第35話 覚えたことを反復する




 「あっ、ごめんなさい。そんなつもりは」

 

 手にする盆の上のグラスは氷が溶け、水滴が外に滲む。陽向ひなたはかなり前から、扉の前にいたのであろう。


「本当にご、ごめんなさい」


 翔に顔向けできずに陽向は急いで振り返るもあろうことか、後ろにはヤミが突っ立つ。慌てた陽向は避けようとしたけど遅かった。ヤミにぶつかり、二つのグラスは盆の上から跳ねる。

 容器の中身を、ぶつかり合う者は見事に浴びてしまう。グラスは床に転がり、その横でしゃがみ込むヤミの肩には陽向が乗せられていた。「ふぅ」とヤミは、溜め息つくと立ち上がりついでに陽向を持ち上げた。

 翔は仁王立ち、そんなヤミを俯瞰するも笑顔だ。


「おいっ笑うなョ。誰のせいダッとああ、半分は陽向か。陽向が翔達を覗くかラ」


 ヤミは抱えていた陽向を床に足つかせた。困惑する彼女の頭をぽんと軽く叩き、狐目を優しく微笑ます。


「ごっ、ごめんなさい。そんなつもりはでも」


 陽向はヤミにひと言謝り、翔を見上げるも眼をすぐ逸らし顔を床に向けた。その理由は。

 半裸の翔が、腕を組み立っている。

 翔は陽向の視線が床に向いた意味を悟ると同時に、優希にジャージを羽織らされた。


「ああ? 別にえっちな事は何も、ただ甘えていただけ」


 翔は肩に触れてる優希の手を引き抱き寄せた。近くにある優希の頬に顔を擦り合わせ、どや顔させている。ヤミは翔の動作に笑うが、陽向は照れた。

 陽向はどう切り返せばいいか悩み、髪を触り、べっとりとする手を直視する。ヤミが陽向の動きに気付き、着ていたシャツで陽向の手を拭く。


「そうだな、シャワー浴びるか陽向。誰かさんの所為でベトベトだ」


 ヤミは苦笑し、翔をちら見した。


「俺?」

「だろうな、ククッ」


 ヤミは陽向の肩を軽く押す。押された陽向は反動で蹌踉めくが、それにしては様子がおかしい。すとんと、何かが抜け落ちたかのように膝を床に着けた。立ち上がる陽向は太腿に手を当て、脚を少し引きずった。


「ああ、すまん。まだ脚が……だったな」


 ヤミは陽向を抱きかかえる。陽向はヤミの首に腕を回し、身体を預けしっかりとヤミに抱きつくと背中を優しく摩られ安心を得ていた。この場から去るヤミは陽向を気遣い、ゆっくりと歩き出す。

 翔がそんなヤミを引き止め訊ねた。


「待って陽向さんの足、俺が原因?」


 翔は以前の闘いで陽向の脚に刀を、突き刺していた。


「……実は神経を少し。だが生活上支障はない」


 陽向の足について語るヤミに、翔は眉尻を下げた。


「陽向さんを降ろして。今なら治せる」

「ん!?」


 ヤミは言われた通り、陽向を床に降ろした。

 陽向は股を大っぴろに開かされ、疵痕部分の大腿部を晒け出す。疵が少々残るとはいえ、艶っぽい脚がそこにある。

 躊躇いなく手を添える翔だがあまりの色気に、生唾を呑んだ。

 陽向はそんな翔に、平手をくらわせた。


「マセ餓鬼」

「色っぽすぎる。仕方ないでしょう!」


 翔は太腿の刀痕かたなあとに手をかざした。陽向は翔の手から小さな熱を感じる。


「温かい……」

「そう? よかった。違和感なくて」


 ヤミは翔の遣ることにほほうと感心し声を上げ、首をうなずかせた。


「能力習得か」

「みたい。今度からは器用に使いたい」


 翔はヤミを見てあざけ笑い、陽向を立たせ感想を訊く。陽向は何故かヤミの顔色を窺う。不思議に首をかしげるヤミを確認した陽向はもう一度、ヤミをちら見した。顔色を変えないヤミに陽向は困惑した瞬間、翔にいきなり蹴りを入れた。


「おおっと」


 翔は陽向の足を持ち、蹴りを防ぐ。口角を上げ笑う翔は陽向を放すと優希に後頭部を、殴られた。

 「何するの」と訊ねる翔に優希は頬を膨らませ「助平」とひと言零し、睨んだ。

 

