第88話 サルーラの廃れた迷宮

 そこは人の侵入を拒むように薄暗く、風は湿って生ぬるく、空気は淀んでいる。ぬちゃぬちゃと音を立てる足元と、天井から滴る雫が不快感をより一層強め、前に足を出すことを躊躇わせる。


 今日レイは、ひとりで迷宮へ潜っていた。リリスと禪が珍しくまともなデートをするというので、依頼でもこなそうかとサルーラの冒険者ギルドで情報収集をしていた所、この迷宮のことを耳にしたのだ。


 曰く、「あまりにも人気がないので、数年前から潜る冒険者がほぼいない」だとか「あまりにも誰も潜らないので、稀に度胸試しに探索する者がいる」だとか「奥に祭壇があって、超コエ―」だとか「俺、ついに見ちゃった」とかである。


 受付嬢に聞いたところ、サルーラの町からは少し離れた場所にある迷宮らしいのだが、あまりにも金にならないとのことで廃れてしまったらしい。

 今となっては、中がどうなっているのかわからないのであまりお勧めしない、とまで言われてしまった。有益なものが獲れないのは仕方がないが、ギルドとしてそれでいいのだろうか。内心の疑問は口に出さず、レイは好奇心の赴くままにひとまずその迷宮を見に行ってみることにした。


 物好きな、と言われてしまえばそれまでだが、レイは冒険者の集う人気の高い迷宮よりも、やや廃れ気味の人気のない迷宮の方が好きだ。人が少なくて気が楽であるし、獲物の取り合いもあまり発生しない。他人に左右されずにのんびり探索できる迷宮というのは、意外と貴重だったりする。


(とはいえ、この迷宮はハズレだな……)


 人が入っていないと言うだけのことはあり、一歩迷宮に足を踏み入れてから、床や天井、壁という壁にぎゅうぎゅうに張り付いた灰色スライムには流石に辟易した。思わず、普段使わない使い切りの火の魔道具をぶっ放してしまったほどである。

 一応、他に人がいないことは確認した。迷宮というのは壁の損傷を考えなくていいので、こういう時はやりやすい。


 この迷宮の演出なのか、何なのか。分岐にはボロボロの木製の扉が設置してあり、それが押すと「キ――」と嫌な音を立てる。

 魔物は、一層はぬちゃぬちゃのスライム、二層は灰蝙蝠、三層は黄蝙蝠とジャッジランタンと呼ばれる魔物が出現していた。


 ジャッジランタンは人の顔よりも大きな野菜に、くり抜かれるように顔が描かかれた魔物で、まるで野菜に魔物が乗り移ってしまったような奇妙な生物である。

 迷宮の罠の一種で、攻撃こそしてこないが、さりげないところで侵入者を待ち構えており、認識した敵をランダムでどこかに飛ばされたり、落とし穴に落としたりと、地味に嫌な魔物なのである。ついでに囁くような笑い声が薄気味悪い。


 攻略法としては、罠が発動するまでに少しタイムラグがあるので、見つけたら即破壊が正しい。ちなみにそのタイミングというのは、意地悪く笑っているような顔が、更にニヤリとする瞬間であるので、割とわかりやすかったりする。


(悪趣味な迷宮だな)


 今もまた、素早くジャッジランタンを一刀したレイは、そのままぬちゃぬちゃする薄暗い通路を走り抜け、跳びあがって黄蝙蝠を切り伏せた。


(人がいない迷宮と聞いたから、久しぶりに神獣様とゆっくりできるかと思ったが、これでは無理だな)


 近頃、周りに人がいる環境に身を置くことが多かった為、必要最小限でしか神獣と触れ合えていなかったレイである。人が少ない迷宮と聞いていたが、流石にこの薄気味悪い迷宮で神獣を呼び出すのは忍びない。

 思えば、リケの迷宮の環境が都合が良すぎたのだ。あわよくば、神獣のご飯の調達をしたかったが、どうやらここでは無理そうである。レイは、切り伏せたジャッジランタンを摘まみ上げた。


(……さすがにコレは、食べない、よな?)


 野菜は野菜でも、顔がついているものは嫌だろう。回収しない魔物は、すぐに迷宮に吸収されるので、放置しても問題がない。レイはポイッとそれを投げ捨てると、先へ急いだ。


 十層のボスはマミーと呼ばれる包帯グルグル巻きの人型魔物で、大した攻撃はしてこない。人が潜っていないせいで魔物は多いが、どうやら迷宮の難易度自体は高くなさそうだ。宝石箱は、カラフルな飴の詰め合わせだった。リリスが喜びそうなので、取り合えず収納しておく。


(この迷宮は、一体何なんだろうな?)


 魔石だけは回収しているが、ここまで収穫と呼べるものは何もない。廃れるのも納得の迷宮である。


(何より空気が湿っていて、気味が悪い)


 そう思いながら踏み込んだ十一層で、レイは一瞬動きを止め、そのまま踵を返した。大抵の魔物をものともしないレイにしては、珍しい行動である。レイは無表情のまま、今までにない速さでこの迷宮から離脱するべく足を動かした。


 十一層に詰まっていたのは、どろっどろに溶けた魔物たちであった。つまり、ゾンビである。


(あの匂いは無理だ!)


 恐らく、ここで踵を返す冒険者が多いのだろう。もうみっちりぎっちり詰まっていた。普通の魔物ならば倒してしまっていただろうが、ゾンビ魔物の厄介なところは、その腐敗臭である。


 迷宮から飛び出したレイは、いつもより念入りに洗浄魔法をかけた。それはもう、念入りに。

 にも関わらず、宿に戻ってから呼び出した神獣にしきりに匂いを嗅がれたレイは、ガックリとベッドに突っ伏すことになったのであった。


 サルーラの廃れた迷宮はこの日、レイに新たなトラウマを植え付けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る