第39話 クワァトの町とノア(2)

 ―― バチンッ ――


 砂に擬態したその大きなハサミが、不満を表すように一度開いて、音を立てて閉じた。その後、カチカチカチカチ……と神経質そうな音を出しながら、小さく閉じたり開いたりを繰り返している。もはや隠す気のないそれを見るに、相当イラついているようだ。


「海蟹だな」

「……海蟹?」

レイは、チラリと首を傾げたままのリリスを見下ろした。


「見ていろ」

そう言ったレイは、白い砂浜に向かって殺気を放った。途端にギョッとした蟹達が砂から飛び出して、一目散に海へと逃げていく。


「は、はわわわ……」

一匹や二匹ではない数のそれを見て、リリスは更に顔を青くする。


 ざっと見る限りでも、数十匹の蟹が白い浜を埋め尽くしており、それらがレイの殺気から逃げようと、押し合いへし合いしながら海へ逃げようと足を動かしている。残念ながら、数が多すぎて逃げ切れていないが。


「海蟹の巣か……」


 綺麗な海と白い砂浜という、人々の目を楽しませる風景にも関わらず、誰もいないのはそういった理由があったのだ。町の人は、海の危険性をよく分かっているので、腕に自信のあるものしか海には近づかない。ギルドで絡んできた軟派な冒険者が言うことも、あながち間違いではないのだ。ただの軟派でなければ、レイとて礼を言っただろう。


「海蟹も常設依頼にあったな。捕まえていくか?」

「ん? ん~~。茶色ってことは、普通の蟹ってことだよね?」

「あぁ。表面は硬いから、転がして裏返すといい。裏側は表面よりも柔い。足は早い方だ」

「ふんふん」

「できるなら目と目の間を刺すといい。それが難しければ……、見た方が早いな。ちょっと待て」


 レイは、一番近くにいた海蟹を素早く倒してそれを片手で掴み、リリスの元に戻ってくる。


「裏返すとこのような模様があるんだ」

「うん」

「この模様の頂点の部分をブスリとやってもいい」

「なるほど。わかった! やってみる」


 レイはリリスに頷いて、走り出した。リリスは、レイの殺気によって作られた道をついていく。蟹は初めて見るが、とにかく数が多いので片っ端から試してみるしかない。


 海蟹の甲羅は、大人の男性の両足を揃えた程の大きさだ。それに体の倍ほどのハサミを持つ。ただ、そのハサミは片側は大きいが、もう片側はついているのか分からないほど小さい。魔物ではないので、不意を突かれなければ敵ではない。


 リリスは蟹の隙をついて、そのお腹側を蹴り上げて裏返したところをナイフで突いて倒していく。レイは、走りながら的確に目の間を剣で刺して倒している。それほど時間もかけず、レイは剣を鞘に納めた。


「こんなものか」

「まだまだいるけどね~」

「狩り尽くすのは良くないだろう」

「そうだろうね~」


 きっと、この蟹もこの町の名物なのだ。それにしては数が多い気もするが。


「次はこの砂浜を迂回して、あちらへ行ってみるか」

レイの指さす先は、砂浜が途切れた先のゴツゴツとした岩塊がんかいの磯が広がっていた。


「うん! 何がいるかな~~」

海星ヒトデや貝類、海藻が取れるみたいだが」

それらは、常設依頼にあったものである。



 リリスは未知との遭遇にワクワクと心を弾ませながら、先へ進み、ぴょんぴょんと岩を登っていく。


「……ん? レイ、あれ何?」


 リリスが指差す先には、海に面した切り立った崖がある。その崖っぷちに、数人の屈強そうな男が並んで立っていた。そのムキムキな男たちは、揃って槍の先がフォークのようになったような武器を持っている。


「あぁ。あれは人魚だな」

「人魚!?」

えっ!? という顔をしたリリスが、すごい勢いでレイの方を振り向いた。


「人魚!?」

リリスは再度、レイに詰め寄った。


「あ、あぁ。見てみろ」

レイは、にじり寄ったリリスに対して、後方を見るように崖の方を指さした。


 屈強そうな男たちは、何かしらの掛け声をかけあっているようである。二人のいる場所からは、若干距離があるためよく聞き取れないが、何かしらの張り上げられた野太い声が聞こえてくる。

 儀式のような何かが終わったのか、男たちはおもむろに羽織っているだけの状態であった、派手なシャツを脱ぎ捨てた。なるほど、この町のムキムキな男性に前をはだけさせた者が多いのは、彼らの影響かもしれない。

 上半身裸になった男たちは、何かを叫びながら、次々とその崖から海へ飛び込んでいく。


「はぇ!?」

「彼らは漁師であり、武器を持ち、己の肉体だけで海に挑む戦士だ。あの肉体で海の中の敵と渡り合い、獲物を捕まえる。海に棲む魚のように潜水して泳ぐことができるらしく、通称、人魚と呼ばれている」

「そうなんだ!?」


 世界には自分の知らないことが多いが、海は未知の可能性を秘めすぎている。リリスは素直に驚いた。


「あぁ。リリス、間違っても海に入るな。海の中は弱肉強食の度合いが、陸より強い」

「う、うん。私なんてすぐにやられちゃうね……」


 男たちが海の魔物を戦って、たまに水面みなもに現れる様を見ながら、リリスは呆然と呟いた。武器を持っているものの、もはや素手で殴っているように見える者もいる。人魚、恐るべし。



 その後、二人は磯を探索して、誰でも採取できそうな素材を集めた。ついでに、海の中から二人を目がけて飛び出してきた魚の魔物をレイが倒したり、リリスが磯に潜んでいた海の魔物に海水をかけられたりした。


「うぅ……気持ち悪い~。べたべたする。レイ、洗浄して~~」

「……『洗浄』。注意するように言っただろう。怪我は?」

「怪我はない~。水をかけられただけ。これ何?」


 リリスは自分に海水をかけてきた、顔の大きさほどの魔物をレイに掲げた。咄嗟に投げナイフで倒したので、もはや危険性はない。柔らかい魔物で助かった。


「灰蛸だな。その足で絡みつかれたら厄介だった。今後気を付けるように」

「は~~い」

「今日はこれくらいで十分だろう。戻るか」

「りょうか~い! 晩御飯はニコルさんのところに行く?」

「そうだな。そうしよう」


 二人は一路、ギルドに向かって歩き出した。後方では、人魚たちの咆哮ほうこうがあがっている。どうやら大物を仕留めたらしい。


 ただ、そこにあるだけの広大な海は、白波を立ててさざめいていた。

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