第98話 レイの事情(3)

「あの、その前に二人は恋人なの?」


 リリスの言葉に、再び沈黙が落ちた。


 静かな森には、シチューの良い香りが漂っている。なお、ゼドの結界は匂いですら遮断するために、そのいい香りは四人の座るこの空間にのみ、立ち込めていることになる。それはさておき、リリスの質問である。レイはシチューとかき混ぜる手を止めて、リリスに顔を向けた。


「いや、違うが?」


 レイの意見に同調するように、隣のゼドもゆっくりと頷いている。

 リリスは大いに驚いた。これでは、本当にただ単にゼドの気まぐれに、レイの命を永らえさせる為だけに結ばれたではないか。


 いや、なに様かと思われるかもしれないが、レイの命を救ってくれたことはありがたい。この目の前の天竜が、気まぐれに救ってくれなければ、自分はレイと出会うことすら出来なかったのだ。


 だが、リリスは何故だかモヤモヤとして釈然としない。レイは本当にそれで幸せなのだろうか。見る限り、として自分の中で折り合いをつけているようだが、本当にそれでいいのだろうか。

 いや、それでも、自分はやっぱり今レイを連れていかれるのは困る。まだまだ二人で見たい景色があるのだ。そう簡単に諦められない。


 リリスの中では、様々な思いが駆け巡った。そして、やはり、自分の思いは変わらないのだ、と思った。


「やっぱり、納得できません! 今、レイを連れていかれるのは、困ります!」


 そしてリリスは、自分の結婚観と婚約とはどういったものかを説明し、本当に婚姻契約を結ぶのなら、その契約の名に恥じぬよう中身を伴うべきだ。そのためにはまずは恋人として手順を踏むべきだ、と主張した。

 その主張に、レイと禪は呆気に取られ、ゼドは考えるように手を顎にあてた。


「ふむ。我は人の子の繊細な感情や考え方はよくわからぬ。その恋人とやらには、どうやってなるのだ?」

「色々な場合がありますが、基本はお互いに想いあって、その想いを伝えて恋人になります!」


 そう言って、リリスは隣に座っていた禪の方へ体を向けた。禪は嫌な予感がしてたじろいだが、それよりも早く、リリスが声を張り上げた。


「こうです! ゼン師匠、好きです! 私と結婚前提にお付き合いをしてください!」

「ちょッ……、リリス。待てまてマテ。頼む、落ち着いてくれッ!」


 突然始まった暴走リリスと焦りを隠せていない禪のやり取りに、ゼドは興味深そうに二人を観察することにした。禪はジワジワと耳の先を赤く染めるが、リリスの暴走は止まらない。


「ゼドさん。さっきの結界は、私たちの姿も声も外に漏れないんですよね?」

「あぁ。我々以外には、ここで何をしていても外に気付かれることはない」


 リリスはそれに頷くと、おもむろに耳元に手を伸ばした。そこには、赤い装飾具――隠蔽の魔道具――が収まっている。リリスはそれを両耳とも外すと、禪に向き合った。


「ゼン師匠。この前寿命の関係で、私との関係を前向きに考えられないって言っていましたよね。でも、私はエルフです。年もまだ16歳なので、まだまだ若いです! きっと同じくらい生きられます! これで、師匠が気にしていた問題は何もありませんよね」


 リリスはニッコリと微笑んだ。カラッとした、胸のつかえが取れたような、爽やかな笑顔だった。ただ、その白くてまろい頬は、薄紅色に染まっていて、どこか可愛らしさを残している。



 リリスからの告白を受けた禪はというと、頭が真っ白になり、何も考えることができなかった。寿命の違いという理由を作って、一線を超えないようにしていたのは禪なのだ。だが、そのストッパーは当のリリスによって、取り払われてしまった。


 残るのは、ただただ目の前の照れて笑っているリリスが、可愛い、愛しい、という気持ちだけで、胸の奥から沸き上がってくるこの感情を抑える術がない。


 ただただ、そう、好きなのだ――。


 その気持ちを抑えることができないまま、禪は目の前の愛しい存在をぎゅっと胸に抱きしめた。自分の腕で抱きしめたら、壊れてしまいそうなほどに細い、だが生命力に溢れて輝くリリスが逃げないように、潰さないように、そっと、だが決して逃げられないようにギュッと抱きしめた。



 抱きしめられたリリスは、嬉しそうに笑って、禪の背中に腕を回している。

 傍から見れば、その対格差でどうみても襲い掛かられているように見えるのだが、幸せそうなので特に言うことはない。どうやら、ようやく収まるところへ収まったようだ。レイは詰めていた息をホッと、吐きだした。誰にもわからぬほど、わずかに微笑むと、そっと幸せそうな二人から目をそらしてシチューをかき混ぜる。


 そんな三人の様子を面白そうに眺めていたのはゼドである。ゼドなりに、何か思うことがあったようだ。



「よし、娘。そなたの言いたいことはなんとなく分かった。だが、我にはそういった感情は理解しがたい。ついては、そなたらを見て学ぶとしよう。レイラ、しばらくは我も同行するぞ」

「…………」


 思いもよらぬ方向へ転がった話に、レイは驚きを隠さず目を見開いた。まさか、そうくるとは思っていなかった。曲がりなりにも神と呼ばれる存在だ。

 そんな存在を伴った旅の先行きに、一抹の不安を感じるレイであった。

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