第ニ章 散りちり舞う

第110話 せせらぐ音


 俺は母のことも父のことも──分かっていた。


 いや、ちがう。正確には……だった、かも。

 余りにも早すぎた両親の死をきちんと、受け止めていた。父の想いも母の悔やみもきちんと理解……を、嗚呼、そうさ。そのはずだったんだ。

 あの時、あの頃。

 今までは……。

 でも今は……。

 

(ここ最近、母と父の名が出回り過ぎ……)


 翔は憂いを隠し、今いる場所の景観を見はる。そこにあるのは奥ゆかしさを醸し出す二重折上にじゅうおりあげ格天井ごうてんじょう。角材を格子状に組み、梁から吊り下げ更に中央をへこませた立派な匠技がある。

 そこの敷居は高い。


(洗練された組み木は見てて飽きない……俺は好きだな)


 上に惚れ惚れする翔の首は、疲れるまで向いたままなのか?

 そんな翔の前に座するヤミは相変わらずの笑い方で、彼を拝んでやる。

 ヤミの笑声に気付く翔はやっと、視線を下ろした。少し間抜けた面立ちである翔はヤミの癖ある笑い声を耳に拾い、柔らかく受けとめる。


「此処、よく貸してくれたね」 


 翔はまた、今いる間取りを隅々まで見渡す。外陣げじんと言われる座間に腰下ろす翔は内陣ないじんに座す本尊に手を合わせ、そしてヤミの方に向きを正す。

 そう翔は今、ヤミの知人の寺に居る。

 

「俺の胸を見せたら何故か一つ返事デ貸して……くく。何回拝めば気が済む?」

「いや、隣に居るからつい。拝まずにってね」

「まあ、確かに不思議な視線を感じずには、ダな」

「うん、覗かれてる」


 広い空間の所為なのか、空気が澄んでる所為なのか、翔の吐く息は少し白い。

 翔は着ている灰色のオーバーニットタートルの首部分に鼻までをうずもらせ、返事する。

 見目好い顔が半分しか見えてないことに、ヤミは微笑む。

 

「翔、お前に渡すものがアる」

「渡す?」

「これだ……」


 ヤミは黒いワイシャツのボタンを外し、胸を肌けさす。赤黒く燃ゆる龍が刻印された胸板は、逞しい。

 翔は、真顔できびす返す。


「え、俺。そんな趣味ないよ?」

「俺もないワ」

「うん、言ってみただけ」

「……くっくっ、おまえは。ほんと……」


 ヤミは眉尻を下げ、翔の額に自身の額をあててやる。


「確かに、海巴雫御ひい様が俺のためと名目上差し向けた龍だガ、こほん。それには理由がある」

「……うん」

「! ……気付いてたのか」

「そりゃあ妹の考える事ですから……あと本当にごめんなさい」

「くく。まあ、見合いガ潰れたのは良いことじゃないか」


 ヤミと翔は、思い出し笑いをしてやる。

 「さて、本題」と、切り出す翔がいる。

 持参していた鞘袋を手に握る。

 その袋は少し古めかしいが雅に豪勢に、大きな丸を中心に小さな丸ある月星紋が金刺繍で縫われている。中に納められた刀装具にも、負けじと言わんばかりに立派な装飾があしらわれている。

 その鞘は黒塗り漆に沈銀と沈金の点と線で北斗七星が描かれた見事な、それは実に美しい物であった。


倶利伽羅くりから様を憑依さす為に陽介さんから借りてきた」

「ほう、またおしゃれな鞘に見合う刀だな。刃も見事に鍛えらレている」


 ヤミは柄を持ち、短いが斬れ味良さげな業物に自身の顔を映す。反射される投影の美しさにうんと、頷く。


「良い一品だ」

「でしょう? ある社古墳から初恵さんが掘り当てた特級品だよ」


 翔は空中にティッシュ紙を一枚跳ばすと、刀を素早く振るう。煌めく弧の閃光は、薄く柔らかい紙を半分にはらり。


「おいおい、本当に持ち出して良かったのか?」

「う~ん。陽介さんの許可はあるけど……たぶん大丈夫だろう」


 翔は悪びれず、にこにこしている。


「良いのか? 壊れたラ初恵さんに申し分けが……」

「大丈夫だよ」

「ほんとうにか。それなりに頑丈そウだが、器として耐えられるのか?」


 ヤミは胸に棲まう龍の強さを把握しすぎる為、翔に何回も確認する。いつもよりおろおろしているヤミが翔には、面白い。翔はヤミの綺麗な胸筋にわざと人差し指を立て、薄らと線を這わせていく。

