第44話 睨み、歪み、呆れる二人
翔の眼前の婦人は、ピシッと着物で
花で例えるなら百合のように
一瞬、眼が合う。老女の静かな佇まいに、翔は完全に気押された。しかし、相手は顔色一つ変えるどころか、涼しい顔で茶器に口を近づけ自分の空気を纏う。
そして翔をちらり。
一秒だけ注がれる、冷たい視線があった。翔がその冷ややかさに対し、心の中で焦りつつも口端を上げていると大きく溜め息を吐かれた。
「何です。その淫らな出で立ちは、何です貴方のその出で立ちは」
確かに、今の翔の姿はだらしない。いくら優希を隠すためとはいえ、本来の着物に似つかわしい格好ではなく、まるでやんちゃな風来坊だ。
「確かに、乱れて返す言葉はありませんね」
(厭味──を言われるとは、それも繰り返し言われた……)
少し、
「……あなたが祖母。ですか」
(なぜ今日現れたの。相対する場面、おかしくない?)
翔がぽつりと呟いた言葉に、婦人は眉をぴくり
「……」
無言で、小鉢にある可愛い花型餡菓子を楽しむ頬がある。その一瞬だけの仕草に、翔は目に留めた。可愛いところもあると思うも、丁寧に口に物を運ぶ美しい所作、音立てず茶を啜る悠然なる貴婦人に声の掛け方がわからない。
その姿を黙って、翔は観察する。
(くっ、お母さんにやっぱり似ている。初顔合わせがこれってきつい)
翔は優希を抱えたまま暫く、
「ああ、ごめん」
和を嗜む祖母に声掛けず、席を後にする。優希だけが去り際に軽く、和菓子を愉しむ者に会釈した。
年老いた諦観者は優希に軽く、爽やかな笑みを送る。
眼が合う優希は照れた。
(うわぁ、雰囲気が翔そっくり。綺麗なお婆さま……)
翔はカーテンが仕切られた調理場へと移動し、優希を葵の前で降ろした。
「葵、優を頼む」
「あら、姫。セクシーだこと」
「うう、葵」
葵は優希の着崩れをニヤニヤと笑い、嬉しそうに直した。優希は葵に身を任せている。
その間、翔はというとカーテンの隙間から向こうを覗いていた。婦人は静かに腰掛け、お茶を給仕されている。翔は、何とも言えない面持ちで外に気を配る。
カーテンを強く握る手、きつい目尻で佇む翔に葵は訊ねた。
「あなたが出て直ぐここに来ましたよ。あなたの知り合い……ですよね」
葵は優希の着物を正し、帯を付けている間も口は止まらない。淡々と優希を着付け、崩れた髪も結う。
翔はちらりと、葵に目をやった。
「うん、俺のお
「へぇおばぁさ、っい?」
葵は驚きを隠せない。固まり変顔の葵に優希は苦笑し「よしよし」と、撫でた。
「優、知ってたの?」
「ううん、私もさっき知ったの」
「初対面でしょ、慌てないの?」
「慌てたいよ、驚いたよ、そして喜びたいよ、私は」
(初めて見たんだもん、翔のお婆さま)
躊躇う優希に葵は呆れた。
「じゃぁあ、喜びなよ」
「駄目だよ、あんな翔見せられたら喜べない」
優希と葵はおどろおどろと、翔の背中を見やる。
そんな二人に覗かれてることを知る翔であったがそんなことより、外が気になってやまない。
祖母を窺う翔の横に、穂斑も立った。
「何で居るのよ。あいつ」
「知り合い?」
「知り合いもなにもアレは水龍……ッ!」
穂斑は言葉を止めた。訊ねる翔から流れる異様な気があり、冷や汗を掻く。横に立つ翔と瞳が合い、そしてビクつき凍りついた。
翔の双眸は穂斑を覗き終えると、元に戻った。翔の瞳は色を無くす。
無機物を視るように祖母を見る翔の瞳に凍て付く穂斑はいきなり、炎を出した。
翔の腕を火が
「ッチィ! なにすんだよ」
「ごめん、生きてるか試したくて」
「なんだよそれ!」
翔は穂斑の顔を見て驚き、息を飲む。そうして哀しそうに、微笑んだ……。
(何て顔して俺を見るんだよ……)
穂斑の顔が泣きそうに、翔を見上げていたのだ。今の翔の気持ちを穂斑は汲み取るように、目頭を潤ませていた。
