第130話 食材集めの迷宮へ(1)

 少し冷えた空気に、ほのかに暖かさを帯びた風が頬を掠める。日の当たる草原は朝露に濡れ、キラキラとその小さな雫を煌めかせる。リリスはそんな清々しい朝の空気を目一杯吸い込んで、細く息を吐きだした。


「レイ。この迷宮、すっごく気持ちいいね!」


 レイは笑顔いっぱいのリリスを見て、ゆるく頷いた。リリスの頭上に視線が行きそうになるのを何とか堪えて。


 あの後ギルドを後にした二人は、それぞれに準備を整えて昨日の朝ピッオスを発ち、迷宮の傍で一晩体を休めた。そして今日、早速朝から迷宮へ潜っているという訳である。


 ピッオス周辺は温暖な気候……というよりは、やや暑いと感じる気候である。野営をしていると、朝から強い日差しで目を覚ますこともざらで、少し歩いているだけで、額に汗が滲むほどだ。ところがこの迷宮は冷涼な空気に満たされており、一階層は清々しい草原が広がっている。


 近頃、自分が暑いのはどうやら苦手なようだ、と気が付いたリリスのテンションは一気にあがった。そして、レイが何かを言う前に草原を疾走していった。その頭に茶色いを乗せたまま。

 案の定、その茶色いがリリスの頭の上から振り落とされて、草原の上に落下する。と、焦ったリリスが、落ちたに向かってペコペコと頭を下げていた。そんな隙だらけのリリス達に近づく小さな影が、ひとつふたつ。レイはひとつため息を吐いて一瞬で間合いを詰めると、その不届き者たちを一掃した。


「リリス。一層で小物しかいないとはいえ、油断し過ぎだ」

「はっ……。つい。レイ、ごめんね。ありがと」


 レイは先ほど切り伏せた灰鼠をポイポイと収納すると、リリスの方へ向き直った。そこには、膝をついてペコペコと頭を下げるリリスと、その正面で二本足で立ち、さも怒っていますと言わんばかりの態度を示す兎の姿があった。兎の首回りには、赤色のリボンが巻かれており、背中側ではやや大きめの可愛らしい蝶結びのリボンが揺れている。

 この兎、正体は神獣様である。その色合いから一発で神獣であるとバレてしまう神獣は、普段はレイのマジックバッグを通してどこかへ行っているのだが、ゼドが人前でその姿は不便だろうと気を利かせて、その色味へ偽装してくれたのだ。今回その媒体に用いたのが、この赤いリボンで、魔道具のような役目を果たしているらしい。


 そんな、一見可愛らしい兎になった神獣様は、何を思ったのかリリスの頭の上に居場所を定めた。リリスの小さな頭では乗り心地が悪いだろうに、何故そこに乗るのか。神獣に引け目を感じているリリスは、当初かなり慌てていたが、今ではそこに神獣が乗っていることを忘れるのか、度々こういったことが起こる。

 神獣も振り落とされて怒るのならば、そこに乗るのを止めればいいのに、何故かまた気付けばそこに居るのだ。結局なんだかんだ仲良しな一人と一匹である。


 とは言え、ここは迷宮である。度々このような隙を作られては堪らないので、レイは一人と一匹によくよく言って聞かせた。神獣も攻撃手段を持たないとは言え、かなりの速さで長時間走り続けることが出来るのだ。レイやリリスがわざわざ運ぼうとしなくても、自力で二人についていくことなど、造作もなかったりする。


 ということで、二人と一匹はサクサクと迷宮を走り抜けた。所見の迷宮なので、ゆっくりと攻略したい気持ちもあるのだが、まずは依頼された採集を優先する。万一ここで採集出来ない場合、別の場所を探さなくてはならないからだ。


「ん~~、ユールクの実、どこだ~~?」


 レイ達は特に何事もなく、ユールクのあるという十二層まで下りてきていた。が、肝心の実がなかなか見つからない。リリスは索敵をしつつも、頭上の木を一本一本見上げていく。神獣が迷惑そうにリリスの後頭部にしがみついているが、お構いなしだ。


「……リリス。ユールクの実は、いくら木を見上げても見つからないぞ」

「え、どういうこと?」


 ユールクの実は、子どもの頭くらいの大きさの実だ。表面はツルツルとした弾力のある皮で覆われており、触るとブニブニとしている。収穫したての実は緑色なのだが、熟成させることで徐々に茶色から黒色へ変化していく。


 この実は別名タレの実とも呼ばれるもので、実を割ると中には複雑な旨味が凝縮されたサラサラとした液体で満たされている。これが、様々なタレの素になるのだ。実の熟成度合いによって旨味やコクが異なり、更にこれに調味料や香辛料、肉や果物などのエキスを混ぜる合わせることで、店独自のタレを生み出している。中には作ったタレを何年も継ぎ足して、秘伝のタレとしている店もあるというから、奥が深い。

 それはともかく、この実はあまり知られていないが、実は普通の木の実のようにその辺の木に生っている訳ではないのだ。


「……見たほうが早い。リリス、しばらくジッとしているように」

「? りょうか~い」


 不思議そうに首を傾げるリリスを尻目に、レイは少し離れた草むらに鞄から取り出した化茶茸ケチャタケをそっと置いた。先ほど見つけてむしっておいたものだ。そのままリリスと二人で気配を消して身を隠す。どれほどの時間が経っただろうか。神獣があまりの暇さに、リリスの頭上でウトウトしていると、ゴソゴソと草をかき分ける音が聞こえてきた。一人と一匹は、音の聞こえてくる方向を見据えてジッと睨む。


 そこに現れたのは、緑色の奇怪な生き物であった。

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