第29話 ドワーフの薬屋(11)

 結局あの後、リリスが使い物にならなかったので、三人は迷宮を後にした。気晴らしも兼ねていたのに、リリスを逆に落ち込ませてしまった。夜に恒例の酒盛りをし、持ち直したものの、レイとローグは申し訳ない気持ちがぬぐい切れず、本日も調薬は休みである。


 三人は現在、ローグの作業部屋で顔を突き合わせている。ローグの作業部屋は、薬草が天井から吊るされていたり、薬効のある魔物の素材や紙片が雑多に床に積まれていたりと、かなりごちゃごちゃしている。しかし、湿気がこもると素材が痛むので、風通しは良く、今も気持ちの良い乾いた風が吹き抜けて、吊るされた草花を揺らしていた。


「そろそろリリスの刻印を作っておくかの」

「刻印?」

「あぁ、薬にはそれを作成した薬師の刻印が入っているだろう?」


 レイは、ローグの作った薬と自分の作った薬を、首をかしげるリリスの前に並べた。ローグの刻印は、薬草と戦鎚ウォーハンマーとが交差した絵柄の下に、ローグの署名が入っている。一方レイの刻印は、ローグの戦鎚ウォーハンマーと剣が交差した絵柄の下にレイの署名が入り、全体を丸く囲むように薬草が配置されている。


「たいてい、師匠がいる場合は、その師匠の意匠を自分の刻印にも取り入れる」

「そうじゃの。そうすると、刻印を見ただけで、誰に師事したかがわかるからの。あいにく儂は誰にも師事しておらんから、左側は薬草じゃ」

「なるほど。だから、レイの刻印には戦鎚ウォーハンマーが刻まれているんだね」


 物の鑑定ができないので、薬の品質は薬師の腕に左右される。そこで、買う側は何を基準に購入するかといえば、この刻印を見て選ぶのだ。腕の良い薬師の薬は、自ずと有名になるになる。薬師になりたてのものは信頼を勝ち取るまでが大変だが、ある程度腕のある薬師に師事すれば、それが信頼となり、購入のハードルが下がる。薬師を志す者にとって、師匠というのはそういった意味でも大切なのだ。


 さて、二人の師匠であるローグといえば、腕は確かなのだが、安定した生産を行っていないので、知る人ぞ知るといった具合である。レイは、はなから自分で作った薬を売るつもりがなかったので、別にどうでも良かった。だが、リリスにとってはどうだろうか。とは言え、自分の知る信頼できる薬師は、ローグしかいないのだが。


(まぁ、いいか。今更だ)


 レイはリリスの薬を使ったことはないが、ローグから腕は悪くないと聞いている。本格的に薬師になるのであれば、自ずと売れるようになるだろうし、あの雑貨屋の店主も喜んで売り込んでくれることだろう。


 レイが考え込んでいる横で、二人はあーでもない、こーでもない、とリリスの刻印の図案を考えている。レイは、楽しそうに筆を持つリリスの横顔を見ながら、剣の手入れを始めた。様子を見る限り、昨日のショックは尾を引いていないようだ。ゆるく息を吐いて、手元に目を向けた。



「ねぇ、レイ。私の印象って何かな?」

剣の手入れに集中していると、リリスが話しかけてきた。どうやら、自分の意匠が決まらないようだ。レイは、顎に手を当てて俯き、考え込んだ。


(リリスの印象? リリスの湖、魔法、エルフ、肉……。あ、惨殺兎の闇(病み)美少女……)



「……うさぎ?」

レイの口からポロリと、それは零れ落ちた。


「兎?」

リリスは不思議そうに首をかしげる。


「おぉ! 可愛いエルフのリリスにぴったりじゃの」

レイは、思わずこぼしてしまったそれに、リリスから目を背けた。にもかかわらず、何も知らないローグに拾われてしまった。


「え、そうかな~」

リリスは満更でもないようだ。


 確かにエルフは人族としては耳が長い。ローグは耳が長くて可愛らしい兎を想像し、可憐な外見のリリスに重ね合わせたようだ。だが、違う。そうじゃない。レイは無表情の下で、この失態を上手く切り抜ける言葉を探した。


 このままでは兎に決まってしまう。だが、何も言えずに黙り込んだレイは、無責任にも剣の手入れを再開させた。きっと、二人はリリスにピッタリの可愛らしい意匠を作るだろう、それでいいじゃないか。レイは気持ちを落ち着けるために自分を納得させた。レイの脳裏では、忘れかけていた兎を手に持つ美少女の、輝く笑顔が再生されていた。



「できた~! どう? レイ!」


 そんなレイの想いも空しく、出来上がった意匠は、何故か態度のでかい兎がドヤ顔で薬草を口にくわえ、戦鎚ウォーハンマーを肩に担いだものであった。



(……可愛さとは?)


 レイは、無表情の裏で項垂れた。……まぁ、リリスがそれでいいなら、いいのだが。


 刻印は、手書きしたものを専用の魔道具で特殊な金属板に転写させて作成する。この魔道具は、安いものではないが、複数の弟子を抱える工房にはたいてい一台は置いてある。この図案を転写させた金属板を、これまた専用の魔道具にセットし、インクを補充すれば、簡単に紙や木などに複写できるのだ。

 リリスは、完成した手のひらに収まる魔道具を目の前に持ち上げて、嬉しそうにしている。


「これって高くないの? 私、お金払えるかな?」

「ふぉふぉふぉ。これは儂から弟子への贈り物じゃ。これからも精進して欲しいの」

「ありがとう! 師匠!!」


 リリスのモチベーションが上がったようで、何よりである。ちなみに、薬師の場合、この刻印は通常紙に押印し、薬を開封すると印章部分が破れるように封印を施す。偽造防止と開封有無の確認のためだ。インクは何を使っても問題ないので、レイは青紫色のインクを使用している。



「ところで、剣の調子はどうかの」

「さっき手入れをしているのを見ていただろう。特に問題はない」


 はしゃぐリリスの様子を見ていると、作業にひと段落ついたローグが話しかけてきた。

 ローグは薬師とは言え、ドワーフの鍛冶屋の息子。道具には少々うるさい。


「いつまでそんな剣を使っておるのかの。お主の実力に見合っておらんじゃろう」

「……」


 レイとて、それはわかっていることである。だが、いくら実力があろうともCランクの自分が業物わざものの剣など持っていれば、目立つ。レイは、Cランク帯が所持しても違和感のない、そこそこのランクの剣を常に数本、アイテムバッグに所持していた。きちんと手入れは欠かさぬようにしているものの、稀にレイの力量に耐えきれずに折れるからだ。


 命を預ける剣を妥協するなんて、あってはならないことである。だが、レイは目立ちたくないのだ。それに、一本だけは到底値段のつけられないものも持っている。手に入れてからこれまで、人前で出したことはないが。ローグももちろんその剣のことは知らない。だから、このようなことを言ってくるのだ。ローグがレイを心配して言っていることは、もちろんわかっている。


「……どこかで腕の良い鍛冶師に出会ったら、あつらえる」

「そうしてくれると、儂も安心じゃの。なんなら、儂が何人か紹介してやろうかの」

「……頼む」


 ローグは機嫌よく頷いて、紹介状を書くべく立ち上がった。


「どれ、リリスの武器も爺が見てやろうかの」

「ほんと? ありがとう!」


 孫と孫に甘い爺のようなやり取りをしながら部屋から出ていく二人を、レイは苦々しく見送った。

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