動を勝手に決める厚顔さに私は少し呆れた。


「ほら、もう時期に暗くなるぞ、早よ帰るべ?」


 この口ぶりから察っするに、隣家の幼なじみはどうやら私を気遣い、待っていてくれたらしい。


(だからって何の催促よ、それ。他に誘い方があるでしょうよ)


 くすりと微笑んだ私を見る彼が微笑み返す。オレンジと紫の、曖昧な線を浮かせた空を背にして。


「まだぁ? 満席になるからもう行こうぜ」


 彼は私の鞄を手に取り、私の気をせっついた。彼の動きに合わすように私も慌ただしく、手にある物を片しつつ彼を目で探る。そこには夕陽色を反射させた、彼の無邪気な笑顔があった。


「お待たせ、おごり?」

「あ? ほざくな、割り勘だろ?」


 ええ〜とぼやく私の背を彼は叩き、

「じゃあ今度の点がオレより上なら……」

 と返し、今度の約束を取り付けて来た。不服そうにする私はまた肩を叩かれた。

 が、今度は優しくやんわりと。手を添えるような形で。


「目標あった方が頑張れるだろう?」


 私より背が少し高い、彼の顔色を伺う。にこやかにハニカム彼の姿が目の前にあった。彼と肩を寄せ合い、私は足取り軽く歩いた。あんなに落ち込ませた私の点数は頭から消え去っていた。


 帰りの会話は漫画、ドラマ、映画にインターネット配信と、今流行りの話題が尽きず歩く足取りも弾む。

 知識が豊富な彼の話も尽きることがなく、コロコロとはしゃぐ私は空を仰いだ。

 

 夕空に泳がせた紙飛行機はもう消えていたけど私の眼にはまだゆるーり、淡く空の彼方に飛んでいた。

 


 


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