第91話 なんでもない夜
「――という訳で、里帰りしたいんだけどいいかな、レイ」
デートからニコニコの笑顔で戻ってきたリリスは、宿のベッドの上で神獣を撫でていたレイに事情を説明した。ちなみにレイは、例の廃れた迷宮から帰ってきてから、まだそれほど時間が経っていない。心に負ったダメージを回復させるべく、熱心に神獣の艶やかな毛皮に手を這わせていたところに、リリスが突撃してきたのだ。
どうやら話し合いは上手くまとまったようだ。リリスのニコニコの笑顔を見て、そう感じ取ったレイは、神獣を撫でながらひとつ頷いた。
「あぁ。私もついて行って構わないのか?」
「うんッ! 私の家族にも紹介したいしね!」
「そうか……。だが、リリスの種族はよそ者を村に招いたりしないのではないのか?」
「うん? 知らない人は入れないだけだよ」
エルフの村と言えば、隠れ里と呼ばれ、その存在も場所も明確にされておらず、よそ者を招かないことで有名である。が、リリスの説明では本人たちの認識では、どうやらそういう訳ではなく、その村に住む者に招待されれば入ることは可能なようだ。ただ、エルフ狩りが流行した時代があったことから、周りからは隠れて暮らしているらしい。
「ゼン師匠が明日、外せない用事があるらしいんだ。急だけど、2日後に出発でも平気?」
「あぁ。私は構わないが、禪はそれでいいのか?」
「師匠はそれで問題ないって」
「そうか。承知した」
特に先々の予定など何もないレイである。明日は適当に村の外で狩りをした後、必要なものを買い足す算段を頭の中で立てていく。ついでに何か手土産を買った方がいいだろうか。
「リリスの家に行くのに何か買っていこうと思うが、何か喜びそうなものはあるか?」
「特に何もなくても平気だけど。そうだね~、途中で肉になりそうな魔獣を狩っていけば充分だよ~」
「…………」
リリスの家族というだけに、あながちそれが間違っていないような気もしてしまう。レイは思わず自分の鞄の中身を確認した。だが、さすがに手土産が魔獣というのもどうなのだろう。
(肉、肉か。明日は少し森の深くまで潜るか? いや、それだと買い物の時間が取れなくなるか……)
そう考えていた所で、そういえばリリスと出会ったのはマーラ公国の南部の町であったことを思い出す。あの、周囲に気の強い兎がはびこっていた、二人の始まりの町だ。その町は、ここ、ドゴス帝国のサルーラからは、戻れなくはないがすぐ戻れる距離ではない。
「その村までは、どのくらいの日数かかりそうだ?」
「ここからだと、三日か四日くらいかな~」
「意外と近いな?」
「ふふふ。それは秘密です」
リリスの含み笑いに嫌な予感がしたレイは、予定分よりも多めに食料を買い込むことをひっそりと決めた。
「護衛依頼は受けなくてもいいか?」
「うん。森を突っ切っていった方が早いからね~」
なるほど。マーラ公国からドゴス帝国までは、広大な森が続いている一帯がある。そこを突っ切れば早い……のか? 詳細が定かではないが、リリスがそういうのならきっとそうなのだろう。レイはこの道案内については、若干の不安を残しながら、リリスに丸投げすることにした。
「それはともかく、禪と話ができたようだな」
「うんッ! レイのおかげだよ、ありがとう」
「いや、私は何もしていないが」
「ううん。レイが、背中を押してくれたからだよ~」
「まぁ、私は禪を完全に信用した訳ではないのだが、少なくともリリスが困ることはしないだろう」
「ゼン師匠、優しいもんね~」
リリスはニコニコしながら着替えをしようと、鞄から服を取り出し始めたので、レイがすかさず洗浄を唱える。それに礼を言って、リリスはラフな服装に着替えていった。それを見て、神獣をひたすら撫でて心を落ち着けたレイも、防具を外してラフな服装に着替える。
「そういえば、夕食は?」
「食べてきたよ~。レイは?」
「私は、ちょっと今はな……。後で適当に食べる」
「? そっか」
廃れた迷宮で精神的なダメージを負ったレイは、食欲減退中である。事情を知らないリリスは、首を捻りながらもササッと着替えてゴーリゴーリと調薬を始めた。調薬やナイフの手入れは、夜の日課となっている。ベッドに腰かけるレイの横では、神獣が丸くなっていた。
「傷魔薬をいくつか売ってくれるか?」
「いいよ! 傷魔薬だけでいいの?」
「あぁ。そう言えば、今日ギルドの隣に焼き菓子の屋台が出ていた」
「えッ、嘘。気付かなかった~。どんなの? 美味しそうだった?」
「どんな……。いくつか買ってきたが、食べるか?」
「えっ。食べたい食べたい! ちょっと待ってね。これだけ先に片付ける~!」
「別に急がなくても、鞄の中のものは逃げないぞ……」
「そうだけど~。あっ、今日ゼン師匠に連れて行ってもらったお店のケーキもすっごい美味しかったんだよ!」
「そうか。良かったな」
そんなたわいのない話をポツポツと繰り返しながら、二人と一匹の穏やかな夜は、ゆっくりと更けていった。
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