第109話 リリスと元許嫁(2)

 広場の隅にも関わらず、チラチラと村人たちの好奇の視線を集めているのは、アレンに絡まれるレイとゼドがいる辺りと、もう一か所。色々な意味で注目を集めているリリスのいる場所だ。


 そのリリスと元許嫁であるキールは今、取り止めもない話をしている。村人の誰それに子どもが出来ただとか、あそこの誰それは今年から狩りに参加するようになっただとか、そう言った話だ。


 禪はそんな二人の話を聞き流しながら、手に持っていた赤鹿の煮込みに視線を落とす。それほど調理時間も無かっただろうに、村の大鍋で煮込まれたそれは料理人の腕がいいのだろうか、ほろほろに崩れる肉とホクホクとした野菜が実に美味い。

 そんな煮込みを口に運びながら、禪はリリス越しにチラリとキールを観察した。


(これがリリスの元許嫁か。随分と若い……イヤ、幼い感じがするなァ?)


 誰からいつ聞いたのかも忘れたが、リリスに許嫁がいた、という話は聞いていた。相手方からそれを解消したいと言われた、ということも。


 普段から、リリスに好みだなんだと熱烈にアピールされている禪からすれば、今回のリリスの里帰りに際して、元許嫁について何か思うことは無かった。確かに無かったはずなのだが……。


(こう目の当たりにすると、面白くねェなァ)


 そう思いながら、大きな口へ煮込みを流し込んだ。パンと酒が欲しいな、と思いながら。鞄にはそれらが入っているが、流石にここでそれを出すのは無粋だろう。禪は食事と酒を貰いに行こう、と立ち上がった。


「あ、ゼン……さん。どこかに行くの?」

「あァ、ちょっと食うもン貰ってくるわ。リリスも何かいるかァ?」

「えっ、そんな。私が行って来ますよ!」

「いやァ、気にすんなッて。ちょっと行ってくるゼ」


 そう言って、禪はスタスタと広場の中央へ歩いて行った。その後ろ姿を、リリスはぼんやりと見送る。


「行っちゃった……」


 中央で煌々と燃やされる焚き火の光が、禪の剥き出しの腕を照らし出す。禪はオババ様の元へ行く道中に、羽織っていた外套を脱いでいた。そんな剥き出しのムキムキの筋肉と、大きくて頼り甲斐のある背中に、リリスの胸はキュンと鳴いた。


「リリスはあの人のこと、怖くないの?」

「怖い?」


 そんな禪の後ろ姿をポーッと見ていたリリスに、キールはおずおずと問いかけるが、その問いの意味がわからないリリスは首を傾げた。


「だってあんな大きな人、見たことないよ。しかも鬼人だし、怖いよ」

「ゼンさんは怖くないよ。冒険者にも慕われてるし、紳士的だし、とっても優しいの。それに村の外に出れば、異種族ばっかりだよ。鬼人とか関係ないよ。それにそれにキール、あの素晴らしい筋肉を見て! とってもカッコイイでしょ!」


 そこから、リリスによる怒涛の筋肉語りが始まった。さり気ない動作で魅せるムキッとなる何処此処の筋肉が美しいとか、こういった場面でのさり気ない力持ち具合がたまらないとか、一度口火を切ったリリスの熱弁は中々収まらない。

 キールは初めて見るそのリリスの筋肉への熱量に若干引きながらも、この話をさっさと切り上げるべく、どうにか口を開いた。


「……そ、そっか。僕が言えたことじゃないけど、安心したよ。リリス、幸せそうだね」

「もちろん!」


 リリスの輝く笑顔を浴びたキールは、安心したように、どこか力無く笑った。


「リリス、色々振り回しちゃってごめんね。リリスが村を飛び出してしまうなんて、思ってもみなかった。本当はずっと謝りたくて、今日は話しかける機会を窺ってたんだ。」

「ううん。私もあの頃は色々煮詰まっちゃってたから。だから、もういいの。それに村を出て、素敵な出会いが沢山あったもの」

「そっか。リリスは前を向いているんだね。僕はさ、アレンさんに告白したんだけど、見事振られちゃってさ。まぁ当たり前なんだけど」

「お兄ちゃん、メルさんのことめちゃくちゃ好きだからなぁ〜」


 メル、と言うのはアレンの許嫁のことだ。メルはとても素敵な女性で、リリスも大好きである。二人ともいい年なので、そろそろ結婚するんじゃないかな、と思っているが、その辺りはよくわからない。


「だよね。分かっていたんだけど、女装をしたアレンさんには、抗えないものがあったというか、つい、フラッときちゃったんだよね……。ふふふ。僕も若かったなぁ……」

「うん……。妹の私が言うのもなんだけど、お兄ちゃんの女装はびっくりするほどハマってたもんねぇ……。私も敵わないって思うくらいのすっごい美人だったもん。仕方ないよ」


 キールは昔を思い出しているのか、その目はどこか虚ろに濁っている。とは言え、キールは実はまだ十五歳。昔とか言っているが、僅か一年ほど前のことである。まぁ、それほど思い出したくない、ということなのだろう。キールの顔が、その後悔を如実に表現していた。


 リリスはつい、姉のようにキールを慰めてしまっていた。思えば、自分よりも一つ年下のこの幼馴染のことは、弟が出来たみたいに可愛がっていたな、と思い出す。村を飛び出す直前は、魔法が上手くいかないことに始まり、何もかもが上手くいかないように思えて、余裕がなかった。あの頃は全然、周りのことが見えていなかったんだな、と思い知らされる。


 それを思えば、今はとても幸せだ。色々悩んだけれど、思い切って外へ飛び出してみて本当に良かった。あの時は現状から逃げ出したい気持ちでいっぱいで、先のことなど何もわからなかったけれど、


「キール。私ね、今とっても幸せだよ! だからね、この話はもうお終い! キールも先はまだまだ長いんだから、クヨクヨしないで頑張って!」

「うっ……。リリスはまた一段と強くなったね……。なんだか自分が情けないよ。でもそうだね、僕も僕で頑張るよ。とりあえず、僕もリリスに負けないように、緑豚ごちそうを倒せるようにならないとね」

「そうだね! 緑豚ごちそうを狩るには、まずは筋肉をつけることをお勧めするよ! キールはちょっと細すぎるからね!」

「うっ……。僕、これでもエルフとしては平均なんだけど……」

「まだ伸びしろのある今のうちに鍛えたら、エルフといえどもムキムキになれるかもしれないんだよ!?」

「それ正しい情報!? 絶対適当に言ってるよね?」

「えーー。キール、ムキムキになりたくないの?」

「ぼ、僕は別にいいかな……。ははは。あ、僕ちょっと用事あるんだった。またね、リリス!」


 また先ほどの、長くて興味のない筋肉語りをされては堪らない。風向きが怪しくなってきたことを感じ取ったキールは、そそくさと退散した。


「終わったかァ?」

「ゼンさん!」

 

 ククク、と笑いを堪えながら、リリスの後方から禪がのっそりと現れた。どうやらキールとの話が終わるのを離れた場所で待ってくれていたようだが、最後の方の話が聞こえてしまったらしい。いつもの筋肉語りなので別に恥ずかしいことではないのだが、禪のその笑顔が素敵過ぎて、リリスはほんのりとその白い頬を染めた。


「ホラ。牛串も沢山貰ってきてやったぜェ。何本食う?」

「とりあえず、十本ください!」


 禪に差し出された皿にこんもりと盛られた肉を見て、リリスはキラキラと輝く満面の笑みを浮かべた。本当に、幸せだ。

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