第139話 薬草採取と異変(1)
馬が荷を引く音、人々が足早に通り過ぎる足音、朝から何かあったのだろうか誰かしらの怒鳴り声などなど。日が昇ると、途端に町は騒めき出す。
今日もそんな騒めきを遠くに聞きながら、レイは目覚めた。初めは随分と賑やかな目覚めだと思っていたものだが、それにも徐々に慣れつつある。
レイたちがこの食の町ピッオスに来てから、かれこれ
禪自身もそろそろ次の町へ動きたいと思っているようなのだが、しばらく休養していた禪がこの町に留まっていると知れると否や、この機会を逃すものかとばかりに、ドゴス帝国内の貴族たちからあれやこれやと指名依頼が持ち込まれるようになってしまった。
そのほとんどが「あの魔獣の素材が欲しい」とか「貴重な何それが食べたい」といった依頼ばかりで、そんな貴族の我儘とも言える依頼を律儀に受けてやっている禪に、レイは些か呆れてしまったのだが、禪曰く「売れる恩は、売れるうちに売っておく」ということらしい。
とは言え、このところ持ち込まれる依頼量は尋常ではなく、さすがの禪も辟易しているようではあった。「アァ、もう面倒臭ェ。しばらく行方をくらますかァ」と宿で項垂れていたは、記憶に新しい。そういう訳で、禪はある程度のところで区切りをつけて、数日後にこの町から離れることにした。
そうと決めてから、ゼン以外の三人は少しずつこの町を離れる準備をしていたのだが、ふとリリスが「薬草が少なくなってきた」と申告してきた。
大きな怪我をすることが少ない四人だが、森を駆け回って擦り傷を作りやすいリリス自身の傷薬や、あちこち駆けずり回っている禪の気力回復薬、はたまたお小遣い稼ぎ用の薬などを、リリスは宿でチマチマ作っている。
そういえばこのところ森に入っていなかったな、とレイは思った。最近のレイ達は、以前訪れた食材迷宮へばかり潜っていた。潜れば潜るほど、珍しい食材に巡り合えるので、それが楽しくなってしまったのだ。また、取ってきた食材はギルドに納品もするが、宿の主人に渡すと美味い料理となって戻ってくるので、それに味をしめてしまったリリスである。着実に食の町に感化されている。
「そんなことより、薬草採取か」
ついつい脱線してしまった思考を戻して、レイは小さく呟いた。レイとリリス、ついでにゼドは、宿の一階で朝食を囲んでいた。
「うん。今日は森でもいいかな?」
「あぁ、かまわない」
そう返事をしながら、レイは今日も隣に座るゼドへ視線を向けると、目があったゼドが静かに頷いた。どうやら異論はなさそうだ。ピッオスの町は、東側と北側にそれぞれ森が広がっている。
「東側と北側、どちらの森へ行こうかな?」
「薬草は何が必要だ?」
「ん~とね。とりあえず、猫ノ
東側の森は町に近いこともあって人の手が多く入っており、森の浅い場所は比較的安全に採集ができる。以前二人が依頼を受けた「ユールクとエストの実」も、通常この東側の森の浅い場所で採集されている。
一方、北側の森は街道から少し離れたところにあるので、浅いところでも鬱蒼と木々が茂り、薄暗い。その分魔獣も多く、こちらは冒険者がたまに立ち入る程度だ。だが、その分採取できる素材も多く、運が良ければ貴重な素材を見つけることもできる。
リリスが列挙する調薬素材を聞きながら、レイはその採取場所を頭に思い浮かべた。この辺りのおおよその植生は、事前にギルドにある資料を読み込んでいる。
それによれば、猫ノ
「ふむ。北側の森の方が良さそうだな」
「やっぱりそうか~。ちょっと面倒だけど、北側に行ってもいい?」
「あぁ、問題ない」
「ありがとう、レイ!」
リリスが喜びにぴょこんと跳ねて、食べ終えた食器を店主に返し、階段を駆け上がっていった。朝食を食べながら、ぴょこぴょこ寝癖が跳ねていたので、これから出かける準備をするのだろう。リリスに置いて行かれた神獣は、我関せずと机の上でポリポリと迷宮産の野菜を頬張っていた。
***
「ん~~と。これだけあれば大丈夫かな?」
「もういいのか?」
「うん、レイもありがとう! 結構森の奥まで来ちゃったね」
薬草採取のために両膝を地面につけていたリリスは、採集した薬草類を再度確認して、膝についていた草を払って立ち上がる。リリスが必要な薬草を採取しやすように、今日はレイがリリスの護衛に徹していた。役割がハッキリとしていた為、割とサクサクと進んだ二人は、北側の森深くまで足を延ばしていた。
「あれ、ゼドさんは?」
「少し離れたところにいるはずだ。心配しなくても、そのうち合流するだろう」
「そっか。ん~、迷宮にも寄りたかったけど、今日は無理かな~」
「そうだな。今からでは、夕暮れまでに戻って来られないだろう」
「だよね~。今日は、町に戻ろっか」
「あぁ」
途中で別行動を取っていたゼドに構うことなく、二人と一匹は歩き出した。二人が依頼を受ける時は、大抵ゼドは同じエリアで受けられる依頼を受けたり、気が乗らなければ付いてくるだけ付いてきて、今のようにフラリとどこかへ消えている。レイが何処にいても場所は把握されているので、はぐれる心配はない。
随分と森の奥まで潜ってしまった二人は、辺りに注意を配りながら鬱蒼とした薄暗い森から脱出しようと足を動かした。
「リリス! 左側から敵が来るぞ。かなり大きい」
「了解!」
敵の気配を察知したレイが、鋭い声でリリスに注意を促した。それを受けて、リリスは頭上の木に枝に飛び上がる。察知能力の高い神獣は、既にレイのマジックバッグからどこかへ姿を消している。レイとリリスはそれぞれの武器を構えて、ジッと草むらを睨みつけた。
幾ばくも無く、キリキリキリ……と嫌な音を立てながら現れたのは、それはそれは大きな蜘蛛の魔獣だった。
「え、紫蜘蛛!?」
「……何故こんなところに」
大きさは、
リリスは驚きにその新緑の目を見開き、レイは苦虫を噛み潰したような顔になった。
レイ一人だけなら戦ってもいいところだが、リリスを守りながら戦うのは厳しい。何せ相手は、遠距離攻撃も近距離攻撃も持ち、紫魔獣ともなれば魔法も使う。その上、あの巨体の癖に中々俊敏に飛び跳ねることも可能で、挙句の果てに体まで硬い。
戦闘か撤退か、選択を迫られるレイの隣で、リリスは何とか自身の震えを抑えながら、ゴクリと唾を飲み込んだ――。
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