第108話 リリスと元許嫁(1)
レイがリリスの兄であるアレンに絡まれている頃、リリスはひっきりなしに訪れる昔馴染みの村人たちの相手をしていた。
小さな村だ。何かあれば、それは一瞬で村全体に広まってしまう。リリスが村を飛び出したことも、またその理由も、村人達の間では当然のように共有されている。その上で、リリスにはいささか同情的な者が多かった。
そんな中で、多種族の恋人を連れて帰ってきたリリスに、注目が集まらない訳がない。
好奇心旺盛な村人達は、二人の馴れ初めなどを聞き出そうと、二人を取り囲んでいた。宴のはじめこそひっきりなしに絡まれた二人であるが、ある程度相手をすれば、自ずと人から人へ情報は伝達するものである。
「リリス、疲れただろォ? ちょっと休憩しようぜェ」
「はい! 流石にこんなに話しかけられると、ご飯を食べることも出来ませんね」
人が途切れたタイミングで禪が提案したそれに、リリスは笑顔で頷いた。禪の誘導に従って、広場の隅の方へ移動するついでに、例の牛串と飲み物もちゃっかりとゲットするリリスである。
二人は広場の隅で適当に転がっている木材に腰かけて、待ちきれないとばかりに牛串を口に運んだ。念願の赤牛である。これまで食べたことのない高級食材の旨味に、リリスは目を輝かせた。
「ん、ん、ん〜〜! 美味しい! 美味しいです、師匠!」
「てか、気になってたンだがよォ。恋人になったンだし、師匠ってやめねェ? あと、話し方もなァ」
「え? あ、え?」
禪の言葉に、牛串を口に含んだままのリリスは狼狽えた。おかげで一瞬、口の中の幸せが吹き飛びそうになったが、慌てて再度噛みしめて味わう。
「ホラ、呼んでみな」
「ゼ、ゼン……し、しょう」
「師匠はいらねェって」
「ゼ、ゼン……さん」
「さんもいらねェけど」
「それは、ちょっと……。いきなりは無理です……」
「まァ、おいおいなァ。とりあえず、喋り方はレイに話すみてェな感じでヨロシク」
「う、うん……」
ここに来て、急に恋人になったことを実感したリリスは、頬を染めた。確かに、このところのリリスは、禪に対して年上のSランクということもあり、基本的に丁寧な話し方をしていたのだが、正直なところ、その距離を測りかねていた。
どうやらそれを感じ取った禪が、助け舟を出してくれたらしい。それが、どうしようもなく、嬉しい。胸がソワソワとして落ち着かないが、熱くなる頬も、どうしてもにやけてしまう口元も、自分では抑えられないリリスは、両手で頬から口元までを覆い隠した。
耳まで赤く染まった真っ赤なリリスを、中央で燃える炎が照らす。それを愛おしげに、満足げに禪は眺めるのであった。
そんないい感じの空気を垂れ流す二人に、近付く影があった。空気を読まないその人物は、二人の正面から近付いていったが、頬を染めて視線を足元に落としているリリスは気付かない。
見る限り、かなり年若いエルフの青年である。エルフだけあって顔は整っているが、まだ少年から青年へと移り変わる年齢だからだろうか、どことなく幼い雰囲気を醸し出す青年が近付いて来たことに、禪は片側の眉を上げた。
「リ、リリス……」
「……キール」
おずおずと自信なさげにかけられた声に、リリスは顔をあげた。そこに居たのは、元許嫁のキールである。そういえば、村に帰ってから顔を合わせてなかったな、と今更のように思うリリスであった。
村へ帰ってから各所への挨拶にバタバタしていたし、ひっきりなしに話しかけられていたので、頭の中からその存在が綺麗さっぱり抜け落ちていた。というより、幸せの絶頂にいるリリスの頭には、元許嫁など微塵も存在していなかった。顔を合わせて初めて、「あ、そういえば居たな」と思い出したくらいである。
「久しぶりだね! 元気してた?」
「うん。元気だよ。リリスも相変わらず元気そう」
今更これと言って話すこともないものの、元許嫁とはいえ、小さい頃から一緒に育った幼馴染でもある。村を飛び出してから、何年も経っていないのに、なんだか懐かしいなぁと思ったリリスは、笑顔でキールを迎えた。
キールは力無く笑ってから、禪とは反対側のリリスの隣に腰かけた。
禪はこの青年がリリスの元許嫁だとは知らないが、この青年が近付いてきてから周囲の視線がうるさいことから、この青年とリリスとの間に何かあるのだろうと思ったが、特に何か言うこともない。
「あ、ゼン、さん。こ、こちらはキールです。キール、こちらはゼンさんで、私のこ、恋人です」
「ど、どうも。リリスの元許嫁で、キールです」
「冒険者の禪だ」
元許嫁に照れながら恋人を紹介するリリスに、体格の大きな禪に明らかに物怖じして、オドオドする余り言わなくてもいい「元許嫁」を名乗ってしまうキール、そんなキールに眉を曇らせそうになりつつも平静を装う禪。
そんな噛み合っていない三人を、さも「これから修羅場でも起こるのか!?」といったような好奇心に満ち満ちた目で、村人たちは遠巻きに眺めるのであった。
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