第111話(閑話)とある女神の日常

 そこは、何もない一面ただ、真っ白に染まる空間であった。

 どこからが天で、どこまでが地なのか、その空間ではその境目すら曖昧になるほどの、白の世界である。


 そのただただ白い空間に、生命というものを感じさせない、例えるなら彫刻のように整った、いや整い過ぎた容貌を持つ人物が、座るような格好で浮かんでいた。


 その人物の顔には普段仕事の際に浮かべている、人を魅了する微笑もなく、今は何を考えているのかわからない無機質な様で、自身の太ももに居座るソレを一心不乱に撫でている。


――彼女は、そう、レイたちが暮らす世界の管理者である。

そして、彼女の膝の上で迷惑そうに鼻をひくつかせているのは、兎姿の神獣である。



「マスター、仕事しなくていいのですか?」

「せーちゃん、うるさい」



 その白の空間に無機質な声が落ちた、と思ったら、すかさず女神の可憐な唇から、女神の声とは思えない位ひっくい声が漏れ出す。女神は今度は神獣をモフるだけでは飽きたらず、そのツヤツヤの美しい毛並みに顔面をつっこみ、『すぅはぁ』と吸い始めた。

 いつ見ても可愛いはずの兎の顔は、最早虚無の表情を浮かべている。



「……何か嫌な事があったのですか? マスター」


 その言葉に、ピクリと女神の肩が反応する。女神の顔は、未だ兎に埋もれたままだ。


 この空間では時間の概念が曖昧である。神獣は少し前から、体感としては随分と長い間、この女神に拘束されている。


 実はレイが何度かマジックバッグに向かって、神獣に呼びかけても返事が無いので、「おかしいな」と首を傾げていたりする。神獣はその呼びかけにはもちろん気付いているし、何ならこんな所より至れり尽くせりのレイの元へ行きたいのだが、如何せん女神の拘束が外れる事はない。何より、女神の癒やしとなる事が、神獣ペットの仕事であるのだ。仕事であるので、仕方がない。


 とはいえ、このように拘束されれば神獣もストレスが溜まる。苛立ちに任せて、後ろ足で女神の膝をダンダンと蹴っているが、そこは女神。そんな神獣の攻撃など可愛いものだ。女神は、鋼の太ももを持っていた。



「そう言えば、先日、報告会があったのでしたか?」

「そうなの! 聞いてくれる!?」


 どうやら、女神は仕事上の事でストレスが溜まっていたらしい。報告会、と聞いた所で、ガバリと顔を上げた女神は、大声を張り上げた。


 大声を張り上げた所で、この白い空間から音が漏れる事は無い。ここでは、思う存分愚痴っても平気なのだ。女神はその鬱憤をぶち撒けるべく、口を切った。


「この間の報告会で、レポート上げたのよ。そしたら例のエラーについて、上司に『エラーにエラーで対応するなんて、どういう頭してるんだ?』って言われたのよ!」


 その上司の口真似をしているのだろう、女神はその場面を思い出したのか、更に語気を強めた。


「はぁ〜!? うっせぇわ! 数字しか見てないくせに、余計なこと言ってんじゃないわよ。こっちは慎重に成り行きを見守ってんのよ! し、か、も、この創造プログラミングしたの私じゃ無いんですけど!? このエラーだって、初期の設定ミスよ!? ホント、なんで私がぐちぐちグチグチ言われないといけない訳! あー、腹立つ!」


「「…………」」


「しかもアイツ、『キミ、良い年齢なんじゃないのか? そろそろ結婚しないのかい?』とか仕事に関係ないこと言ってきたのよ。これってアレよね、どこかの世界の言葉で、えーっとなんだっけ……パワハラ? セクハラ?よ! ホント、ふざけんじゃないわよ!」


 一気に不満をぶちまけて、大声で叫んだ女神は、ハァハァと息を吐きながら、再び膝の上のモフモフに顔を埋めた。


 この女神も色々と苦労しているようである。喋ることは出来ないが、少しくらいモフモフさせてやってもいいか……と同情する神獣なのであった。

 

「……マスターは頑張っていますよ。世界の細かいところまで気を配られていると思います。そんなに落ち込まないで下さい、マスター」

「せ、せーちゃぁん……。そんなことを言ってくれるのは、せーちゃんだけよ……ううっ。わ、私、せーちゃんの為にもお仕事頑張る! そうよ、私には仕事があるもの!」


 こうして、世界せーちゃんに上手く誘導されながらも、今日も女神は業務に戻るのであった。


「あなたも、長いこと拘束してくれて悪かったわね。しばらくあっちでゆっくりして来ると良いわ」


 そう言って、ようやく解放された兎は、白い空間でぴょんぴょーん、と二回跳ねるとクルリと前に回転しながら、白い空間に溶けていった。



「さてと、やりますか」

「はい、マスター」



――こうして今日も、どこかの世界は回っている。

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