第94話 突然の襲来(2)
体に吹き付ける暴力的なまでの風を感じながら、禪は近くにいたリリスに覆いかぶさることで、リリスの体を地面に押さえつけた。体重の軽いリリスが、風に飛ばされそうになっていたのだ。
禪はこの場でもう一人、自分が守るべき相手と認識しているレイに向かって叫んだ。強すぎる風で木の葉や枝、砂が舞い上がって視界が上手く確保できない。レイ、そっちは大丈夫か――。
そう、叫んだはずだった。それが、相手に聞こえていなくとも。
暴風の中で、どうにか目を凝らしてレイがいるだろう方向を確認すれば、不自然なほどに涼しい顔をしたレイがただ、空を見上げてそこに腰かけていた。禪はその景色に、琥珀色の眼を見開く。
自分ですら膝を折り、容易に立つことのできない暴風の中、なぜ平然と座っていられるのか。いや、よくよく見ると、レイの周りだけ風が避けている――?
(一体、何がどうなっているんだ!?)
禪はこの不可解な現象の中でも平然とした様子のレイに、背中から這い上がる畏れを感じずにはいられなかった。それは、そう、先ほどレイの青紫に貫かれた瞬間もそうであったし、初めて視線を交わした時にほんのわずかに感じた違和感のようでもあった。
――禪はSランクになってから、それなりの年月が経っている。それは、この屈強な体と拳だけで戦ってきた己が、運よく早々に迷宮銃と巡りあえたこと。またたまたま幼い頃に厳しくも良き師に恵まれたことも要因であっただろう。
ちなみに禪の年齢は、レイの倍ほどである。人族では壮年期とも言える年齢だが、鬼人としては、まだまだ若い部類に入る。
冒険者に登録したばかりの頃の禪は、種族的な強靭さと己の体だけでメキメキと頭角を現し、たまたま手に入れた迷宮銃の適合者だったことで、一気にSランクまで駆け上がった。
迷宮銃を手に入れた頃は若く、手に入れた新しい武器を色々と試したり、またグングンと強くなっていく実感もあって、多少の無茶は日常茶飯事だったが、毎日がとても楽しかった。だがそんな禪も、とうとうSランクにまで上り詰めてしまった。
Sランクの依頼は、それなりにやりがいがあったが、それに慣れてしまうと代り映えのしない毎日に、それまで日々感じていたような高揚感をあまり感じなくなっていた。
Sランクは冒険者ランクの最高ランクである。名誉なことである。――SSランクと呼ばれる者もいるのだが、それは名誉職のようなもので、厄災級の魔物から国を守ったり、戦争で著しい功績をあげたりしたものに、後から贈られるものだ。
だが禪は、日々舞い込んでくる貴族や王族からの指名依頼や力のある商人からの依頼、その代り映えのしない依頼の内容に飽きを感じ、最近は辟易していたことも事実である。つまらない依頼に気まぐれに応じ、気の向いた依頼をこなす。そんな時だ。レイに出会ったのは。
弱々しい貴族の坊ちゃんを救出して、後は少し休ませてから帰るか、という時に、下層から禪たちの休む
禪はその青紫色の瞳を見た瞬間、背中にゾワリと走るものを感じていた。
長年強者と渡り合ってきた己の勘が、目の前の存在をただものではない、と訴えていた。だから、わざわざ探して、ここまでついてきた。見つけたレイの隣に、自分の好みドンピシャのリリスがいたことは、嬉しい誤算ではあったが。
だが、レイはなかなかどうして上手く実力を隠しているのか、あの時感じたような畏怖というものをその後感じることは出来なかった。確かにCランクとしては、破格の強さではある。が、どうにもそれだけだ。禪は、あの時に感じた直感は、間違いだったのかもしれない、と思い始めていた。
それが、どうだ。今、この目の前にいる存在は。
なぜ、この風の中で平然と座っていられるのか。いや、それ以前に、己ですら体を震わせるほどの化け物を前に、何故、これほどまでに落ち着いていられるのか。禪は、混乱する思考と共に、上空の化け物と前方の得体のしれない人物を睨み付けた。
そうこうしている間にも、上空の化け物は、自分たちに近づいてきている。日は遮られ、影が暗くなってきているのがその証拠だ。風はより暴力さを増し、上へ下へと体を揺さぶってくる。
いよいよ辺りは真っ暗になった。ぽっかり丸く開けた森林の隙間が、その巨大に塞がれてしまったのだろう。ひときわ強い風が吹いて、禪もリリスも目を固く閉じた。
(たたき潰される――!)
そう思った。その瞬間。
あれほど吹き荒れていた風がピタリと止んだ。
薄っすらと目を開くと、どうやら辺りは元の明るさを取り戻しているようである。禪は腕の中のリリスを確認すると、ぐったりと顔を青くさせていたが、怪我は無さそうだ。そのことにホッとする余裕もなく、すぐさま上を見上げる。
だが、いくら上空に目を凝らしても、先ほどまで空を覆いつくしていた、あの化け物の姿がどこにも、ない。
(一体、何があった――?)
ふと、視界の端にチラつくキラキラしたものに気が付いて、禪は視線を下した。そこには、レイの隣にぴったりと寄り添い、その腰に片腕を回す、やたら整った顔の男がいた。
腰まであるその髪は、白く輝いている――。
禪はその信じられない光景に、己の思考が完全に止まるのを感じた。
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