第36話 『答え』を焦る者と焦らす者

 


 シンクに水の音が響く。

 真っ直ぐ垂れる水道水にグラスと手がくぐっていくと、反射されたガラス面に優希の姿を薄く捉えた。


「で、翔クンとは」

「なにが」


 キッチンに立つ葵と優希。優希は先ほど回収したグラスを手早く洗い、片づけていた。


「私、食事をするために来たんじゃないですよ。優」

「……」

「だんまり?」


 葵が優希の横で愚痴り続ける。


「さっきの聖鈴の推し嫁て言われている穂斑ほむらですよ?」

「知ってる」

「浮気ですか?」

「それはない!」


 優希は次に、レタスを水に晒した。


「優さま、翔さまと喧嘩?」

「けんかぁ~」


 優希の傍には巫女二人。袋に入った食パンとフランスパンを優希にそっと渡す。


「ううん。このお姉さんが勝手に怒ってるの。このお姉さん美人だけどちょっと怖いの」

「ふうん」

「うーん」


 優希は渡されたパンを袋から出し、溜め息つき葵を見た。葵は優希と巫女達の眼差しを受けとり、顔を引きつらせ笑顔を作る。

 優希はその引き攣り笑いにほくそ笑むと卵を割り、フライパンへ。

 葵はなぜか、鼻歌を歌い出した。

 ジュッとする音のタイミングに合わせ、ちび巫女が喚いた。


「あっ、あおちゃん。いまめんどくさいおもたでしょう」

「うん、思われました」


 巫女達が葵の心を読み取り、話す。思っていたことを言い当てられた者はドヤった。


「君たちは何なのですか?」


 葵が巫女達を見遣る。彼女達はニタァと口角上げ、葵を笑った。


「あおちゃん、優ちゃん狙ってますぅ?」

「ですね。ですね。ねらってます」

「大人を揶揄うのですか?」


 葵は巫女たちの鼻を抓み、ぎゅむと指に力を入れた。


「ニシシ、おあちゃんおもろい」

「面白いです」


 おかっぱ頭の二人の髪が楽しげに弾むと、優希の身体にしがみついた。


「ふふ、葵。面白いよ」

優希、私はこの子たちに心を見透かされてるようで揶揄われてるようです。それに」

「なぁに?」

「翔クン、身体大丈夫ですか? いくら丈夫とはいえ頑丈過ぎます」

「……」


 優希はパンにマスタードを塗り黙々とレタス、トマト、ベーコンを順に挟んでいく。


「そうね。でも翔は、辛い時は言うから」


 優希は具を挟み終えたパンをホットサンドメーカーに置いた。

 小さい巫女達は傍らで瞳を輝かし、優希の所作に心躍らせる。葵はというと優希の手早さが何かを誤魔化してるのではと疑問符に口を尖らす。

 

「それだけではないですよね?」

「……」


 意気込む葵に巫女二人が見かね、本音を突きだした。口からついでた言葉が少々、きついもの言いだ。


「もう、あおちゃんうるさい!」

「ほんとうに、葵さまは心配症ですか?」


 葵は指摘され、息を飲み固まってしまう。そして、巫女達の可愛げない口調が気に食わない。葵は眉を引きつらせ、口達者な者たちをじろりと俯瞰した。


「!!」


 巫女達がたじろんだ。

 優希にしがみつく二人の力が増す。


「あらあらもぅ葵どうしたの? いつもと違うよ」


 優希は焼き上がったサンドを半分に切り、野菜と共に皿に盛り付ける。用意した皿それぞれを巫女に渡し、微笑んだ。

 怖がっていたチビと姉巫女の顔が和らぐ。


「美味しそう」

「しそう」


 二人は皿を持ち、喜び勇んでテーブルに掛けた。彼女らは焼きサンドを前に、手を合わせる。


「いただきます」

「ます」

「いただきまっす!!」

「「?!」」


 喜ぶ巫女に続いて、力強い男の声が続く。優希と葵は見知った声に反応し、巫女達は口をあんぐりさせた。

 姉巫女の分のサンドが囓られていく。美味しく焼けているであろうパンはサクサク、そしてバリッと音がする。少女の前で男の喉はさらにコクンと、通す音までさせた。

 

