第111話 こればかりは……。


「大丈夫か、翔」

「うん。ぅん……大丈夫な、筈なのに……」


 翔がせきを切ったように、涙を流す。服の袖口はこれでもかと言わんばかりに、水を含んだ。

 どうしようもない切なさに、翔は躊躇する。


「おまえは気を張り詰め過ぎるから」

「そ、そうかな」

「そうさ、気丈に振りまう節がある」

「そう?」

「ああ、中々に強情だよ」


 口は笑うが目は泣いている翔は、話す口が止まらない。それはみなともだった。


「あ、でも翔は優ちゃんにだけは違うな」

「あ、うん……」

「優ちゃんだけには素直だもんな」

「優はね。俺の癒し」

「くす、そうだね。翔は優ちゃんにべったり過ぎるね。時にお父さんはつらい」

「げ、そうなのお!」

「くす、あはは。そうだよ。くすくす」


 間抜ける翔に、ほころぶ父がいる。和気藹々わきあいあいと談笑し合うがそれを翔は、ぴたりと留めてやる。


「何で……母さんではなく。……父さんが――、なんだよ」


 翔の角膜に朱い龍が動く度に、漏れ出る波動色が亡き人の影と重なる。

 翔は悔しがる。


「どうして。出てくるんだよ」

「僕では駄目かい。翔はマザコンかな?」


 湊が赤い龍の姿借り、首を傾げる。


「違うよ、俺は倶利伽羅くりから様の中にはてっきり母さんがいると思ってたんだ」

「ああ、みなちゃんならやりそう」

「みな、ちゃん?」

「うん、僕は瞳海みなちゃんと。ちなみに僕はみーちゃんと呼ばれてたんだ」


 幽かな影は頬の肉を弛ませ満面に、しかも得意げに微笑している。


「うわあ、恥ず……ってでも俺」


 翔は前髪を強く握り、何かを悟る。


「どうしようもなく父さん似だわ……」


 優希に依存する翔は人のことが言えず、肩をがっくり。そして床に、おもいっきり手を付く。

 下に向く翔の顔位置にある茶色い板は、丸い斑点を付けていく。

 翔の声は、くぐもる。


「くそぉお、笑いたいのに……」

「翔……」

「……ものすごくもやる」


 悄気る翔は水平面に置いてある手を、力強く拳握る。その翔の拳は、優しく持ち上げられる。

 おもてを上げる翔の目に、父親の幽体が完全に映り込む。


「ごめんよ、お母さんを怒らないで」

「……もう「みなちゃん」呼びで良いよ」


 何かを諦める翔がいる。


「でもそれだとお父さんの威厳……」

「あのね父さん。母さんの呼称出した時点でもう威厳は無いのよ?」

「うぅ〜ん、やっぱり翔は、お母さんの方が良い?」

「もうこの際、母さんみなちゃんでなく父さんみーちゃんで良いわ」

 

 翔は濡れた袖口で涙を拭い、満面に笑みると父親の頭をこついた。


「そういえばそう呼び合ってたね。今、思い出した」

「くす、おまえは笑顔がかわいい」

「親の引いき目?」

「いや、おまえ達の笑顔が僕の一番の供養だよ」

「くす、へんな感じ」

「へん?」

「うん、目の前にいる幽霊が供養を口にする」


(父さん、笑い方がやっぱり俺と同じだ)


