第99話 レイの事情(4)
辺りはすっかり日も落ちて、穏やかな風が静かに木々を揺らしている。森の中にぽっかり空いた丸い空には幾千の星が煌めいていて、今は虫の音一つ聞こえない、とても静かな夜だ。
話も落ち着いたことだし夕食にしようと、レイは木の食器を自分の鞄から取り出した。
しばしの間、二人の世界を作り出していたリリスと禪も、今は落ち着いたようで、夕食の支度を手伝ってくれている。と、言っても二人の間には未だにどこか初々しい雰囲気が漂っていて、レイは若干いたたまれない。そこまですることもないので、二人には大人しく座っておいて欲しいと思うレイである。
そういえば、リリスと禪が二人の世界へ旅立っている間に、ゼドはレイの勧めで髪色を白髪から深い藍色へ変化させた。偽装の魔法だ。リリスはピンと来なかったようだが、あの白髪はどうみても目立つ。ちなみに、その頃にはレイの両の瞳もいつもの青紫色に戻っていた。ゼドの瞳も同様に両目とも赤紫色に戻っている。
なお、一応はこちらの声を耳に入れていた禪が、「できればその覇気もどうにかして欲しい」と言ったので、それも収めてもらった。どうやらゼドは無意識だったようだ。レイはその覇気とやらを感じることはできなかったので、その話をしている間、ひとり首を傾げていた。
そんなことはさておき、随分遅くなってしまったが夕食である。コトコト煮込んだシチューとパンをそれぞれに分配し、自分の分も手にもって丸太の上に腰掛けようとした、その瞬間、横から伸びてきた腕によって、レイは捉えられた。
ふわりと浮き上がった体は、瞬く間に反転されて、ゼドの膝の上に静かに下ろされる。
「……は?」
「「…………」」
レイの口からは、思わず息の抜けたような声が漏れだした。リリスと禪は、突然のゼドの行動に理解が及ばず、唖然としている。
「いや、いやいや。ゼド、何をしている?」
「何って、先ほどの話で思い出したが、魔の森ではこうやって食べさせてやっていただろう?」
「いや、あれは死にかけで、私の足も腕も折れて捻じれて、使い物にならなかったからだろう?」
「まぁ、いいではないか」
「いや、よくない。人前でやめてくれ」
目の前のやり取りに死んだ魚のような目になる禪と、呆気に取られたリリスは、シチューが冷めるのも忘れてポカンとした。
所々、レイの発言に不穏なものが混じる二人の攻防は、まだ続いており、以外にもガッチリと腰を抱かれたレイは、ゼドの拘束から抜け出せていない。両手に夕食を持っているせいかもしれない。
自分たちは何を見せられているのだろうか。禪は自分の目が濁っていくのを感じた。
「あれ? もしかして私が引き留めたのは、余計なお世話だった……?」
ポツリと呟かれたリリスの言葉は、幸い目の前の二人には聞こえていなかった。禪は、ポン、と慰めるようにリリスの肩に手を置く。
婚約契約だ、婚姻契約だという割に、二人の恋愛感情に対する希薄さに思わず色々と口を出し、あまつさえ暴走して禪に盛大な告白をかましたリリスであるが、目の前でいちゃつく二人に、動揺を禁じ得ない。
(あれれれ? 本当にこれはどういうこと?)
人の感情の機微は分からないとか言っておきながら、あれを無自覚でやっているのだから、天竜とは恐ろしい。リリスはかなり微妙な顔になった。
「とりあえず、冷める前に食べちまおうぜェ」
禪に言われて目線を手元に落としたリリスは、コクンと一つ頷いて、スプーンを手に取った。長い間煮込まれた肉も野菜もホロホロになっていて、美味しい。少し冷えてきた体に暖かいものが染み渡って、ホッと息を吐いた。そして、どうしても目に入ってしまう目の前の二人を見据える。
どうやらレイが、人前でそういったことをするのはおかしい、と懇々と訴えているようだ。人前でないならいいのか、とは言わない。多分こちらも無意識なのだ。レイの手の中のシチューが冷めてしまわないことを祈る。
それにしても、とリリスは思った。ゼドは美丈夫である。キリッと整った顔立ちは端正で、竜でもあるせいか体格もいい。そんなゼドの膝の上で抱かれているのは、こちらも王子様のような整った顔立ちのレイである。
リリスはふと、キリリクの本屋で見かけた、男性同士っぽい二人が絡み合っている表紙の本を思い出した。レイは女性であるが、パッと見た目は王子様っぽいのだ。リリスは、「むむむ……」と目の前の二人を食い入るように見つめた。
「ゼン師匠、私今、何かに目覚めそうです!」
「ヤめろ。何かわかンねェが、俺の直感がその扉を開けたらヤベェって訴えてきてる。今すぐ閉じろ!」
「むむぅ」
こうして、リリスの腐女子への扉は、賢明な禪の直感によって、さりげなく閉ざされた。そうこうしているうちに、説得に成功したレイは無事にゼドの膝から脱出して、ようやっとシチューにありつけたようである。
こうして、なんだかんだ色々とあった夜は、比較的穏やかに更け、少しずつ森も本来のざわめきを取り戻していくのであった。
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