第142話 これまでとこれからと(1)

――コポコポ。コポコポ。


 暗闇の中、レイは自分が水の中に沈んでいく感覚を感じていた。目を開けようとしてみるが、どうしても瞼が持ち上がらない。そうこうしているうちに、目を開いている訳でもないのに瞼の裏に浮かんでくる光景をぼんやりと認めて、『あぁ、これは夢か』と体の力を抜いた。




 見えてきた光景は自分の遠い昔の記憶、幼い頃の光景であった。


 剣を交える音、魔法の着弾音、怒号と悲鳴、助命を求める悲壮な声、叫び声、何かが焼け焦げた煙の臭い、鼻につく腐敗臭――。戦争あのころの日常に戻ってしまったかのような、生々しい感覚が蘇ってくる。

 常に死と隣り合わせの毎日。そんな過酷な環境でも、戦地で生まれ、戦地で育ったレイには、それらがありふれた日常の光景であった。


 父の率いる軍だったのか騎士団だったのか定かではない集団は、人間同士の戦争から魔物の討伐まで、あらゆる場所に投入された。そこは、様々な人間を寄せ集めた場所であった。

 大切なものを守るために志願して集まった者、自分の信念を通して戦う者、生きる希望を無くして死に場所を求めて来た者、刹那的な生き方を好む者、殺戮を好む者など――。


 様々な者がいたが、その誰もが行うことは同じだ。『目の前の敵を屠る』これに尽きる。戦場において、戦うことは殺すことだ。それはそのまま自分にも当てはまる。幼い頃のレイの周りには、数多くの死があった。

 戦争で敵に倒され死んでいく者、魔獣に食われていくもの、行軍の際に不運な事故に見舞われるもの、はたまた戦場という環境の中で精神を病んで自害するもの。死を待つばかりの体で、死にたくないと縋りつき呻くもの、無念を抱えたままで逝くもの。そこに敵、味方というものは、関係ないように思えた。


 常日頃からそんな中にいて、レイは『無』であった。剣の腕を磨いて、少しでも父の役に立つようになること以外、何も求められることのなかったレイには、情緒の育つ余地が無かったのだ。そういった環境で育った影響か、幼い頃より言葉数も極端に少なく、表情も凍りついたように動くことのない可愛げのない子どもであったように思う。

 だが、そんなレイが唯一気にかける存在があった。それが自身の弟である。自分の産みの母だと言う女性から「お前の弟だ」と紹介された、とても小さな子どもを見た時に、何故だかこの小さな弟を守らなくてはならない、と思ったのだ。


 レイには、父親に期待された剣の才能も、母親のような魔法の才能も微塵も受け継がれなかった。だがたった一つのだけ、特殊な才能というより能力を授かっていた。レイが極端に言葉数の少ない子どもであったこともあり、自分が生きることで精一杯の周りの大人の誰もがそのことに気付くことはなかったが、レイはその能力により、様々なことをいた。


 だから自分の父親が剣と王にしか興味が無いことも、母親が父親もその子どもにも愛情を持っていないことも、一度だけ連れていかれた王都の大きな家にいた母親違いの自分たちの兄だという貴族らしい見た目の甘ったれた太った子どもにこそ、父親から受け継がれた剣の才能があることも。父親の敬愛する王にとって、父親はただの使い勝手のいい駒だと思われている、ということでさえ、レイはいた。知っていて、口に出すことは終ぞなかったが。


(今思えば魔の森に捨てられて良かった、とすら思うな)


 流れゆく自分の幼い頃の光景を、不思議と第三者のように眺めながらレイは思った。魔の森に捨てられた時は自分の死を悟ったし、実際に死にかけた。いや、レイは実際に一度死んだのだ。


(そういえば、あの時も今のように闇に飲まれたような気がする。……このような夢を見たのかは定かではないが)


 とすると、自分は今死にかけているのだろうか。自分の思考とは関係なく、映像として流れていく自分の過去を眺めながら、レイはふと自分の状況を悟った。


(そうか。私は再び死にかけているのか……。それとも死んだのか?)


 一度死んだレイは、その命をゼドに拾われてから、気がかりだった弟の先行きの目途をつけ、それからは冒険者として気ままに旅に出た。自分の生まれ育った環境が、特殊であることを薄々感じていたのだ。人の死を目の当たりにする日常ではなく、人々の生活をこの目で見て、もっと世界を知りたかった。


 弟の学費を得るために無茶もしたが、外の世界は驚きに溢れていた。剣しか知らない自分は冒険者になるしかなかったのだが、案外向いていたことは運が良かったのだろう。

 だが、冒険者として各地を旅する上では、どうしても人との会話は避けられない。口数が少ないながらも、人と交流する機会も自然と増えていった。自分は能力のこともあり何でもつもりだったが、決してそうではなかった、ということも知った。


 それもこれも全てはゼドのおかげである。自分が死にかけたあの時、気まぐれにゼドに助けられなければ、今頃剣の才能を持たない弟はきっと自分と同じ道を辿らされてされていたことだろう。自分自身も世界を見て回ることも出来なかったし、リリスに出会うこともなかった。


(……リリス)


 レイは暗闇の中で、声にならない呟きを落とした。リリスはどうしただろうか。自分がどうして死にかけているのか、皆目見当もつかないが、傍にはリリスがいたはずである。突然傍にいた自分が死にかけたら、リリスは焦るのではないだろうか。情緒の豊かなリリスのことだ、もしかしたらこんな自分のために泣いているかもしれない。


(……死にたく、ないな)


 いつかも考えたようなことを、レイは再び思う。いや、正確には以前よりもっと強く、そう思う。リリスに出会ってからの世界は、以前よりずっと色付いて見えた。世間はずっと騒がしく、せわしなく、だが自由で包容力に溢れ、何より平和だった。


(もっともっと、リリスと旅をしたい)


――そう、リリスとも約束をしたはずだ。こんな所で死んでいる場合では、ない。

レイは力の入らない手を、それでも握りしめようと抗った。





『……こんな時まで、レイラはあの娘のことばかりだな』


 どことなく、少し拗ねたような口調のよく知る声が、頭の中に響いた。

 自分を救い上げようとするその声に、レイは動けないながらも、薄っすらと笑みを浮かべるのであった。

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