第22話 ドワーフの薬屋(4)

涼華草りょうかそう紺根こんこん香樹こうじゅ黄輝草ききそう……」


 レイは、ローグの欲しいものリストを確認していた。現在、五層目の安全地帯セーフティーゾーンで休憩を取っている。読み上げているのは、これまでの浅い層で採集した素材である。リリスの調薬の練習用だろうか、浅い層で手に入るものがリストに多く並んでいるので、採集しなければならない素材は残り少ない。


 これらは迷宮でなくても手に入るのだが、この迷宮の浅い層に群生しているので何分効率がよい。ローグがリケ村にきょを構えたのは、この迷宮の存在も大きいのだ。レイがローグに弟子入りした当初は、戦鎚ウォーハンマーを振り回すローグと二人でよく潜っていた。




「……あとは、粘薬の実か」


 粘薬の実は、人の顔くらいの大きさの硬い殻に覆われた茶色い木の実だ。木の実を割れば、中はやや乳白色がかった、半透明の粘性のある物質で満たされている。外側にいくほど柔らかく、中心部にいくほど硬めの質感となるそれは、そのままでも皮膚の保護剤となりえるが、主に塗り薬などの基剤に使われる。また、軽く硬いその殻は、綺麗に半分に割れば、皿替わりの器にもなる。


 レイは、次の層に向かうため、腰かけていた岩から立ち上がった。この迷宮の浅い層では弱い魔物しか出現しない。肉にすらならないので、基本的は無視している。


 迷宮というのは、人々に危険と恵みをもたらす不思議な空間である。日夜、研究者が調査研究を進めているらしいが、多くの謎は解明されていない。


 その謎の一つが、迷宮だけに生息する魔物の存在だ。いわゆる人型魔物と総称されるそれは、その顔立ちや骨格などが人のそれではないものの、二足歩行をし、武器などの装備品を所持しているのが特徴である。討伐をすれば体は残るが、それらから肉を得ることができない。正確には、人型魔物を食べようとするものがいない。


 人型魔物の討伐は、基本的に魔石とその装備品が戦利品となる。例えばアイテムバッグは、大抵このタイプの魔物の装備品である。追い剥ぎをしているようで、慣れるまでは微妙な気持ちになるが、そこは慣れるしかない。どうしても慣れることができず、迷宮に潜らない冒険者も一定数存在する。迷宮の魔物はなぜか迷宮の外には出てこないので、それはそれでありなのだ。もちろん、人型魔物が出現しない迷宮も存在する。

 幸いなことに、息絶えたものは一定時間が過ぎると迷宮に吸収される。解体したくなければ、放置しても問題ない。


「……リリスも、一度連れて来てみるか」


 レイは思案しながらも、草むらから飛び出してきた黄狐を一刀のもとに斬り伏せる。狐は数が少なく、そのふわふわの毛皮に需要があるので、アイテムバッグに収納した。この迷宮は冒険者にあまり人気がないが、迷宮に慣れるにはちょうどいいだろう。


 草むらをサクサク歩いて、目的地である粘薬の木が群生するエリアまでやってきた。粘薬の実が人の顔ほどの大きさがあるだけあり、その木もかなりの巨木だ。登ってもいいが、ローグに依頼されている数は多い。一つ一つ手で採取するのは手間だ。それに、粘薬の実の殻は硬いので、落としてもそうそう割れることはない。

 レイは、アイテムバッグからリリスに渡したものと同じ投げナイフを取り出すと、粘薬の実をつける細い枝に向かって数本投げる。軽い力で投げられたそれは、綺麗に実だけを落としていく。


 レイのメインの武器は腰に差している剣であるが、実は複数の武器をアイテムバッグに所持している。戦闘に剣以外を用いることはほぼないが、まれにこうやって練習をするのだ。

 生まれてからある時まで、剣を始めとしたあらゆる武芸の才に見放されていたレイであるが、実際に複数回ことで得た剣の腕は、剣の才能保持者に勝るとも劣らない。今なら英雄の父ともいい勝負ができるだろう。だが、それが開花したのは、幸か不幸か魔の森に捨てられて瀕死に陥ってからである。どうしようもないことなので後悔はしていないが、もう少し早く開花していれば、今とは違った道があったのかもしれない。