「翔のおたんこなす」

「おたんこって、防いだだけで」

「クッ、おまえはモテるのかどっちなんだ」


 笑うヤミの背中に、陽向は咄嗟に隠れた。陽向はヤミの背からひょこと顔を出し、優希に会釈する。

 気づいた優希も会釈を返す。


「フフ、ほんと可愛い子それに甘い匂いもする」

「あっ、クレープ?」

「ううん、その匂いとは違う。優しく甘い」

「?」


 優希は首をひねり、陽向を見つめると陽向も同じ視線を交わす。


「コレは俺んだ上げないよ! 早くヤミさんとシャワーいきなよ。お楽しみに」


 翔は優希に抱きつき、ヤミたちに手をシッと流し追い払う。

 ヤミの細い目がさらに細くなる。


「俺達そういう仲では─ないゾ?」

「そう? でも陽向さんはまんざらでもないみたいだよ?」


 翔はひと言洩らせ、優希を強く抱いた。変な奴だなとヤミはぼやき、その背中を押して歩く陽向がいる。

 優希は「お似合いだね」と言い、翔の腕を掴んだ。「うん」と返す翔は……脳裏に、嫌な映像が流れ一瞬不安に駆られる。

 

「翔?」

「あっ、ちょっとね」


 翔はヤミに相談しようかと、追いかけようかと悩むが、優希の側を選んだ。


「?」

「俺も……優を、抱きたい」

「ん? この腕は?」

「別意味でね?」


 優希は翔の真意を悟り、顔を火照らした。すると翔の背後に、人影が立ち塞がる。


「はい、翔クン優希を返しなさい」


 声とともに翔は叩かれ、優希を奪われる。叩いたのは葵だ。


「何なの、今日は厄日?」

「ふふふ、翔。災難だね」


 優希がほくそ笑む。


「優希も叩いたよね」

「あっ」


 優希は翔に突っ込まれると誤魔化し程度に、翔の頭をいそいそと撫でた。


「で、翔クンは隣の聖鈴の推し嫁とどういう関係です?」


 葵は翔と目が合うなり、訊ねた。


「どういう?」


 翔は冷たい眼で葵を睨んだ。

 葵は翔の視線にビクつき身体を縮め、何かを察した優希は慌てて葵の背中を押し歩いた。


(翔が珍しく怒ってる)


「あっ、葵おチビさんは?」

「ああ、おチビさんは下ですよ」

「待たすとかわいそうだから行こうね。ねっ?」


 優希は話をはぐらかし、盆とグラスを拾うと急いで下に降りた。葵はやれやれという感じで優希の後に続く。

 翔は二人が降りたあと、フウと溜め息、床に手を置いた。黙る翔の顔はニタァと悪い顔で笑んだ。

 置かれた手をそっと浮かすと、床に付着した飲み物が浮遊する。


「成長しているが、こうもなって欲しいな」


 浮いた水滴を指で操り、ゴミ箱に放り入れ手をぱんっと打つ。そして今度は水の球をこぽりと掌に浮かせ、床板にその球を転がした。

 転がる水球はくるくる板上を滑り、ジュース痕を磨いていく。

 そう、今能力を発揮しているのは副人格にしての翔。いつの間にか主人格と入れ代わっていたのだ。

 主人格より秀でる、副人格の停止装置ストッパーがいる。

 ストッパーの様子を頭の中で住人は眺め、不服を洩らす。


『おかしいです。何故翔クンには使えない能力が貴方に使えるのです? 龍の能力のほぼ全容を貴方は使えるとお見受けしますが』

「フッ、何故だろうな!?」

『気に入りませんがその内に分かるのでしたら……』


 ひと言添えると、住人は頭の奥に潜んだ。

 停止装置は部屋に戻ると、ベッドに寝転がった。


(ふうん。隣の学園に【炎龍】がいるとはフフッ。住人の咬み痕は消されたがもう要らない。翔の前にこれから色々と【龍】が現れる)


 顔を片手で押さえ不適に笑んだ。人格も『住人』が考えた【咬み痕】に、賛成していたみたいだ。


(さぁて先ほど見た映像。炎龍と祖母ババア。ややこしくなるフッ)

「ハハ。アハハ」


 副人格は笑うと体を起こした。

 見開く瞳はなぜか銀色の晄が宿り、閉じると元に戻った。そしてパタッと倒れ、寝息を立てる。

 ……翔はすやすやと憔悴仕切ったように、眠り始めた。

 しばらくすると、翔のいる部屋にヤミが入ってきた。様子を見に来たヤミは寝入る者の横に座り、微笑んだ。

 ヤミはタオルを頭にかけ両腕は股の前にダラリと据え、考えている。


(お祖母さま……ねぇ)


 翔が見た映像をヤミも視ていた。ポツリと呟くとヤミは欠伸をする。

 ぎしっとベッドが軋んだ。

 ヤミも翔の横で静かに寝ついた。起きた後、二人は答え合わせでもするように話込むのだが、今は……二人仲良く。

 夢のなかだ。






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