 安らぎが込み上がる翔は正座から胡座に姿勢変え、咳をし出す。


「大丈夫か?」

「咽せただけ、心配しすぎ」


 綻ぶ翔の前でかしこまる幽体がいる。翔は少し、そんな幽霊に悪態をつく。


「で、何か言い訳でもあるの」

「いや、違うよ」

「ふうん、母さんは倶利伽羅様に何を伝えたのさ。だって、父さんは俺の副人格ストッパーの中に居る人。だよね」

「ああ、今もおまえの中だ」

「でも倶利伽羅様を通して出てきたよね、わざわざ?」

「それは僕が話しをしたかったから」

「そう」


 翔は長いまつ毛を伏せると、息を払う。


「翔、おまえは強いが何も無理に強くあることはない」

「いきなりだね」

「うん、お母さんは翔に銀龍を仕方なく憑かせたんだ」

「うん、解っているよ。死んでいなければ俺から【暴食】を剥がしてまた自分に、そして金龍の中に戻す入れるつもりだったんでしょ?」


 湊の体が揺らぐ。


「母さんが持つ霊力ならやれる。だってあの人は術者近傍かいわい幻想せかいに名を知らしめる人だもの」


 翔は表情を曇らせ、「やんなるよ」と、ぼやいてやる。


「その所為もあるのか、皆が何かを期待しているようでそうでないようで……」

「翔……ごめん」

「謝らないでよ。それに口惜しいのは俺ではなく母さんだろうよ」


 翔は瞼を仕切りに指で押さえている。腫れたが気になるらしい。


「あ~啼かされたわ」

「くすす、もっと涙していいんだぞ」

「いや、これ以上はいいよ。なんだか楽になった」


 心配そうに翔を覗う湊がいる。


「俺はたぶん泣きたかったんだな。思いっきり」

「おまえは胸の内を見せてるようで抱え込む傾向もあるから」

「そうかな」

「ああ、あるとも。結構抱えてるぞ? 今はヤミくんや優ちゃん、哲くん葵ちゃん。あの子達が君の側に居てくれて何よりだ」

「そうだね、本当に助かるよ」


 翔は瞼閉じゆっくり微笑し、湊の横に寝そべる。


「……母さんも予知出来たんだ」

「みなちゃんは凄いよ。出会う瞬間に僕の中に潜むモノを見抜いた」

「四神と麒麟神翁?」

「うん、僕は霊力はあっても使える人ではないんだ」

「そういう人。多いよね」

「近くにそんな人がいることが珍しいんだよ。しかも僕の周りはいすぎる」

「お、家族を客観視し始めたな」

「そんなこと無いない」


 翔の頭を撫でる、大きな手がある。


「それで、母さん達の事故は仕組まれたものなの?」


 翔は抱えていた疑問を、父にぶつける。


「え」

「俺。最初、海沙樹みさきさんがと思っていたけど」

「……」

「裏で糸引いてるのは金龍、だよね」

「……翔」


 翔は深い息を落とすと、父を見はる。


「あの龍神、海巴雫みはなから引きずり出してやる」

「翔、それは無理だよ」

「どうしてさ」


 翔は目の前でたじろぐ親を、冷たく睨む。


「俺はこう思う。確かに金龍は龍を統べるのには必要だけど必要な時に、憑かせれば良い」

「……」

「それまではある場所にて拝み奉れ倒せばいいさ」


 翔の力強い言に、湊は小さく肩をすぼめる。


「何てね。分かってるよ」

「翔……」

瑞獣麒麟達と同じで何時でも俗世を渡るために媒介容れ物が必要なんだろう」


 翔は袖を捲り、三角坐りする。


「でもだからって海巴雫に憑く必要はない──本来は、俺が。なんだ」

「翔……」

「いや、俺に憑こうってことが例外か? 後継ぎを紡ぐなら女子の方が子を成すから……その方が便利~とか?」 

「……そこも見抜くのか」

「龍の都合何て考えたくないが、喰わ乗っ取られるより?」

「……」

「オレに麒麟をありがとうってあれは優希の為で良いんでしょ?」

「そうだけどおまえに負担ないかと父さん心配」

「大丈夫、五神達とも。上手いこと付き合えるさ。ただまだ、【暴食】はどうかなあて感じだけどね」


 翔は膝の上にある顔を湊に向け、可愛く微笑む。


「翔の微笑はずるいなあ」

「え?」

「時に色っぽく時にかわいい」

「親バカやめて?」

「いやいや、本音ですよ」


 翔は湊の腕にほっこりと、抱き留めらる。そこに甘えてくれる翔に、安堵する湊がいる。


「ねえ、父さん。俺が【暴食】を喰うのかな? それとも」

「いいかい翔。幾ら未来が予知できてもそれはあくまでもだ。人間の未来なんて枝分かれしている」

「そうだけど……」


 真顔で迫る湊に、翔は目を背けてしまう。


「何処の分岐に立ち、何処に向かうのかなんて。決まってない」

「う……ん」

「何処に立って前に進むか。意思の強さが大事なんだ」

「でも何処に立つなんて、分かんないよ」

「うん、僕も分からない。だって僕は死ぬ予定なんて持ち合わせていない。でも死んだ」


 「あ~」と眉を下げ、前髪を掻き分け額を出す翔がいる。


「良いじゃないか、それでも」

「父さん」

「ゆっくり前へ。後悔するのは人間誰しもなんだ。後から付くものは先に進む要素にしてやれば良い。だから、怖じ気づくな」

「うん、ありがとう」

「翔はこの先どうありたいかは見つけてるんだろう?」

「うん、予想図はある」

「おまえが歩こうとする未来図に僕がいない。それが哀しい」


 湊は翔を強く抱きしめ、額にキス口づけをいっぱいおくる。


「父さん、苦しいよ」

「くすくす。もう父さんはおまえの愚痴も悩みも訊けないけど、いつでも。怖気付いても胸を張れ!」

「胸を?」

「ああ! おまえはいつでも自慢の息子だ」

「父さん」

「陽介もいつもおまえのことを、威張ってるぞ」


 湊は立ち上がると胸をどんと叩き、翔に片目を軽く閉じウインクしてやる。


「あ、それ。前に言われた」


 頬を赤らめる翔に、湊は喜ぶ。


「側にいる陽介を怨むが……こればかりは、仕方ない」

「父さん……」

「さて、みなちゃんの伝言も僕と似たようなものだし」

「え、行っちゃう?」

「ああ、僕は翔の中。人格の中に戻る」

「でも、人格が消えたら父さんも……」

「それもそこまでの話だ」

「やだよ」

「久々に訊くわがままに付き合えなくて、ごめん」

「本当だよ」


 俯き、目線を湊に合わせない翔がいる。


「でもお母さんは違う」

「え? 違うって何」

「言葉通り、違う」

「?」

「みなちゃんの魂魄を探せ。身近にある」

「そんな無責任に言っても良いの?」

「良いんだ。何処かに在る」


 悩む翔の頭を湊はぐりぐり撫で、白い歯を見せると飛び級の笑顔を見せる。

 翔に似た笑顔を。


「じゃあ、僕はもう帰るよ。皆によろしく」

 

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