第90話 まともなデート(2)

 貴族と思われる男性は、あっという間に人混みに紛れてしまった。残されたのは、禪の片腕に抱き込まれたままのリリスである。我に返った二人は、カッと頬を染めるとさりげなく距離をとった。


「し、師匠。助けてくれてありがとうございました」

「あ、いやァ。目を離した俺が悪かった」


 二人の間には、何とも初々しい雰囲気が漂っていた。ここにレイがいたら、「さっさとくっつけ」と目を細めていたことだろう。二人はひとまず、話ができる場所に移動することにした。



***


「わ、いいお店ですね!」


 禪が連れてきたのは、水路に面したレンガ造りの飲食店であった。入口から入った正面の壁には、広めの窓が取られており、水路を行き来する小舟が見える。

 幸いにも混んでいない時間だったためか、外を眺めることのできるソファー席に案内された二人は、横並びに腰かけることになった。細身のリリスの横に、体躯の良い禪が座ると座席が大きく沈み込み、ちょこんと座るリリスの体をほんの少し浮きあがらせた。


「おっと、悪ィ。大丈夫かァ?」

「平気ですよ~。えへへ」


 少し体勢を崩したリリスであるが、距離の近さに慌ててメニューを取ると、照れを隠しながらそっと座りなおした。


「わ、沢山メニューがあるんですね!」

「あァ。食事も取れるし甘いものもあンだろォ。好きなもン頼むといいぜェ」

「さすが師匠!」


 リリスは、甘いものが好きな自分の好みをも考慮された店選びに感動した。その感動のままに新緑の瞳をキラキラと輝かせながら、隣に座る禪を見上げる。

 その体格差から、自然と上目遣い気味の攻撃を至近距離で浴びた禪は、「ウッ」と言うなり大きな手のひらで目元を隠してしまった。が、そんなことを気にすることもなく、リリスは視線をメニューに戻して目を輝かせている。


「ん~。季節のパフェ、季節のタルト、んんん……。おお、一番人気のデラックスケーキ!? どれも捨てがたい……」


 すぐさま甘いものの世界に埋没したリリスは、ブツブツと独り言をこぼしている。そんなリリスに、「可愛い、確かに可愛い。が、リリスが気にしてねェのに、俺はなんでこんなことでひとり照れてンだァ。童貞か、俺は。アァン?」と冷静になった禪は、自身もメニューを手に取るとササッと目を通していった。


「決まったかァ?」

「ん――。はいッ! 決めました! このデラックスケーキと紅茶にします!」

「はいよォ」


 店員を呼び止めた禪は、手早く注文していく。リリスはその姿をキラキラとした瞳で見つめていた。もちろんその視線に気付いている禪は、やりにくくて仕方がなかったが、平常心を心がけて注文という一仕事をやり切った。


「師匠、カッコイイです!」


 と思ったら、これである。このまま連れ帰って襲ってやろうか、と思ったが、もちろん思うに留める。そんなことをしたら、絶対レイにしばかれる。いや、そうでなくともそんなことはしないが。

 今日は話をすると決めているのだ。惑わされている場合ではない。禪はテーブルに肩肘をついて、リリスの方を見た。ムキっとした腕の筋肉が強調されるその姿があまりにも様になっていて、リリスの胸を再びときめかせたことを禪は知らない。


「あのよォ、それどこまで本気なワケ?」

「え? どういう意味ですか?」

「カッコイイとか、婿に来てくれとか、散々言ってくれているが、こっちはどういう意味として受け取ればイイんだァ?」

「? そのままの意味ですよ? ゼン師匠の筋肉は素晴らしいです。今まで見た中で、ダントツですね。大きな体も素敵です。必要ないのに、迷宮とかでさりげなく私たちを守るような立ち位置に立ってしまう紳士的なところも好きですし、私の訓練に付き合ってくれる面倒見の良いところも好きです。師匠この前、キリリクの路地裏で大きな体を丸めて猫に餌をあげていましたよね。あれにもキュンときました!」

