第113話 ゼドと野営(2)

 パチパチと油のはねる音と、辺りに漂うなんとも馨しい香りに、リリスは鼻の穴をヒクヒクと大きくした。

 空には満天の星が輝き、森はすっかり闇に沈んだ。焚かれた火と魔物除けの魔道具の僅かな明かりが、ふんわりと優しくその野営地を照らし出している。




 赤馬を倒したレイは、その魔獣がなぎ倒していった木々を薪として拾い集め、手早く野営地に戻った。もちろん赤馬が駆けつけてくる騒動のきっかけとなった、ゼドが切り倒した(?)木材も回収したが、こちらは薪にせずにそのまま鞄に突っ込んでいる。ただ単に処理が面倒だっただけなのだが、そのうち何かの役に立つだろう。多分。


 野営予定地に戻ったレイは、早速先ほど拾ってきた木々を乾燥させて薪にし、適当にその辺の石を組んで少し大きめのかまどを作って火を起こした。その上には鞄から取り出した鉄板を乗せ、熱しておく。その隣には野営用の簡易竈も取り出して、火を入れる。次は下ごしらえだ。


 リリスと禪の気配を探るが、結構遠くまで行っているのか、レイの探索範囲にはひっかからない。


「ゼド、あの二人が帰ってきたら教えてもらえるだろうか」

「あぁ。少し離れた所にいるようだな」


 そう言ったゼドは、何もない空間から弦楽器を取り出すと、手慰みだろうか、何やら音を奏で始めた。森の中で何とも優雅なことである。だが、不思議なことに、ゼドがこの楽器を演奏している間は魔獣は近くに寄ってこないのだ。そういえば以前にも魔の森でこんなことがあったなと思い出す。

 殺伐とした環境で育った自分には、楽器を自ら奏でるような教養は無いが、他人の奏でる音色に耳を傾けることは嫌いではない。レイはその心地よい調べを聞きながら、調理に取り掛かった。


 まずは先ほど解体した赤馬のすね肉を、鉄板で焼き色がつくように焼く。両面に焼き色がついたらそれを鍋に入れ、水と適当なワインを加え、簡易竈の上に置く。後は時々灰汁を取ったりする以外は放置だ。後から出た、くず野菜も放り込んでおくが、これは時間がかかるので、今晩の夕食ではない。要は明日以降の下準備である。


 さて、今晩の夕食は鉄板焼きである。鞄に放り込んであった野菜やキノコ類を取り出し、適当な大きさにザクザクと切っていく。肉は先ほど狩ったばかりの新鮮な赤馬だ。なかなかの巨体であったし、ぶ厚めにスライスしてしまおう。味付けは塩だけでも美味いだろうが、どうしようか。そういえば、ローグに頼まれて採りにいった芳幸茸ほうこうだけが少しだけ残っていた。それでソースを作ってもいい……。


(というか、最近肉ばかりじゃないか。そろそろ魚が食べたい……)


 そんなことを考えながら手を動かしていると、ゼドが二人が近づいてきていることを伝えてくれた。自分でも確認してみると、確かに二人はすぐそこまで戻ってきているようだ。これならもう焼いてしまってもいいだろう。レイは、豪快にも鉄板の上に分厚い肉厚の赤牛を並べていった。もちろん付け合わせの野菜類も忘れない。

 鉄板はジュウジュウと音を立て、辺りに肉の焼けるいい匂いが漂う。二人が戻ったら、すぐにゼドに結界を張ってもらおう。そう思いながら、レイは立ち上る白い煙を眺めた。


「うおッ。スッゲーいい匂い。一気に腹が減って来やがったぜェ」

「はぁはぁ。何、このごちそう感溢れる匂い……。絶対ごちそうだ。ヨダレが止まらない……」


 しばらくすると、茂みの奥から腹を鳴らす禪と、何故か頭に大量の葉っぱを乗せたリリスが、ヨダレを垂らしながら現れた。それを見たレイは、無表情でゼドへ振り向いた。


「ゼド、結界を」


 ゼドはそれに無言で頷き手を振ると、この周囲が森から遮断された感覚がする。それに頷くと、レイは森から出てきた二人に洗浄の魔法をかけて、その辺に座るように促した。


「うおッ、洗浄か。ありがてェ」

「レイ、ありがとー! ねぇねぇ、何焼いているの?」

「さっき狩った赤馬だ。薪を拾っていたら遭遇した。そっちは随分時間かかったな?」

「イヤァ。奥に行こうとしたら、目の前に緑兎が出てきてよォ。急に目の色を変えたリリスがそいつを追い掛け回すモンだから、参ったゼェ……」

「ご、ごめんね。緑兎は初めて見たけど、兎と思ったらつい……」

「あぁ……」


 レイは自分も経験のあるその話に、遠い目をしてしまった。リリスは何故か兎魔獣を見ると目の色を変えて、執拗に追い掛け回すのだ。兎も兎で、リリスに遭遇すると、何かを感じるのか一目散に逃げようとする。

 そうすると、必然的に森での耐久追いかけっこが始まるのだ。レイは、それに付き合わされた禪に同情する視線を向けた。禪はその視線を受けて、苦笑いを返す。そして、ツイっと静かに音を奏でるゼドに目を向けて、顔をひきつらせた。


「……っつーか、旦那の優雅さがマジでヤベェ」


 明らかに手ぶらのゼドがその楽器をどこから出したのか、だとか、こんな強めの魔獣のいる森で優雅に楽器を奏でる神経はどうなっているんだ、だとか色々思うところはあるが、ゼドから溢れ出る高貴な雰囲気オーラが、その場を異様な空間に見せていた。

 何といってもゼドである。今は見た目を偽装しているが、それでも滲み出る神気というのか、高貴さは隠すことが出来ていないように思う。特にそういったことに敏感な質である禪には、この空間におけるゼドの異様さが、かなり不自然に浮いて見えていた。


 自分はまだこの存在に慣れないらしい。禪は改めてそう思った。自分の勘の良さや感覚の鋭さは、自負している。それもあったから、Sランクになれたと言ってもいい。だが、その感覚の鋭さが仇となって、苦労することになるとは、全く予想もしていなかった。


 禪は満点の星を見上げて、周りに気付かれないように、小さく息を吐いた。

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