第126話 二度目の護衛依頼(2)
ガルルルル……と低い唸り声をあげながら姿を表したのは、緑狼だ。
それも、その辺で見るような緑狼とは異なり、かなりの巨体である。鋭い牙を剥き出しにして、こちらを威嚇する大きく裂けた口元からは、ボタリボタリ、と絶えず涎が垂れていた。
「レ、レイ。これ、緑狼だよ……ね?」
「あぁ。かなり長く生きている個体か、もしくは力の強いものを捕食したのだろうな」
二人は油断なくそれぞれの武器を構えているが、敵に気圧されたリリスの左足が、知らず僅かに後退して砂利を踏む。
長いようにも短いようにも感じる時間、両者は睨み合った。張り詰めた空気に、リリスはゴクリ、と唾を飲み込む。
基本的に森での奇襲を得意とするリリスは、正面から敵とやりあうことに向いていない。リリスは密かに、安易に木の上から降りてきてしまった自分の判断の甘さを悔いた。普通の緑魔獣ではない。今のリリスにとって格上の相手であることを、粟立つ肌の感覚が痛いほど脳に訴えてくる。
「私か敵が動いたら、リリスは退避」
「はい」
緑狼から目を逸らすことなく、レイは告げた。それと同時に、レイは地を蹴って緑狼の正面から接近する。だがそこは緑狼も分かっていたようで、レイの軌道を読んで素早く脇に避け、そこにあった木を踏み台にして跳躍してくる。踏み台にされた木は、その力強い一蹴りと重量に耐え切れず、あっけなく砕け散った。
「巨体のくせになかなか速いな……」
レイは緑狼の攻撃をいなしながら、リリスから距離を取るように誘導していくが、中々思う方向に動いてくれない。狼魔獣は基本的に突っ込んでくるものが多い中で、どうやらこの緑狼は随分と戦い慣れしているようだ。
「ひぇっ!」
などと思っていたら、緑狼は木々の間を抜けながら、退避しようとしていたリリスに狙いを変更し、唐突に襲い掛かった。
リリスはその急な攻撃に驚いたものの、なんとか躱してその巨大を避け、慌てて進行方向を変えて駆け出した。ぴょんぴょんと跳ねながら、足場を木の上や地面に不規則に変え、森の中を縦横無尽に駆け回る。こうなったリリスを追うのは、レイでもなかなか難しい。
だが、緑狼の注意がリリスに向いている今が、攻撃の好機である。計らずもリリスが囮となってくれたことで、レイは緑狼を狙い易くなった。レイとて伊達にリリスと兎の追いかけっこに振り回されていた訳ではないのだ。リリスの動きは不規則だが、その経験からある程度は読めるつもりだ。レイはこれまでより、より一層気配を消して、敵の隙を窺った。
リリスもそれが分かっているようで、緑狼の注意を引くためにちょこまかと逃げながらも細かく攻撃を繰り返している。投げナイフや投石で攻撃しているようだが、逃げに集中しているせいか当たりが悪く、致命的なダメージには至らないようだ。馬車が待っているので、さほど時間はかけられない。だが、焦りは禁物だ。レイは背後から緑狼を追いながら、ジッと好機を待った。
ほどなくして、緑狼の追う足が鈍くなってきた。どうやら持久力はそれほどでもないらしい。レイは隠れていた茂みから抜け出すと、素早く移動して緑狼の背後からその首を貫いた。そして油断なく剣を引き抜いて、首を落とす。
「……ハァ、ハァ。レイ、ありがと」
「いや、リリスが囮になってくれたおかげで助かった」
逃げ回ったせいか、リリスは息があがって苦しそうだ。少し休憩を取りたい所だが、そういう訳にもいかず、レイは手早く緑狼を収納するとリリスを伴って、馬車へと戻った。
「おゥ、そっちは大丈夫だったかァ?」
馬車の停まっているいる場所まで戻ると、禪が声をかけてきた。どうやら、心配して後方の馬車まで様子を見に来てくれたようだ。
「あぁ、問題ない。後方の黄狼は狩ったから、これ以上の追手はないだろう」
「そうかァ。遅かったから心配したンだが、俺も依頼主から離れられなくてなァ。悪かった」
「いや、心配には及ばない。討伐に手間取って悪かった。先を急ごう」
明らかに疲れを見せるリリスを心配気に見やりながら、禪は馬車を進めるべく先へ歩いて行った。禪も黄狼数頭に手間取る二人ではないと知っているので、敵がそれだけではなかったことに気づいていたが、敢えて触れることはしなかった。
レイは肩で息をするリリスを先に馬車に乗せると、辺りの気配を注意深く探ってから自身もヒラリと飛び乗った。
「ゼド、馬車に被害は?」
「ない。四頭ほど黄狼が襲ってきたようだが、特に危なげなく冒険者が倒していたな。親玉は強かったか?」
「そうだな。緑狼だったが、通常よりも巨体で明らかに戦い慣れしていた。あれは長く生きていたか、格上を捕食しているな」
「……なるほど。稀にランク不相応な魔物が発生すると聞くが、それかもしれぬ」
そう言って、何かを考えこむゼドの横で、レイはリリスに果実水を与え、甲斐甲斐しく果物を剥いて食べさせている。横目でそれを確認したゼドは、レイに対してこやつ本当に小娘の事が好き過ぎるだろう、と微妙な顔をしていた。
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