第97話 レイの事情(2)

 てっきりそのまま死んだかと思っていたが、ふと意識が浮上した。


 体は動かないが、まぶたの裏に光を感じたのだ。

 ひどく重い瞼を引き上げると、目の前には白く光り輝くがあった。その時の記憶は朧気だが、ひどくそれが美しく、自分は死後の世界へたどり着いたのだろうと、思っていた。


 なんてことはない、それは陽に照らされたゼドの長く垂れた髪だった訳だが、それを知らない自分はそのゆらゆらと揺れて輝くそれを、ただひたすら眺めていた。それを眺めているだけで、心が慰められるような気がしたのだ。


「……気が付いたか?」


 その白く輝く世界に突然現れた、赤紫色の瞳もとても美しかった。瞳孔が縦に裂けていたので、人ではないことは分かったが、ぼんやりしていたので、あまり考える余裕というものがなかった。ただただ、美しいな、と感じていた。


 言葉を返したくても、声を発することはできなかったので、ひとつ瞬いて返事を返すのが精一杯であった。


「……生きたいか、稀有な魂を持つものよ。我はそなたを気に入った。生きたいのならば、我とのを受け入れよ」

「…………」

「声は出せぬのだろう。そなたが受け入れると心の中で強く思えば、は成る。さぁ、急げよ。時間はあまりない。そなたの意識を無理やり繋ぎ留めておるだけだからな」


 レイはその美しい光景を見上げながら、ぼんやりと思考を働かせた。


 戦場という死に近い環境に身を置いていたせいか、生に固執しているつもりなど、毛頭なかった。弟を残していく心残りはあったが、父親に見捨てられた以上、これからの人生の指針も生きる目的も見失っていた。


 だが、ただ、純粋に「生きたい」と、そう思ったのだ。




 レイはゼドのその言葉に、静かに目を閉じた――。


***


「そうして、私は今、ここにいる」

「「…………」」


 レイはぬるくなったお茶を一口、口に含んだ。静かに聞いていたリリスも禪もすぐに言葉が出ないようで、場に沈黙が落ちる。


 レイは夕食の準備でも始めよう、と鞄から鍋を取り出した。この鍋、ゼドが襲来する前にレイはちゃっかり鞄に収納していたため、無事であった。


 鍋を覗き込んで確認すると、もう少し煮込んだほうがいいが、話しているうちにいい頃合いになりそうである。レイは鞄からミルクを取り出すと、ダバダバとそれを鍋に注ぎ込んだ。とろみをつけていないが、それはそれでいいだろう。

 レイの料理は基本的に大雑把だ。美味しいものが食べたければ、買えばいいのだ。レイはそう思っている。


「え、そのってもしかして……」


 リリスの言葉に反応したのは、ゼドである。ゼドは、隣に座ったレイを引き寄せると、白くしなやかで、それでいてしっかりとした手でレイの目元を覆った。


「我との婚約契約だ。レイラはあの時点で、既に人としての寿命を終えていた。それを覆すには、人の理から外れる他なかったのだ」


 ゼドが覆った手のひらを外すと、そこには右目はいつもの青紫色の瞳だが、左目はゼドと同じ赤紫色で瞳孔が縦に裂けた瞳を持つレイがいた。

 と同様に、いつの間にかゼドの右目はゼドの赤紫色の爬虫類を思わせる瞳だが、左目は元々のレイの瞳と同じ、青紫色で瞳孔の丸い瞳が収まっている。


「……ッいにしえの魔法契約、か」

呆然とそれを見ていた禪が、震える口元で小さく呟いた。


「魔法契約?」

「あ、あァ。今は廃れてしまったが、古い契約魔法で、自分自身の何かを対価に魂を結ぶやり方だ」


 隣で反応したリリスに、禪は軽く説明をしてやった。自分も魔法のことはさほど詳しくはない。が、今はこの正面の二人に向かい合うよりも、リリスと向き合う方がずっと楽だ。禪は未だかつてないほどに、リリスに癒される自分を感じていた。


「そうだ。ゼドは、その左目を対価として私と婚約契約を結び、私の魂を繋いだ」

「ん? んん? じゃあ、なんで今頃迎えに来た……んですか?」

「本契約である、婚姻契約ではないのでな。まだ不完全なのだ。レイラがそれまでにしたいことがあるというので、18までは自由にしてよい、と言ってやったのよ」

「あぁ、まぁ。弟のことが気がかりだったんだ。だから、体が動くようになったら魔の森で修行して冒険者になり、色々準備していたんだが、死にかけた……いや、一度死んだようなものだが。そのせいか、急に剣の才能に目覚めてな。思ったよりも早く弟に会いに行くことができた。その後は、冒険者として生活をしていたら、その、いつの間にか迎えに来ると言われていたことを忘れてしまっていてな……」


 レイは若干気まずい思いで、言い訳を述べた。命を助けてもらった恩を忘れていた訳ではないのだが、なんせ相手が相手である。何かの気まぐれで助けてくれたのだろうと思っているレイは、ゼドが迎えに来るというのを本気に捉えていなかった。


 というのも、古の婚約契約は魔法契約であるので、物理的に眼球を取り換えた訳ではない。婚約契約それを一方的に解除されればレイは死んでしまうが、レイが死んでしまってもその契約は解除され、無かったことなる。


 神の時間感覚は人とは異なるので、神の気まぐれで生かされた自分は、数年くらいは好きに生きられるだろう、という認識であった。なんなら、自分の寿命まで忘れてくれているといいな、くらいに思っていた。


 なんとかそのようなことを気まずい思いで言葉にしたレイを、ゼドはジッと見つめて考え込んでいるようだった。


 一方のリリスは、なんだかモヤモヤした思いを抱えていた。先ほどから婚約契約だとか、婚姻契約だとかいった言葉が飛び交っているが、レイの言葉の中には、婚約や婚姻にまつわる甘やかさが全く感じられなかった。本当にただのだと、思っているようだ。


 恋愛や結婚に夢を持っている今のリリスには、それはどうにも受け入れがたい話であった。


 ウズウズして我慢できなくなったリリスはついに、目の前の二人に向かってつい、言わなくてもいい一言を放ってしまった。


「あの、その前に二人は恋人なの?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る