 何はともあれ、剣の技量が爆発的に上がってから、他の武器も持ってみるとやや補正があるようであった。才能レベルには遠く及ばないが、使えないこともない。それに気が付いたレイは、まれにこうして他の武器を扱ってみるのである。これはもはや趣味と言っていい。これらの武器に命は預けられないので、やはり戦闘は剣一択になるのだが。



「……これくらいでいいか」


 草むらに落とされた複数個の粘薬の実を見て、レイは呟いた。落ちた実とナイフを回収し、リストを確認する。取り残しは無さそうだ。



「あとは、肉が欲しいな……」


 果物も見つけたものはいくらか採取しているが、できればリリスの喜ぶ肉も狩りたい。レイは、この迷宮に出現する魔物を思い浮かべた。のんびり採集していて、あまり時間も残されていないので近場で、そこそこ美味い肉がいい。


「……九層に、黄牛か」


 よし、それにしよう。とレイは六層から九層まで一気に駆け抜けた。この辺りの敵は正直、レイの敵ではない。邪魔なものは斬り伏せるが、他は無視だ。


 一気に九層まで駆け下りたレイは、息一つ乱さず見晴らしのよい草原に降り立った。ここまで、平原か林、草原エリアばかりである。


 見渡せば、あちらこちらに草原を食む灰色と黄色の牛が確認できる。まれに豚や兎もチラチラと視界に入るが、狙いは牛だ。

 牛は、敵の間合いに入ると突進してくるが、巨体なだけあり動きは直線的で足もさほど早くない。レイにとっては、ただの的である。


(灰色もいるのか……。まとめて数頭狩ってしまうか?)


 人気のない迷宮だけあり、あまり狩られずに魔物の数が増えているようだ。牛は群れている訳ではないが、一体に近づけば、別の個体の間合いに入ってしまうだろう。


(面倒だし、あまり考えずに狩ってしまおう)


 レイは、己の剣に手をかけ、黄牛に向かって一直線に走り出した。




***

 牛を狩り尽くして迷宮から出ると、今にも日が沈みそうな夕焼けが広がっていた。脳裏に、お腹を空かせたリリスの姿が浮かぶ。ちなみに、迷宮の魔物は狩り尽くしたところで、一定数はすぐにリポップするので問題はない。これも迷宮の謎の一つだ。



(しまった。ゆっくりし過ぎたか……)


 赤く染まる空に考えたのは一瞬で、次の瞬間には管理小屋へ駆け込み、迷宮を出た報告だけを済ます。そのまま人気ひとけのない森に飛び込んだ。


(こんなことで使うのは、どうかと思うが……。今は時間が惜しい)

レイは、普段は封印している魔法を使うことにした。



「【解錠アンロック】、【隠蔽:標的ターゲット 左目】」



 魔法句を唱えると、途端にレイの左目が青紫色から赤紫色に変化する。その赤紫色の瞳には、迷宮産の魔物除けに描かれるような、文字のような絵のような解読のできない魔法陣が浮かんでた。その赤紫色の瞳の中央、瞳孔は縦に割れている。しかし、すぐさま重ねられた魔法句によって、その左目は右目と同じ、いつもの青紫の瞳に隠蔽された。

 レイは、続けて本来の目的である魔法句を唱える。



「【移転:標的ターゲット リケ】」



 次の瞬間には、レイの姿はリケ村の門近くの茂みに現れる。辺りは薄暗い。先ほどの迷宮からリケ村の近くまで移転したのだ。



「【施錠ロック】」



 人気のない茂みから出てきたレイは、何食わぬ顔で定食屋へ入り、食事代を払って牛一頭をそのまま託し、数日分の食事を注文した。定食屋から出たレイは、ローグの薬屋に向かって、一直線に走り出す。この分なら、完全に暗くなる前に帰り着くことができるだろう。




 一連の行動を見守っていたものは、闇に侵食されつつある茜色に染まる空だけであった。

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