第146話 レイとリリスとこれからと
一方その頃のリリスは、ピッオスのいつもの定宿の食堂でしょんぼりとしていた。
レイと別れて早くも一月が過ぎようとしている。一人で町に戻った頃のリリスは、いつまで経っても涙が止まらず、気付けば周りの制止を振り切ってレイと別れた森に向かおうとするので禪も気が気ではなく、依頼も断ってこの町に留まっていた。
「リリス、今日は兎でも追いかけにいくかァ?」
「……うん。行く」
とはいえ、冒険者であるリリスは働かねば、この宿でレイを待つことすらできない。資金は有限なのだ。禪はリリスの様子を伺いつつ、定期的に依頼や森に連れ出していた。そこには、体を動かせば腹も減るし疲れて眠ることもできる、という禪なりの気遣いもあったりするが、リリスも夢中になって兎を追いかけまわしている間は、余計なことを考えずに済むようであるからだ。
(レイ、早く帰って来い)
森で兎を追いかけていったリリスの後ろ姿を眺めながら、禪は空を睨みつける。あの日から笑わなくなったリリスは痛々しい。一刻も早くレイが戻って、その声をリリスに聞かせてやって欲しい。安否もわからず、期限も分からずに待ち続けることは、こんなにも辛いのか、と禪も歯がゆく思った。
果たしてその願いが届いたのか、追い詰めた兎に飛び掛かったリリスの背後に立つ影があった。周囲の魔獣の影に禪が気を配ってはいるものの、ただでさえ憔悴しているリリスは、兎に夢中で背後に気を配れていなかった。
その背後から、レイはリリスの肩をポン、と叩く。注意力散漫であったリリスは、「うきゃっ」と驚きで飛び上がり、その拍子に手の中の兎を離してしまった。兎はその好機を逃すはずもなく、リリスの手からすり抜けて一目散に逃げて行く。
「あっ、あぁぁ~。せっかく捕まえた兎が~~!」
「リリス、どんな時でも注意を怠るな」
兎に注意が向いていたリリスであるが、背中越しのその声を聞いた瞬間、信じられない思いで恐る恐る後ろを振り返った。次いで、その新緑の瞳をまん丸に開いて涙を滲ませ、背後のレイに飛び掛かる。
「レイッッ!!!」
うわぁぁぁん、と森にリリスの泣き声が響き渡った。気配を感じ取っていた禪も、すぐにリリスの元へ駆けつける。そこには、正面からレイに抱き着くリリスと、少し困った顔でリリスの頭を撫でるレイ、相変わらずの無表情で隣に佇むゼドがいた。それを見た禪は、心底安心したと息をつき、三人に近づいていく。
「……無事だったようだな」
「禪。どうやら心配をかけたようだ」
「ホントだぜェ」
ガシガシと頭を掻きながら近づく禪は、ため息を吐きつつもどこか嬉しそうな表情を隠しきれてはいなかった。そんな禪をマジマジと見つつ、レイは自分にしがみついているリリスへと視線を落とす。
「……リリス、顔を見せてくれるか?」
その言葉でおずおずと顔を上げたリリスの顔は、涙でぐちゃぐちゃだ。随分と心配をかけたことを申し訳なく思いながらも、これほどまでに心配してくれていたリリスに、レイの胸は暖かくなる。レイは知らずに柔らかく微笑んでいた。リリスは、そんなレイの表情に目を見開いて、つい見惚れてしまう。
「リリス、ただいま。心配かけてすまなかった」
「レイッッ! おかえりなさいッ!」
そう言って再びレイに飛びついたリリスの顔は、輝くような笑顔だった。ゼドは少し面白くなさそうだが、何も言わずに二人を見守り、リリスの笑顔を見た禪も安心したようにニカッと笑った。
リリスの笑顔を見たレイは、戻ってこられて本当に良かったと心の底からしみじみと感じた。あの不可思議な空間はやはり、少し自分が生きているという現実感がなかったのだ。そして、それと同時にチャンスを与えられてくれたゼドにも、じわじわと感謝の念が沸き起こる。
「ゼド、本当に感謝する」
「あぁ」
「禪も、心配をかけた。これからもよろしく頼む」
「あァ。こンなのは、これっきりで頼むぜェ」
「このようなことはもう無いと思うが……。善処しよう」
レイの微笑みを受けて、ゼドも薄っすらと笑みを返す。それは、不在であった間に二人の関係が何かしら進展したのでは? と匂わせるものであったが、禪は何も言うことはなかった。
リリスの頭を撫でながら周りを見回したレイは、再びリリスへ視線を戻して問いかける。ゼドに頼んでリリスの近くに移転してもらったのであるが、見覚えのあるこの森はどうやらピッオスの近くの森であるらしい。
「リリス、次はどこに行こうか?」
ゼドと共に仕事を与えられたレイは、これからその話をリリスと禪としなければならない。けれども、そこは女神も調整してくれると言っていたし、リリス達が同行を拒んでも、旅の合間にゼドの移転魔法で片付けに行けばいい。時間はたっぷりあるのだ。今は、リリスと歩くこの先の旅に想いを馳せてもいいだろう。
まだまだ、行きたい場所も見たい景色も、美味しい食べ物も二人を待っているのだ。先の未来を語るレイの声は明るい。それに釣られて、リリスの声も弾んでいく。
その後も未来を語る楽し気な二人の声が、いつまでもいつまでも森に響いていた。
――そうして、呑気で平和な四人の旅は、これからも続いていく。
<完>
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