第28話 ドワーフの薬屋(10)
リリスがローグに弟子入りして、十三日目。今日の調薬は休みだ。三人は、いつもの過疎化が進行している迷宮に来ていた。リリスの気晴らしも兼ねている。
リリスの調薬は魔法薬作りに進んでいるが、これがやはり上手くいっていなかった。魔法薬作りでは、微量の魔力を用いて生成するのだが、リリスは込める魔力が多すぎるのだ。ローグもレイも長い目で見ているのだが、やはり失敗が続くと気持ちが落ちる。そんなリリスを見かねて、レイとローグはリリスを連れ出すことにした。
戦闘の腕が落ちないように、朝夕定期的にローグの家の周りの森で狩りをしているものの、本格的な戦闘訓練は久々である。リリスが朝から気合が入っていることは、一目瞭然であった。
今日のリリスは、若草色の
対するローグは、いつものラフな格好に赤黒い皮の鎧をつけて
「さて、一層と二層は飛ばしてもいいか?」
「うん、いいよ~」
鞄の長さを調節しながら、リリスは答えた。リリスは六日前の休みに、レイと二人で二層まで潜っている。リケ村にはギルドも無ければ、カフェもお菓子屋さんも無いので、暇を持て余した二人は少しだけ迷宮へ来たのだ。
「リリスは、人型魔物と戦ったことはあったかの?」
「ないよ。五層にゴブリンが出るんだよね?」
「そうじゃの~。今後もレイについていくなら、人型魔物に慣れておく必要があるの」
「……が、がんばる」
リリスは少し不安げな顔で、気合を入れた。
「ではまず、五層まで行こう」
「そうじゃの」
「了解っ!」
リリスとローグの二人でも六層くらいまでなら特に問題ないだろうということで、リリスとローグを先頭に五層まで下りることにした。ちなみにリリスの手には、レイが十層のボスを討伐した際に得た、一層から十層までのこの迷宮の地図が握られている。宝箱を開いた時は、かなり微妙な気持ちになったが、役に立って何よりである。「あれを採取しよう」「この肉が食べたい」と地図を見ながら楽しそうに会話する二人を眺めながら、レイはのんびりとその後をついていった。たまにはこういうのも悪くない。
「リリス、注意が散漫。気配も消せてない」
しゃがみ込んで、薬草採取に夢中になっていたリリスの後ろから飛びかかった灰狐を、レイが切り伏せた。
「はっ……。レイごめん~! ありがとう!」
「その辺の薬草は、レイが沢山取ってきてくれておるからの~。次へ進むかの」
現在の階層は、二層。二層は飛ばすと言ったはずだが、目についたものに気を取られてしまうリリスのせいで、三人はなかなか先へ進めないでいた。出来れば十層のボス部屋まで経験させておきたかったが、このペースでは今日は無理かもしれない。
(まぁ、今日の目的は、リリスの気晴らしだからこれでいいか)
ちなみにローグもそこそこ戦えるので、暇を持て余しているかと思いきや、微笑まし気にリリスを見守っている。その姿は、もはや孫を見守るただの
リリスは三層で灰羊と戯れ、四層で根菜に逃げられ、ようやく三人は五層に到達した。
「野菜が逃げるなんて~!」
四層の根菜は、いつぞやレイが定食屋の女将に頼まれて収穫に行った、あの地中を逃げる野菜である。投げナイフの練習にちょうど良いので、連れて行ったのだが、リリスが林に足を踏み入れた途端、一斉に林の奥に逃げ出した。野菜も何かを感じたらしい。しばらくの間、逃げ回る野菜とリリスの追いかけっこを、お茶を飲みながら見守ることになった。
さて、五層はゴブリンの住処である。リリスとは初対面のはずだ。レイは、気配を隠してしばし見守りの体制に入った。ゴブリンも倒せないようであれば、今後リリスを連れて迷宮に入ることは難しいだろう。もしそうなった場合は、リリスをローグの元にそのまま置いていくつもりである。リリスには言っていないが、ローグもそれに同意している。
五層に足を踏み入れると、すぐさまその耳障りな声が聞こえてくる。過疎化している迷宮だけあって数が多い。こちらを認識した個体が、何体か近寄ってきている。足が遅いのですぐに接近されることはないが、ほどなく戦闘になるだろう。
リリスを見下ろすと、案の定、顔を青くしている。体にも余計な力が入っているようで、動きもぎこちない。レイはそれでもリリスに何も言わなかった。リリスが「どうしても無理だ」と言うなら、それでもいいと思っている。
自分は冒険者として剣を振るう人生を選んだが、リリスの人生はリリスのものだ。本人の選択で、思うがままに生きればいいと思う。自分がリリスの選択肢を増やす、何らかの助けになれば、それで。
そうしている間に、ゴブリンはかなり接近してきていた。このままではゴブリンの手に持つ斧で、リリスの白い肌に傷がつくだろう。リリスは何も言わないが、そろそろこちらから攻撃を加えないと危険だ。レイは、自分の剣に手をかけた。
あと一歩、ゴブリンが踏み込んだら、リリスがその斧の射程に入ってしまう。レイは諦めて、剣を半分ほど抜いた、――その時。リリスが素早く動いて、左右の手から投げナイフを放った。
リリスの手を離れた二本のナイフは、寸分違わずゴブリンの眉間を貫いた。ゴブリンは迷宮のごく浅い層に出てくる、比較的弱い人型魔物である。その皮膚に防御力はなく、
リリスは放心状態だ。だが、ここはゴブリンの住処。集中力の切れたリリスに、別のゴブリンが矢を放った。腐っても魔物、三人の中で一番弱いリリスを的確に狙ってくる。
リリスに矢が射られそうになる、その直前で、横で見守っていたレイが、その矢を薙ぎ払った。それと並行して、リリスに向けて射掛けたゴブリンをローグの
「リリス、平気か?」
二人は、放心状態のリリスを引っ張って、四層と五層を繋ぐ階段まで戻ってきていた。
レイの問いかけに、リリスは返事を返せない。やはり、随分ショックだったようだ。
レイは階段にリリスを座らせ、その手に栓を抜いた聖水を握らせた。ローグからの視線が痛いが、聖水は精神的な痛みも多少であるが緩和してくれるのだ。せっかく持っているのに、使わない手はない。
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