第89話 まともなデート(1)

 リリスの白い足が今日も元気にサルーラの町に跳ねる。天気は快晴。うららかな日差しが、町に張り巡らされた水路の水面をキラキラと照らし、小舟の起こす波を受けて水鳥がぷかぷかと揺れている。


 一度きちんと話し合った方がいいと諭されたリリスは、禪を誘って今日は珍しくも鍛錬ではないデートに繰り出している。とは言っても、普通のデートとは一体何をすればいいのか? リリスは首を傾げた。


 リリスの故郷のエルフの村では、デートと言えば一緒に狩猟に出かけることである。つまり、二人で鍛錬を繰り返していたことは、リリスにとっては立派なデートであり、それ以外に何をすれば良いのかよくわかっていない。


 自分の好きなことと言えば、街歩きやスイーツ巡りであるが、禪が甘いものを好んで食べているところを見たことがないし、せっかくの休みを街歩きに付き合わせて良いものかもわからない。リリスは「ムムムム……」と唸った。



 一方の禪はというと、先行するリリスの後ろからのんびりとついてきている。こちらもレイからきちんとリリスと向き合うように言われた手前、涼しい顔とは裏腹に心の中では悩みまくっていた。


 正直、リリスのことは好きだ。なんせ、めちゃくちゃ好みど真ん中である。言い寄ってくるポイントがなんとなくズレている気がしなくもないが、そんな好みの子に言い寄られて、グラリと来ない男がいるだろうか。いや、いないはずだ。

 だが、どうしても寿命の差は気にかかる。自分もそろそろいい年である。重いかもしれないがリリスと付き合うからには将来的には結婚したいと思っていた。それくらい好みで、それくらい本気なのだ。だから、どうしても慎重になってしまう。


 お互いに思い悩む二人は会話もなく、気もそぞろにただただ町をぶらついていた。



 二人の足は、のんびりとした水路沿いの道から町の中心地へ向かっている。市場が開かれているようで、徐々に人通りが増えてきているようだ。


 普段は目を引かれる果物の山も、鼻をひくひくさせる素朴なお菓子の匂いにも、今日は強く惹かれることはない。せっかくのデートなのに、会話がないとは何事か。

 思い悩んでいたリリスは、頭を振って一度思考を止めると、後方の禪に声をかけようと後ろを振り向こうとした。その時。


「わっ」

「うおっと」


 人混みに押されて、正面から歩いてきた人とぶつかってしまった。ぶつかった弾みで倒れそうになったリリスの腕を、ぶつかってきた男性が掴む。その拍子にリリスのフードがハラリと脱げたことにまでは、気が回らなかった。リリスの素顔を見た男性が、その美少女を見て目を見開いたことも。


「あ、すいません。ありがとうございます」

「いや、こちらこそすまない。怪我はないか?」

「はい。大丈夫です」


 男性は、お礼を言ってニコリと愛想笑いを浮かべるリリスを、マジマジと見つめている。

 男性を見れば、外套こそ地味なものの、その下に着ている服は上等なものに見える。これは早めに離れた方がいい。リリスの感がそう訴えていた。だが、腕は未だ掴まれたままだ。


「あの……」


 腕を離してもらおうと、リリスはおずおずと男性に声をかける。その声にハッとした男性が、腕を離してくれたので、リリスは内心ホッと胸を撫で下ろした。非力なリリスにとって、腕を掴まれているというのはかなり不利なのだ。


「いや、失礼した。お詫びにご馳走しよう。ちょうどいい店があるんだ」

「えっ。いえ、大丈夫です」


 これは困る。リリスは焦った。恐らくだが、目の前の男性はその身なりから貴族の可能性が高い。男性の後ろに護衛っぽいムキムキの男性が二人、ただ立ってこちらを見下ろしているのも、いかにもそれっぽい。


 普段のリリスなら、このような男性に絡まれることはほぼない。ぴょんぴょんと移動していくリリスを捕まえて、声をかけることが難しいからだ。だが、今日は気もそぞろに、のんびり歩いていたことが災いした。

 更に不幸なことに、リリスはこれまで貴族と相対した経験がない。早くここから離れたいが、どのように対処するのが最善か、リリスは必死に頭を働かせた。


「遠慮する必要はない。ここでは通行人の邪魔になる。さぁ、こっちだ」

「えっ。こ、困ります!」


 そうこうしているうちに、強引な男性はリリスの背中をさりげなく支え、脇道へ逸れて行こうとする。

 リリスは焦った。自分はこんな見ず知らずの男性と食事をしている場合ではないのだ。今日は、初めての真っ当なデートを成功させるという、目的があるだ。リリスが焦って声を上げようとしたその時、リリスの腰に伸びる腕があった。


「俺の連れが何かァ?」


「はっ?」

「えっ?」


 リリスの華奢な体は一瞬のうちに男性から離され、禪の片腕の中に納まった。

 一瞬のことにポカンと口を開いていたリリスは、自体を把握するとポポポポポと頬を赤く染める。自分の腰から腹部に回された腕の筋肉が素晴らしい。背中に当たる腹筋もガッチガチに固いけど、そこがまたイイ。

 筋肉だけでも十分にリリスの胸をときめかせるというのに、困っていた所を助けられたリリスの乙女心は、最高にキュンキュンした。


「ゼン師匠、カッコイイ……」


 リリスの視界には、もはや禪しか映っていない。

 頬を染めてキラキラした瞳で見上げてくるリリスの顔面の破壊力と、初めて筋肉以外を褒められた禪の胸も、キュンとわなないた。


 見つめ合う二人の前では、護衛とコソコソと囁きあう男性の姿があった。

「ゼンとは、Sランクのか」「鬼人ですので、恐らく間違いないかと……」「そうか。手を出すのは得策ではない、か」「はい。ゼンは王族とも繋がりがあると聞きますので」「そうか。残念だ」などど囁きあう、男性と護衛二人。どうやら結論は出たらしい。


「可憐な女性と食事でもと思ったが、時間がないようだ。邪魔したな」

そう言い残して、お邪魔虫はそそくさと人混みに紛れていった。

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