 こそばゆいのか目尻をぴくりとすがめるヤミがおり、翔は口角をにやけさす。


「あれ、感じてる?」

揶揄からかうナ、ったく~おまえは」

「くすくす、あれ。顔赤いよ?」

「おまえっ!」


 大の大人を野次った翔は、いつもの大人っぽい笑顔ではなく少年らしく笑う。

 と次の瞬間、真顔になってやる。そして大きく息を吸う。気分調ととのえる翔はヤミの胸肌に在る龍に、妖艶な刃をくっ付けてやった。


「耐えるかは分かんないけど龍の言葉を訊くには形代容れ物は必要だよ」

「あの木彫りでも良くなイか?」


 ヤミは本尊とは別に、傍らに置かれてある小さちっぽけな木彫り仏像を指差す。


「龍が入った瞬間、木っ端微塵だと思うよ?」

「やはり、か。憑霊うつし身にと、ここの知人から譲って頂いたんダが」


 等身約三十センチの木目の不動明王像は、指示を待つように座する。


「まあ、でも逆に倶利伽羅様がおっかなびっくりかもよ?」

「だよな、あれはご自身がお支えする御神仏様だからな……」


 翔は横に置いてある駱駝らくだ色のいかつ顔を目に留め、「ごめんね?」と、半笑する。

 翔が謝る仏様のお顔はやはり、怒り顔でだんまりである。


「確かに……ダメだな」

「くすくす、そう思うでしょう?」


 呼吸を整え、目を閉じる翔がいる。右人差し指、中指で指印を組み、刃文はもんにあてる。

 「高天の原に〜」と、祝詞のりとを唱え始めた。

 ヤミの胸肌が赤く水脹れと同時に、刃が赤く焼かれていく。翔の指も朱くなり始めると、いきなり刀剣に巻き付く龍の姿があった。


『ほお、銀龍つかいは憑き物はらえまで唱えるのか。関心感心』


 翔は用意してあった刀掛けに短刀を置くと素早く、自身の指を気にし出す。


「指……保ってるよね、ただれてない? 良かった〜」


 指にふうふうと息を巻き、熱さを和らげようとしている。


『何、弱音を……』

「あっちぃんだよ!」


 翔は姿を現した龍の大きな眼に、指先を覗かせる。綺麗な指はほんのり朱色に、染まっている。


『そう言われてもだな。悪鬼殲滅羅刹せんめつらせつの炎龍だからな』


 したり顔で話す、龍がいる。


「だけどさ!」

瞳海沙みなさみなとの子が屁理屈捏ねるな』

「うん? 母さんのことは知ってるだろうと思ってたけど父さんのことまでも知る?」

『ああ、存分に知っておる。あと海巴雫みはなに謝ってくれぬか』

「妹に?」

『ああそうじゃ。あの男、冬夜ではなく今もヤミと名乗り寄る男に我を憑かせたのは』

「妹の計画でもあるけど、母さんも絡んでいるんだろう」

『気付いていたのか』


 剣に尾を巻き付け翔を伺う龍の姿は、まるでたつの落とし子を模索させる。

 短刀というのもあり、くだんの不動明王に仕える厳つい姿を思わすどころか小柄ミニチュアな赤い龍は可愛いさを増さす。


「そうしてるとかわいい」

『この小ささサイズ召喚んでおいて、良くもまあ言いよるわ』

「色々訊きたい事があってね」

『ふ、仕方ない。差し二人で話し合おうか』

「二人?」


 翔は周囲を窺う。


「あれ?」


 天井の格子はあるものの、空気を入れ替える為に開け放たれた格子扉が見当たらない。

 翔の坐る所からは真っ白に咲き誇ろぶ庭が伺え、「チチルチュルチー」と、甲高く啼くメジロもいた。

 でもその景色も今は、ない。

  

『ふむ、悪いが呼ばれた手前、こちらに合わせて貰おうとな。今は我等わしらだけよ』

「いつの間に? ……」


 翔は慌て、ヤミを探す。でも姿は――ない。


『結界の中じゃよ』

「そうなんだ……」


 翔はニットの袖を手まで伸ばしぐっと握り、手背を隠し動揺もついでに隠そうとするが気付いてしまう。

 きちんと正座し、倶利伽羅龍を真っ向に見据えていることに。


(全然、結界霊圧に感じさせて貰えなかった)


 倶利伽羅赤黒い龍は空間の揺らぎに身を預け、まるで蝋燭の灯し火あかりのようにゆうらゆら。

 

『小ぞ……いや、此処は敢えて。名前で呼ぼう』

「あっ、そうなの」


 気が張り詰めていた翔は、龍神のちょっとした動きで緊張がほぐれる。

 そして龍から吐かれる音色に、耳を見開かす。


『……う』

「!!」


 龍神に改めて名前を呼ばれる翔はその時、龍の声と何者かの声が重なり翔の全身に届く。

 翔はその音に身体の芯を掴まれると、目端からすぅと清らかな水滴を……垂らせた。


(ああ……川のせせらぐような……胸に沁み入る優しい――……)


 ぼやける視界にぽつり、ぽつりと、零れる懐かしい響きが映り込む。

 静かな囁きに合わせ、翔の両目から落ちる雫は、留まらない。


『体調は? 翔……』

「あっ、うん」

『大丈夫か』

「うん。大丈夫……、大丈夫だよ父さん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る