翔は穂斑の頭に手をポンと、そして礼を言う。
「ありがとう」
「!……」
翔はカーテンから離れ、優希の元に向かい話しこむ。何かに頷く二人がいた。翔に何を言われたのだろうか、優希は慌てて制服に着直す。
穂斑は二人の遣り取りを気にしつつ、翔の背中を見た。なぜか思いが胸を締め付けている。ツンとする鼻頭を、カーテンの布で抑えていた。
翔は制服に着替えた優希の手を引き、穂斑の横を通り過ぎる。その時、穂斑に笑顔とともに「行って来る」声を掛けた。
「地雷、踏まないように」
穂斑に励まされ、手を取り合う二人は祖母の前に立ちはだかった。
祖母を見下ろした翔は優希を膝に抱え、席に着く。
「なんです、着物正すことなくはだけさせて。女の子を
「優希は抑止剤。こうでもしないと殴りそうなんです。貴方を」
翔の両目は冷たく、相手を見据える。器についた紅を指で拭う女性も、冷たい眼差しで翔を見返した。
「何か言いたそうですね」
「くすり、文句は山ほどに? でもその前に炎龍、水龍と伴に何用ですか? 俺はお楽しみの最中なんだよ?」
翔は優希を抱え、物腰やんわりとしている。でも口ほどにものは言う通り、棘のある言い回しであった。
ふぅと溜め息混じりに、湯呑みを置く手がある。
「近くを寄ったから孫の顔を見に来ました、駄目ですか?」
「孫だって? 生まれてこの方会ったこともない俺を孫? この俺を孫だと認めているんですか?」
「認める? ふふ、そうね今は認めざるを得ないかしら」
「龍に……目醒めたから?」
「さあ?」
張りつめた二人の空気は教室に漂う。周囲は緊張を感じつつ二人を見学していた。
笑顔を交わす翔と祖母だが、二人の凍てつきは優希に直に伝わる。優希は寒気を覚え、翔の肌にぴったり擦り寄った。翔は優希に気をかけ、肩を摩った。祖母にどう切り返すか悩む翔に、哲弥がにやけながらやってきた。
「三人ともおれのお手製の抹茶どう?」
翔には有り難い助け舟であった。
「うん、飲む。ありがとうテツ」
「おまえ、顔怖いよ。落ち着け」哲弥の耳打ちは翔を安堵さす。翔は緊張が
「俺、言いたい事、聞きたいこと沢山あるんです」
「そう。奇遇ですね、私もです」
「……やっぱり、銀龍のことかな?」
「それもですが、そこのお嬢さんとは結婚でも考えてるのかしら?」
「そうだよ」
お茶を飲んでいた優希も、祖母も噎せた。翔は優希の口を着物の袂で拭いてやる。恥ずかしそうにする優希に翔は「大丈夫だよ、だって本当じゃん」気を紛らわす言葉を投げた。
年老いた者は慌てた姿を取り消すために、体裁を取り繕う。
「あら、見ているこちらが恥ずかしいわ。ごちそうさま」
「何? 将来が早すぎる?」
「……あなた高校生でしょ。もう結婚を?」
「うん考えてる。俺、優がいるお陰で貴方ともこうやって会話出来てる」
「そうなのですか?」
「うん。お母さんやお父さん、亡くした後、俺落ちこんだよ」
「……」
「おじさん、おばさんの助けもあるけど殆どは優希のお陰かな」
「……その子が大事?」
「うん。大事」
「ふふ、あなたは人に恵まれているのね。先ほどの方はお友達?」
「うん、友達」
「そう、いい人ね。安心しました」
「うん、恵まれてる。手放したくない」
「そうね、いつまでも持っていたいわ」
「そうだね」
順調だった会話は途切れた。何を切り出そうか考える翔の姿に、祖母は少しだが笑っていた。その姿を翔が見ていればまた会話の方向も変わったのだろうが、翔は優希に気を取られていた。そして視線を戻す。
睨み合う二人を余所に、楽しいイベントはまだまだ続いた。
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