第96話 レイの事情(1)

 フツフツと湯を沸かす音が、異様に静まり返った森に響く。ゼド襲来の衝撃で、この辺りの魔獣も含めた生き物はすべて逃げてしまったのだ。今は生き物の気配を全く感じない。


 だが、先ほどの騒ぎは周辺の町に広がっている頃だろう。この辺りにも調査のために人がやってくるかもしれない。話し合いの邪魔をされるのも面倒である。

 レイは隣を見上げると、ゼドに頼み事をすることにした。


「ゼド。魔獣は逃げたようだが、調査のために人が来るかもしれない。話し合いを邪魔されたくないのだが」

「……ふむ。ならばこの辺りに結界を張ってやろう。それで外からは認識されないし、音も気配も漏れない」


 レイがそれに短く礼を言うと、セドは何もない空間にスイッと指で半円を描いた。にわかには信じ難いが、それで結界が張られたらしい。リリスは固まり、禪は静かに驚愕した。


「これで、誰にも邪魔されずに話し合いができるな」


 レイは、腰を浮かせて固まっている二人に温かいお茶を手渡した。もちろん、自分とゼドの分も用意する。レイが再び丸太に腰を落ち着けると、すぐさま横から腕が伸びてきて、抱き寄せられた。


「「…………」」


 再びピッタリとくっついたレイとゼドに、リリスと禪は色々と聞きたいけど聞けないモヤモヤに苛まれた。そんな二人の空気を察して、レイが口火を切る。


「……何が聞きたい?」

「とりあえずさっきの上空の馬鹿でかい影は、そちらの……御方ってことでいいのかァ?」

「我である。本体はかなり大きくてな。この姿は仮の姿よ」


 さすがに推定神に向かって、化け物と言える訳がない。禪は、おずおずと目の前の神々しい存在に目を合わせることなく、レイに問いかけたが、レイが答えるより早く、本人から回答されてしまって押し黙ってしまった。どうも、禪ですら、推定神であるゼドと直接話をするのは、憚られるらしい。

 その様子を見ていたレイは、これは自分から説明してしまったほうが早いだろう、と口を開いた。


「ゼドは天竜だ」

「正確には、天であり竜である。我は世界を表から見守るものであり、竜の管理者でもある。そしてレイラは、我の婚約者だ」


 ズバリ端的に紹介したレイに、禪がお茶をブフォと吐き出した。汚い。リリスはよくわかっていないようで、首を傾げながら静かにお茶を啜っている。


「正確には、婚約契約を交わした者、だな。それと、ここでは私のことはレイ、と呼んでくれないだろうか」

「同じであろう?」


 レイと呼んで欲しいと頼むレイの言葉を、セドと呼ばれた天竜は事も無げに却下する。その様子を見ていた禪は、口には出さないが、内心大荒れであった。


(やっべェ、マジで神じゃねェか。レイに言われたのもあるが、攻撃しなくてマジでヨカッタぜェ……)


 禪は、辛うじて体の震えを抑え込んで平静を保っているが、背中を流れる冷や汗が止まらない。

 神の姿を見たことのある者など史実の中の、ドゴス帝国初代皇帝と言われている英雄帝くらいのものだ。それも真偽は定かになっていない、おとぎ話のような話である。


 それなのに、レイは自分の目の前で茶を飲んでいる、この人物が天竜だと言う。信じたくないが、肌を刺す覇気が本物だと如実に訴えてくるのだ。

 よくよく考えれば、レイに促されるまま、神の正面でお茶を飲んでいるというのがおかしい。普通は膝をついて、礼を尽くすべきではないのか? なんで俺はこんな覇気の中、ビクビクしながら茶を飲んでいるんだ? 禪は自分でも気付かないほど、完全に冷静さを欠いていた。


 その間に、リリスはジッと目の前の美丈夫を観察していた。レイにゼドと呼ばれた美丈夫は、ずっとレイのことを目で追っているので、少しくらい観察してもバレそうにない。

 ゼドの腰まで覆う白髪はくはつは、艶やかに光を弾き、赤紫色の瞳の瞳孔は縦に裂けていた。先ほど天竜と言っていたので、これが竜の目、というものなのだろうか。肌も白く、神と聞いて納得するほど、人形じみた整った顔をしている。

 それにしても、この肌を刺す覇気が辛い。レイは何故隣にくっついていて、平気なのだろう? と思った。


「婚約者がいるっていうのも初めて聞いたけど、レイの婚約者さんは神様ってこと?」

「神ではない。天であり竜である」


 それを人は神って呼ぶンだゼェ!!という心の声を飲み込んだ禪は、大人しく茶を啜っている。


「…………話せば長くなるんだが」


 ゼドに任せると話が全く進まないことを感じ取ったレイは、そう言いながら、チラリと禪を見た。

 何故か同行することになった禪には、正直あまり話したい内容ではない。が、ここまで巻き込んでしまったのなら、責任を取って話をするべきだろう。どうやら、かなり混乱させているようであるし。


 それに、どうせゼドに連れていかれるのなら、別に聞かれて困る話でもないのだ。レイは一つ、息を吐きだした。それから、そう昔ではない過去を思い出す――。



***

 レイは、剣一本で成り上がった父親の庶子であった。父はその剣の腕で平民から成り上がり、戦争から戦争へ渡り歩き、その国で英雄と呼ばれるまでになった。

 なんてことはない、その国に武功を上げた英雄など掃いて捨てるほどいたのだが、父親は自分を取り立ててくれた国王を盲信し、国王の為に、言われるがまま剣を振るった。父親にとって大切なものは、国王と、そして剣だけであった。


 そんな男に子どもが出来た。それがレイとレイの弟である。実は王都に王より賜った妻がいたのだが、レイと弟はその妻との子どもではない。その戦争に従軍してきていた女との子どもである。


 レイと弟が生まれて間もない頃は、戦場近くの村に放置されていたらしいが、ある程度大きくなると、剣を握らされるようになった。自分の子どもなら、王の為に役に立つ駒となれるだろうと考えたらしい。


 だが、悲しいことにレイに剣の才能はなかった。殴られ、蹴られ、痛めつけられながらも剣を振ったが、まるで芽が出なかった。いや、その辺のかき集め兵よりはずっと剣を振ることはできたはずだ。だが、父の求めるレベルには達していなかった。父には剣の天性の才能があったのだ。自分にはそれがなかった。


 14歳の頃、とうとう見切りをつけた父親によって、レイは魔の森と呼ばれる死の森に突き落とされた。突き落とされた弾みで怪我を負い、身動きの取れない体で襲い掛かってくる魔獣に懸命に剣を振った。


 だが、魔の森に蔓延る魔獣は恐ろしく強い。父にすら見切られたレイの剣の腕で、そんな魔獣に敵うはずはない。あっという間に踏み倒された。

 足は折れ、腕も捻じれ、肩は噛み千切られた。それでも、最後まで剣は手放さなかった。自分に跨り、かじりつこうとしてきた魔獣の目に、最後の力を振り絞って、上がらない腕で剣を突き立ててやった。


 もう、それだけで、自分の心残りはなかった。


「――いや、嘘だな。唯一、弟のことだけは気がかりだった」


 だが、もうどうしようもできない状況だった。痛みはもはや感じなかった。体がやけに熱かった。そして、その熱が端から失われていくのを感じていた。

 もう体に力が入らない。意識も保っていることが難しくなっていた。


 自分は、ここで死ぬのか、とぼんやりと思いながら、だが、どうすることもできず、迫りくる闇に抗うこともなく、飲み込まれていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る