第79話 マーク牧場の牛を救出せよ(4)
「本当にありがとうよぉぉ」
「あなた、しっかりしてちょうだい」
――パァン
夫人の手のひらが、マークの背中を打ち付ける音が辺りに響いた。
瑞々しい下草に、爽やかな風が立つ。豊かな緑は波打ち、小さな花弁を澄み切った空へと巻き上げた。その風は、レイの長い銀髪とリリスの蜂蜜色の髪をふわりと揺らす。
昨晩、
夫人がずっと煮込んでいたというシチューは絶品で、ふかふかの干し草のベッドは疲れた二人に安らぎをもたらしてくれた。
マークは昨晩から
「こんなに沢山いいんですか?」
「いいのよ~! お礼よ、お礼」
リリスは、色々と乳製品が詰め込まれた袋を腕の中に抱えている。礼して、夫人が色々と詰め込んでくれたのだ。
「依頼料は別でもらう予定なのだが」
「いいのよ。持って行って。それに、色々買ってもらっちゃったしねぇ。おまけってことにしといてちょうだい」
「感謝する」
「何いってるの。感謝するのはこっちよ~」
レイが指摘した通り、依頼達成を申請すればギルドに収められている依頼料が二人に支払われるようになっている。過分な礼に遠慮しようとしたレイであるが、夫人にそう言われてしまえば仕方がない。おまけにしては過分であるが、有難くいただくことにした。
二人は泣き続けるマークとにこやかな夫人に手を振って、別れを告げた。街道に沿って、踏み固められた土の道を歩く。
「依頼、達成できて良かったね」
「あぁ。これでリリスもDランクだな」
「あ! ホントだ! やった!!」
ぴょんぴょ~ん、と飛び跳ねるリリスを見守るレイの顔は、いつもの無表情であったが、心なしか少し目元が緩んでいるようでもあった。
「そういえば、レイ、すごい買い物してたね」
「あぁ。味が良かったからな」
「昨日のシチューも美味しかったもんねぇ~」
乳製品を生産している場所は限られる。キリリクのような大きな都市では手に入りやすいが、牧場などで直に生産者から買うことのできるものは、やはり格別なのだ。
昨晩のシチューを思い出したのか、リリスは両手を頬っぺたにあててよだれを垂らしている。レイはすかさず、鞄から白いハンカチを取り出した。
「帰りはゆっくりと帰ろうか」
「そうだね、来る時はほとんどずっと走ってきたもんね~」
「あぁ。少し気になることもあるから、森に入って魔獣を狩っていこう」
「気になること?」
「あぁ」
首を傾げたが、レイはそれ以上何も言う気がないようだ。リリスは、大人しくレイの後をついて、森に分け入った。
***
「リリス、次は右から来るぞ」
「ハイッ! ほっ、よっ、これでどうだッ!」
リリスは先ほどから黄狼と戦っている。レイはリリスの打ち漏らしを仕留めているが、極力リリスに討伐を任せるようにしていた。
「黄狼程度ではだめか。それとも気のせいだったのか……」
ブツブツと小さく呟いているレイの声は、戦闘中のリリスには聞こえていない。
リリスはいい汗をかいた、とばかりに輝く笑顔を浮かべて、黄狼を収納している。と、そこへ都合よく、レイの後方から黄熊一頭と黄狼三頭が現れた。先ほどから同じ場所で戦闘を繰り返していたので、血の匂いに寄ってきたようだ。
「リリス、やってみるか?」
「……了解!」
リリスは一瞬躊躇ったが、力を込めて返事をした。
「油断するなよ」
「ハイッ!」
リリスは元気のよい返事をしながら、レイの横を駆け抜けていく。四対一。パワーのある黄熊とスピードのある黄狼である。リリスにとってはかなりの強敵、格上の相手だ。しかし今回、レイはあえてリリス一人にこれの対処を任せることにした。
(さて、上手くいくといいのだが)
こちらもすぐに対処できるように、左手に持った剣を握りしめる。
リリスは四頭の正面に走りこんだかと思ったら、四頭全ての顔面に続けざまに石礫を投げつけた。うち黄狼二頭の目に命中し、ひるんだ隙にその二頭の足に投げナイフを打ち込む。止めは刺していないが、二頭の動きを止めることに成功した。
もう一頭の黄狼は、勢いよくリリスに向かって跳躍すると、大きな口を開けて飛び掛かってくる。それをリリスは横に飛び退いて避けると、その横首にナイフを突き刺した。これで黄狼はひるんで倒れこんだが、まだ油断はできない。黄熊が頭を低くして、こちらを見据えているのだ。
リリスは地を蹴って跳躍すると、木の枝を掴んで一回転し、その上の枝へと飛び乗った。呼吸が少し乱れている。木の上から黄熊を見据える。敵もまた、木の上のリリスをジッと観察していた。
先日レイに披露した回転技を使うには、リスクが大きすぎる。黄狼はひるんでいるとはいえ、まだ止めを刺していない。下手な隙は作れない。ドクドクと波打つ心臓を落ち着けるように、リリスはひとつ、大きく息を吐きだした。興奮して、知らず知らずのうちに瞳孔が開き、集中力は高まっていく。狙いはひとつ、いやみっつ。両手に握ったナイフに力を込める。
リリスは足元の枝を蹴った。その力を受けた枝が大きく上下に揺れて、木の葉が舞う。熊は降ってくる敵に襲い掛かろうと、駆け出した。
空から迫った敵に、熊はその高さを補って対抗しようと二本足で立ちあがった。続いて、その太い腕を振り上げる。
――だが、リリスの方がまだ高い。
熊の腕は届かない。リリスは渾身の力で腕を振り抜いた。右手、左手、そして力を込めて右手。その目は狙いから離れない。
リリスの腕から放たれたナイフは、正しく灰熊の眉間、鼻先を刺し貫き、そして最後の一投でその首を跳ね飛ばした。
それを確認したレイは、素早く周辺で息を潜めていた黄狼の息の根を止めていく。リリスは地面に降り立つと、膝をつき、肩で息を繰り返した。両手を開くと、手が震えている。
ポン、と肩に乗せられたレイの手に、そちらを仰ぎ見ると、いつもと変わらない無表情があった。なんだか今はそれが、ひどく落ち着く。
「レイ」
「リリス、よくやった」
リリスの心をじんわりと喜びが満たした。
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