第3章 共生

第112話 ゼドと野営(1)

 時刻はすっかり夕暮れ。オレンジ色の陽光がまばゆく蜂蜜色の髪を照らしている。その沈みゆく日の光に目を細めたリリスは、ようやく戻って来ることのできた森の景色に小さく安堵の息を吐いた。


 リリスの耳には、村では外していたキラリと光る赤い装飾具が嵌まっている。それはエルフの特徴的な耳を隠すためのオババ様特製の魔道具だ。更にリリスはオババ様の手によって修復された防具を身に着けている。オババ様によって手入れをされたそれらは、リリスに良く似合った仕立てとなっていた。聞けば、村人一人ひとりのためにオババ様自ら全て手作りしているらしい。

 それはともかく、オレンジ色の光の満たす森の中で、リリスは両手を腰に当てて大きく息を吸った。


「もう! お兄ちゃんのせいで! こんな時間に!!」


 そして、先ほどまで我慢していた憤りを吐き出すように、大きく声を上げた。が、ここはエルフの村ではなく、あのエルフの守り神になりかけているオババ様の領域外。普通の森の中である。もちろん魔獣が出る場所だ。魔獣の注意を惹きかねないリリスの大声に、すかさず禪とレイから注意が入った。


「ご、ごめんなさい~」


 しょんぼりと項垂れるリリスであるが、リリスが憤るのも理由がある。今朝がた、エルフの村を出立することを予め周囲には伝えていたにも関わらず、リリスの兄であるアレンがありとあらゆる手段を使ってごねにごねた為、出発が遅れ、気付けば夕暮れに近い時刻となってしまったのだ。


 仕舞いには「今日はもう暗くなりそうだから、明日にすれば」と言い出したアレンに、リリスが怒って三人を連れて村を飛び出した。そして、ドゴス帝国国境近くの森に降り立ったのが、つい先ほど、という訳である。


「まぁ、リリスの気持ちもわからなくもないが。仕方がないから、今日はここで野営するとしよう。ゼド、結界を頼めるだろうか」

「あぁ。いいだろう」

「俺ァ、ちょっと獲物でも狩ってくるぜェ。ついでに薪も拾ってくッかァ」

「あ、ゼンさん! 私も! 私も憂さ晴らしさせてください!」

「おォ。この辺りの魔獣はリリス一人じゃ厳しいだろォ。俺から離れるンじゃねェぜ~」

「はいッ!」


 どうやらリリスは相当鬱憤が溜まっているようである。あまり遅くならないといいが……と思いながら、森へ消えていく二人カップルの後ろ姿を見送ったレイは、ひとつ息を吐きだした。


「ゼド。結界は二人が戻ってきてからで頼む」

「あぁ」

「少し薪でも拾ってこよう」

「そうか。我も手伝おう」


 二人が戻ってくるまで、のんびりお茶でも沸かして夕食の支度でもしておこうか。確か、まだ鞄にはいくつか食材になりそうなものが残っていたはずである。二人が獲物を狩ってくるとは言っていたが、すぐに日も暮れそうなので、直ぐに食べられるものも用意しておいた方がいいだろう。

 そんなことを考えながら、レイは黙々と薪になりそうな木の枝を拾い始めた。ゼドは今は傍にいないが、その辺で同じく薪を拾ってくれているはずである。――と、思ったら、すぐ近くから「ドォォォオン」と木が倒れる音が響いてきて、慌てて後ろを振り向いた。


 振り向いた先には、まぁまぁの巨木を魔法で切り倒したであろうゼドが立っていて、レイは慌てて剣を抜いた。大きな音を立てたことで、この辺りにいた魔獣が二頭ほど、足早に近寄ってきていることを感じ取ったのだ。


(大きいな。四足。牛……にしては、早い)


 魔獣は足音を殺すこともなく、その大きな足音を響かせ、草をかき分けながらこちらに突進する勢いで迫ってきている。レイは茂みの奥を睨んだ。


「……赤馬」


 レイは茂みから見えた、燃え盛るような真っ赤なたてがみの馬を見て、ポツリと呟いた。思ったよりも森の奥に入ってしまっていたのだろうか。ここらでは珍しい魔獣である。


 その赤馬は余程興奮しているらしく、鼻息も荒く、首を上下左右に首を振りながらもレイ達に向かって、一直線に駆けてくる。その口元からは鋭い牙が左右に一本ずつ飛び出し、額からは立派な角が一本天に伸びている。

 赤馬が首を左右に首を振るたびに、周囲の木々の枝を払い、木の幹に深い傷を残し、その筋肉隆々とした足で踏みつけられた草木は、呆気なく踏み倒されていく。


 踏み倒された後を見れば、どうやら薪の確保は易そうである。だが、これ以上音を立てられて、魔獣を集められてはかなわない。今日の野営予定地は、この近くなのだ。レイは音も立てずに、鞘から剣を抜き、赤馬に向かって駆け出した。


 赤馬はつい、その牙や角に目がいきがちだがその実、後ろ足での蹴りが一番危険である。従って、この魔獣の後ろを取るのは悪手。正面から切り込んだレイは、隙を見て、巨体の下から上へ切り上げた。それだけでは致命傷とならず、首を振って攻撃をしてきた角をその剣で受け止め、受け流す。受け流しざまに横腹を蹴り上げて、出来た隙を逃さず、足の健を切る。こうなれば勝負は見えたものだ。まずは一頭。


 次いで、こちらを警戒して睨みつけてくるもう一頭と睨み合う。こちらの戦闘が終わるまで襲って来ないとは、愚鈍と言えばいいのか、随分と警戒心が強い魔獣である。レイは睨み合いながらも剣を構えなおす。レイと一頭の赤馬の間に、ピンと張りつめた空気が流れた。が、レイが先に切りかかろう、と足に力を込めた瞬間。目を反らした赤馬は踵を返し、遁走した。それを追いかけることもせず、レイはその影が消えるまで、後ろ姿を見送った。


「……良かったのか?」

「あぁ。今日の夕食には、一頭で十分だろう」


 そう言って、レイは先ほど倒した赤馬の解体を始めた。

 レイが魔獣の相手をしている間、ゼドは何をする訳でもなく、ただその戦闘を眺めていた。魔の森に居た時もそうであったが、ゼドは基本的に戦闘には参加しない。強すぎる力を持つ余り、加減が出来ないのもその理由のひとつであるし、管理者があまり地上の生き物に干渉するのは良くないようなのだ。


(それならそれで、あまり目立つようなことはしないで欲しいのだが……)


 レイは赤馬の解体を行いながら、そっと息を吐いた。

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