第93話 突然の襲来(1)

 パチパチ、と焚火の爆ぜる音が草木のざわめく森に響く。


 三人が森に入って二日目。森の深部には立ち入らないように南下してきているものの、それでも随分と奥の方まで入り込んでいるため、出てくる魔獣も段々と強くなってきていた。

 

 大きな怪我こそしていないが、格上と幾度となく遭遇したことでリリスに疲労が見え始めたため、今日は早めに野営の準備をすることにしたのだ。森の中でたまたま野営にちょうどよさそうな、ぽっかりと丸く開けた場所が見つかったことも幸いであった。


 辺りはまだ明るい。禪が適当な倒木を持ってきてくれたので、それを椅子替わりとし、余りを薪に加工した。レイと禪はまだまだ余裕が見られるが、リリスは珍しくグッタリと疲れている。それもそのはずで、この辺りは青色魔物が多く、稀に赤色魔物が混じる。


 リリスもレイや禪に鍛えられているため、一般のDランクより実力はあるのだが、それでもこの辺りの森はAランクが妥当なところ。野営をしようと思えば、Aランク数人を揃えても安全とは言えないのが現実である。


 Sランクの禪はともかく、全く疲れの見えないレイが異常なのだ。禪はそれをいささか訝しげに思っているが、口にも表情にも出していない。

 レイはただ単に、これよりもっとずっと過酷な環境である魔の森で過ごした経験があるから、この程度の森は何ともないのだが、その事実はレイの胸にそっと秘められている。


「リリス、無理をせずにもう少し浅い森を抜けた方がいいのではないか?」

「ん~~。でもこっちの方が近道だし、もう少しなんだよね~」

「少しくらい遠回りになっても、無理せず安全な道を通った方がいいと思う」

「俺もそう思うぜェ~。別に急ぐ訳でもねェンだろォ?」

「……ん~。それもそうかも……」


 リリスは既に眠そうだ。レイはため息を飲み込むとリリスに少し休むように言って、ブランケットをかけてやった。リリスが寝入ってしまうと、途端に場が静かになる。

 焚火の爆ぜる音に小鳥のさえずり、稀に魔獣の鳴き声や戦闘音も遠くから聞こえてくるが、まぁ静かなものだ。そこにリリスの「すー、すー」という寝息が溶け込んでいく。


 レイは手早く野営用かまどを組み立て、夕食の準備を始めた。リリスが寝入ってしまったので、時間はたっぷりある。今晩は魔獣の肉と適当な野菜をじっくり煮込んだシチューにでもしよう。パンは購入したものがあるので、それでいい。


 手早く肉や野菜、キノコ類を切り分けて炒め、水の魔道具から水を注ぐ。あとは塩と先日マーク牧場で購入したバターを加え、森で見つけた化茶茸ケチャタケと疲労回復に少しだけ猫ノ起草ねこのきそうを加えて煮込む。

 猫ノ起草ねこのきそうは細かく砕いて入れれば、煮込むうちに姿が消えてしまうし、化茶茸ケチャタケはその独特の凝縮された旨味がいい味を出す。ミルクは後から加えるとして、あとは鍋底が焦げ付かないように、たまにかき混ぜるだけでいいだろう。あらかた準備を終えたので、レイは剣の手入れを始めた。


 一方の禪も、レイの正面で迷宮銃やら魔道具やらの手入れを始めていた。その横では、落ち葉の上で丸くなっているリリスが転がっている。Aランク相当の魔獣がその辺を闊歩する森の中だというのに、起きている二人に緊張感はない。もちろんそう見えるだけで、常に警戒はしているのだが。


 そんな三人の周りには、迷宮産の魔物除けの魔道具と魔獣除けが設置されている。これでも万全とは言えないが、無いよりはずっといい。



 束の間の休息をのんびり過ごす三人であったが、そんな時間はそう長くは続かなかった。



 突然、森の中をキ――ンとした緊張感と威圧感が走った。空気はビリビリと震え、一瞬で肌が粟立つ。レイは鍋をかき混ぜていた手を止め、禪は素早く立ち上がって両手に迷宮銃を構えた。リリスも突然の威圧感に驚いて飛び起きたが、なすすべもなく蒼褪め、体を小さく震わせている。


「チッ。すげェ存在感じゃねェかァ。気配が大きすぎてどっから来るのかわからねェ……」


 禪は誰に聞かせる訳でもなく小さく呟きをこぼしながら、その正体を探るべくあちらこちらに目を走らせている。




 ――と、明るかった周囲が突然暗く陰り始めた。



「上かァ!」


 禪は叫ぶながら上空を見上げた。見れば、ぽっかり開けた丸い空を覆いつくす影が、空から滲み出すように形作られていく。大きすぎて全体像が見えないが、みるみるうちに実体化していく上空のそれを、地上に居るものたちはただ、指をくわえて見ていることしかできない。その大きさが、存在感が、威圧感が、敵だとしたら絶望的だと伝えてくる。


 森は、驚くほど静かだった。皆、息を潜めているのだ。


「クソがァ」


 禪はどうしても自分よりも遥かに強敵とわかってしまうそれに、銃を構える自分の両手が震えているのを感じていた。それでも、Sランクとして、このままやられる訳にはいかない。


 今にも膝が折れそうな両脚に力を入れてこらえ、震える両腕を空に向ける。震える腕では照準が定まらないが、的が大きいため問題はない。それよりもこの震える指で引き金を引けるかどうかが問題だ。


 禪は、自分でも驚くほど力の入らない自身の指に力を込めようとした、その時――。



「禪、打つな」


 レイの冷静な声が、禪の耳を打った。

 

 驚いて振り向いた禪の琥珀の瞳を、不自然に座ったままのレイの青紫が貫く。その目は、このような場面であるのに驚くほど冷静で、それでいて強い力を持っていた。禪は自分でも何故かわからないが、力を込めようとしていた両手から自然と力を抜いていた。


 が、その瞬間。レイの銀色に輝く長い髪がふわりと浮き上がる。その現象に「なんだ?」と思うより早く、突然ブオーっと強い風が森全体に吹き荒れる。


 巻き上がる風は、暴力的なほど強い力を伴って体をうつ。暴れる風に焚火の火は掻き消え、リリスは地面にしがみつき、森の木々は枝をしならせた。慌てて上空を確認すると、例の巨体がすごい速さで落下してきているように見える。……大きすぎて定かではないが、巨体が明らかに近づいてきているので、恐らく間違いないだろう。


 ――このままでは押しつぶされて終わる。


 そう思うものの、もはや体を打つ風が強すぎて、立っていることすら難しい。とうとう膝を折った禪は、風に巻き上げられそうになっているリリスを抱え込み、レイに向かって何かを叫んでいる。が、風の音が大きすぎて何を言っているのかわからない。耳に聞こえるのは暴力的なまでの風の音だけだ。








「まさか迎えにきた、のか?」


――暴風の中、上空を見上げてポツリ、と呟いたレイの呟きを拾うものは、誰もいなかった。

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