「なっ……!」


 リリスのストレートな告白は、禪のハートを豪快に打ち抜いた。これまでそれなりに経験を積んできた禪ではあるが、こんなに純粋な好意をぶつけられたことはない。震える心の奥底からこみ上げてくるその熱量そのままに、リリスのその華奢な体を抱きしめてしまおうとした、その瞬間。


「お待たせしました~」


 空気を読まない店の店員が、朗らかな笑顔で注文した料理を運んできたのであった。先ほどの甘い雰囲気など何処へやら、リリスの目はもはや甘いものに釘付けだ。

 禪はガックリと項垂れながら、リリスに先に食事をするように促した。言いたいことを言ってスッキリとしたリリスは、ほんのり頬を赤く染めながらもデラックスケーキに舌鼓を打った。


「おいし~! 美味しいです、師匠! クリーム甘すぎずさっぱりしていていくらでも食べられそう! あ、一口食べますか?」

「いやァ。俺はいいから、食べなァ」


 禪の言葉に力はない。いいところを邪魔されたが、そのおかげで冷静になることができた。頭を冷やした禪は、ケーキに釘付けとなっているリリスを横目に、自分の注文したミートパイをモソモソと口に運んだ。


 ゆっくりと味わって満足してフォークを置いたリリスは、先に食べ終わってこちらをジッと見ていた禪に気付いて、ニコリと笑った。禪が心の中で、だからなんでそんなに可愛いンだよ、と悪態をついていたことなど知る由もない。


「満足したかァ」

「はいッ!」

「そうかァ。リリスにだけ言わせるのもカッコ悪ィから、俺も素直に今の気持ちを伝えてもいいかァ?」


 これまで、禪にそれとなくかわされてきてばかりだったリリスである。知らず知らずのうちに体に力が入るのを感じながら、神妙にコクリと頷いた。


「……正直、リリスのことは好みだ。むしろど真ん中だ。いつもニコニコして、小さい体で元気に飛び回ってるのは可愛いとしか思えねェし、頑張り屋だし、何かと前向きだし、よくわかんねェこと言ってンのも、可愛いなって思う」


 禪の言葉に、リリスの顔はじわじわと赤みを帯びていく。禪も平然と喋っているようだが、心なしか耳が赤く染まっているようだ。


「すっげぇ好みなんだよ。正直、リリスと付き合いたいと思うし、重いかもしれないが言ってしまえば付き合うなら後々結婚したいと思ってる。だが、そうなった時俺たちの間には、寿命の違いが立ちはだかるだろう。俺はどうしてもそれが気掛かりで、どうしても二の足を踏んでしまう」

「気になっているのは、寿命の違いだけですか?」

「あァ」

「私が気にしない、と言っても?」

「あァ。これでも俺は一途なんだゼ? 妻がいなくなった後、何十年も一人なんてツレェだろ?」


 少し茶化した感じで言っているが、それが本心だということが伝わってくる禪の言葉に、リリスは困ったように微笑んだ。さりげなく周りを伺って、少し声のトーンを落とす。


「わかりました。私もゼン師匠に隠していることがあります。が、ここでは言えません。でも、寿命の問題は、私たちの前では何の障害にもなりませんよ」


 そう言ったリリスの晴れ晴れとした自信あふれる笑顔に、禪は面食らった。禪としては、かなり遠回りにリリスを振った気持ちでいたのだ。だが、リリスは何の障害もない、と言う。それはそうだ。禪は知らないが、リリスも立派な長命種なのだから。


「師匠、私も覚悟を決めました。私の里帰りについてきてくれますか?」

「……わかった。付き合おう」


 晴れ晴れとしたリリスとは裏腹に、落ち着かない気持ちを抑えながらも禪は冷静に頷いた。

 こうして、レイのあずかり知らぬ所で、リリスの里帰りが決定したのであった。

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