「うん、美味い」

「翔さまそれ私のです」

「おおぅ、ねぇちゃまのです」

「クス、腹が空いてさ」

「ちゃま、横取りはメッです」

「ごめんごめん俺の返すから優希!」


 翔は姉巫女の頭を撫で謝り、優希の名を呼ぶ。

 キッチンではいそいそと。ホットサンドを皿にと、急かされる優希がいた。優希の横に翔が立ち、二人が目を合わす。

 翔と優希、二人の微笑ましい姿を見て巫女達はうっとりした。


「夫婦です」

「うん、めおとです」

「そうです。あの二人はお似合いなのです」


 葵は珈琲カップを手にし、巫女達のテーブル挟んで前に立ちはだかる。姉巫女の頬を抓むとにんまり鼻で笑い、質問する。


「あなた達、先ほどから私の心。読んでますよね」

「!?」

「さあ、答えてください」


 頬を引っ張られ、姉巫女は困り顔をした。困りながらも答えない巫女に葵は段々と苛立ち始める。

 翔がそんな葵の横に立ち、姉巫女にある指をゆっくり解いた。


「葵、ダメだよ。らしくないどうしたの?」


 翔はサンドとフルーツが盛られた皿を巫女の前に置き、間に割って入る。翔は葵の気が自分に向くよう、引きつけていた。

 呆れている翔に気づいた葵は、胸の内にある苛立ちを打つけた。


「ざわざわします。この子達に心を見透かされてますこの子達何者?」

「……」

「そして翔!」


 葵の指が翔の胸にとつんと突かれ、体に振動を与えた。だが翔は顔色を変えず、葵の指を受け入れた。


「普通肋骨の一本二本、折れてなくともヒビは入るわよ?」


 本来、降ってくる人間を受け止め無事でいられないことを指摘する。しかし翔の反応は薄いものだった。

 葵の双眸は真っ直ぐ、翔を見据えた。


「眉一つ、動かさない」

「……おまえに顔色変えたところでばれるからしないよ」

「ふうん」

「稽古ごとを嗜む葵は感受性が高い」

「あら、買いかぶりですよ」

「……そうかな」


 翔と葵は静かに佇む。

 二人を見かねた姉巫女がわざとらしく息を吐き、口を挟んだ。


「翔さまはどうされたいのですか」

「えっ?」

「葵さまも然り、何をお知りになりたいのです」


 姉巫女が二人に、淡々と言を突きつける。


「何をどうされたいかきちんとお決めなさい。私たちと優さまは何も語りません」


 巫女は口を拭き、手を合わすと皿を持って席を立った。


「あねちゃま。ジュース。あまいのくだちゃい」

「ふふ、お待ちなさい」


 姉巫女は静かに、食器を優希の所に運ぶとジュースを受け取る。

 音なく動く姉巫女の動作をただ黙って見る、翔と葵。そうして二人は、顔をつき合わせた。

 ……同時に吹き出す。

 大人げない睨み合いを、年端もいかない女の子に窘められたのだ。

 二人は恥ずかしながらも思い切りよく笑う。


「フフフ、ごめんなさい翔。何か気が動じてました」

「こっちこそごめん。心配してくれているのに」

「あの子達に見透かされていると言う思いが、私の気を焦らせたみたいです」

「まあ、気持ちは分かるよ。この子達は聡い」

「今は言いたくないですか?」

「……正直悩んでる。悩むと言っても伝え方に」


 ちび巫女の頭を撫で、翔はやんわりと笑む。葵はそんな翔を視ると溜息をついた。


「ふぅ、ただ釈然としませんが分りました。優希も哲弥も知っていて私が知らない、これも焦りの原因でしょう」

「葵」

「待つのは慣れています」

「? 葵」

「優希はいつ手放します?」

だよ。手放さない! また言い出す葵は」

「葵ごめんね大好き! でも二番目ね」


 優希がいつの間にか横に来ており、葵を抱きしめ甘えた。


「姫、困らせたですね。ごめんなさい」

 

 ヒシッと抱き合う二人がいた。

 翔は優希を葵からなぜか、引き剥がした。


「なぜ? 邪魔です」

「何となくな」

「翔今は葵となの。もう!」


 優希は眉をひそめ、翔から離れる。ぽふんと葵にしがみついた。

 勝ち誇る葵がいる。


「まあ、今は譲る」

「そう言えば、あれは何です」

「あれとは?」

「聖鈴の推し嫁」

「ああ、あれ? なんだろね」


 翔は口角を上げ首傾げ、話を濁した。翔の腰を小さな巫女が小さい指でつつき呼ぶが同時に、陽向ひなたが翔の名を叫んだ。

 タオルを頭に下げ、キャミソール姿の陽向がリビングに佇んだ。

 顔を強張らせ、翔に訊ねた。


「あの人は?」

「ああ、ヤミさん。俺の夢に置いて来た」

「? 夢」

「そう、夢」


 翔は意味有り気に陽向を見ると、優希がいるキッチンへ移動を始めた。

 陽向は不思議そうに翔を眺めて、言葉に詰まると姉巫女が頷き、鈴を取り出した。


「これ以上の夢への干渉はヤミさまが危ないです。起こしてください」

「私が?」

「鳴らす。だけでいいのです」


 鈴がひと鳴り小さく響く。陽向の手の中で。

 陽向は翔と視線が合うと合図された。行きなよと言わんばかりに首を振る翔の瞳は赤く、光を帯び冷めていた。

 陽向はゾッとすると急いで二階へと、駆け上がった。

 翔は冷蔵庫の前でジッと佇んでしまう。気が付いた優希が話しかけた。


「どうかしたの?」

「別に。俺、チキンサンド食べたい」

「んんー。また面倒なのを」


 優希は冷蔵庫を覗く。

 翔が優希の傍らで冷蔵庫の扉を持つも、目線は陽向が出て行った扉の先にあった。


 翔の今の表情は『住人』なのか、どちらなのかは読み取れない。

 不安がり急いで駆け上がる陽向。

 陽向は二階に行く途中階段を踏み外すも、必死に駆け上がった。パタパタと、陽向の足音が建物の中を木霊していく。



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